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悔しさは妄想

陥れられて陰で悪口や噂話の的になっています。 そんな状態でお坊さんの説法を聞いた一部に「悔しさは妄想」という言葉がありました。 前後の言葉は覚えていませんが、かなり悲しい思いをしました。 それとも時間が立てば、本当にそのように達観できるのでしょうか? ご意見をお願いします。

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回答No.3

本当の自分は、自分自身しか分からないものです。 今は悔しさでいっぱいでしょうが、外野の雑音は所詮理解していない 理解しようともしない人達の戯言でしかないのです。 であるならば、これを機会に自分自身を強く持つ事や、高尚である様努力される方が良いと思いますよ。 「悔しさは妄想」ではなく、「悔しさは糧」なんだと思います。 どちらにしても、貴方が貴方自身で何かしらの答えを導き、悟らなければ、前に進めないのだと思います。 答えは、限りになくあると思いますので、貴方にあった答えを探してみましょう。 そして、貴方を理解してくれる、理解しようとしてくれる人達も必ずいるのですから その人達がいるって事を考えれば、ほんの少しかもしれないですが 心を穏やかにする事が可能ではないかと思いますよ。

noname#97169
質問者

お礼

まだ時間がかかるかもしれませんが、showstoppe様にいただいた言葉を強く胸に刻み付けて強く生きたいと思います。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

noname#100878
noname#100878
回答No.2

許せないですね。人を陥れるなど。気を強くもってね。 噂も長くは続きません。悔しいのは分かりますが、悔しさのあまり自分を見失ってはいけませんよ。 心頭滅却すれば火もまた涼しと言葉がありますが、言い例えでは無いかもしれませんが、気を強く持ち達観に努める事です。 心穏やかに保つことです。

noname#97169
質問者

お礼

噂は執拗に流されていますので、終わらないでしょうが、「心穏やかに」を心がけていきます。 回答ありがとうございます。

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.1

悔しいのは悔しいわけで、それを無くすこと、無にすることはできないです。 それは当然のことですよね。 ただ「うらむことに際限は無い」のも事実です。 人を恨むことは、その人間を亡き者にしたとしても達成できないほど、強烈な「念」なのです。 対象が無くなっても残る念…これ即ち「妄想」です。 「悔しさは妄想」なのです。 他人が他人を傷つけているという事実は、自分が他人を傷つけているという事実を抜きには語れないのです。 思い当たるところが無くても、人は聖人君子じゃないから小さな嘘を重ね、それで人を傷つけていたりもします。 ナイーブな人につく嘘と、鈍感な人につく嘘は、それだけで影響力が違います。 …比較できないんです。 だから、誰でも人は人を騙し、傷つけているんです。 それが理解できれば…自分が不完全で、どうしようもない存在だと気づけば、悔しさは半減しますよ。 確かに陰口も、人を陥れようというのも「悪意」に違いない。 対象となれば辛いし、いたたまれない。 しかし「同胞」なんですよ。 同じ人間で、同じものをみな持ってるんです。 「人間」という見地でみれば、他人と自分に大きな差は無いんです。 「許せ」とは言いませんが、少なくとも「勝手に言ってろ!!」くらいのレベルまで悔しさを落とせば気持ちが楽になります。 人を見るときは、標準を「下げて見る」と、本当のところがわかりやすいものですよ。

noname#97169
質問者

お礼

私は相手を恨んでいませんが、悔しい思いは消せません。対象者がいれば「妄想」とはならないということでしょうか? 私は完ぺきな人間じゃないから、嫌な思いをするんだと謙虚に思っていましたよ。それでも理不尽な相手は常に寄ってきました。 私も相手を傷つけていることは間違いないでしょうが、悪意は私にはありませんので、「同胞」とひとくくりにされると納得できかねます。 人の善意を信じていたので、人を下げてみることに抵抗があったのですが、自分を守るためにそうしていきます。 嵐は過ぎないでしょうが、私の中だけは平穏に過ごしていきたいと思います。 回答ありがとうございました。

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