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何故なんですか!

  • 質問No.5339984
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まず、本日のわたしの精神状態は、いつになく良くないので、次の文章をお読みになっても、ご批判は、どうかご遠慮下さい。

何故なのですか?
わたしは、小学生から周りにうちとけられず、とうとう中学校の終わりまで、無視と言葉の暴力に悩みました。
でも、仕返しをしたこともありません。
正当に闘って、最後には一人で過ごす術も身につけて、長い時間をかけて、皆のことを許しました。
自分のことも、同時に許しました。


わたしは、誰も恨まないよう努めてきたし、誰にも意地悪を故意にはしたことはないし、悪口は大嫌いだし、万引きも一度もしたこともない。
出来る範囲で、善いことをしようと心がけてきました。

でも、何故か、わたしは、社会に溶け込めないのです。
正しいとされていることを、心がけていても、わたしは、どうしてなのか、社会に溶け込もうと頑張ると、息があがって、気がついたらわたしの周りに人だかりが出来ていて、「救急車!」という声がします。
社会に溶け込もうと頑張ると、ある朝突然、酷い憂鬱がおそって来て、何も出来なくなる。

気がつくと、わたしは、会社に居場所がなくなっている。

わたしは、どうして、社会に溶け込めないのでしょうか。
わたしは、一生懸命、自分なりに正しく生きようとしているのに、ずっと苦しいのは、一体何故か、わたしには、解らないのです。

わたしには、家族に恵まれているし、支えて下さる方は、たくさんいます。
けれども、一人で歩こうとすると、わたしは、急にその場に倒れ込んでしまいます。

わたしは、可哀想でも何でもないんです。
ただ、わたしは、これで良いのですか?

急に今日、それが分からなくなってしまいました。

明日は、日曜日です。先生に会えません。誰か、助けて下さい。
わたしは、何故か、解らないのです。

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.3
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ベストアンサー率 62% (148/235)

すこし独り言を書きます。
わたしは子供の頃、若い時分、いま振り返るとろくでもない考え方で生きていました。自分が楽しく楽に生きるために、その場を過ごすために、ウソをつくことも、誰かに迷惑をかけることも気にもなりませんでした。

敢えて人との生活に馴染もうとも考えていませんでした。
興味がなかったのです。

仕事をするようになって自分の生活を得るために仕事をしました。
当時の仕事はサプリメントの販売です。
興味はありませんでしたが仕事なのでそれなりに一生懸命に勉強し、勤めました。

その日常の中で仕事について6年目くらいからでしょうか?
がん患者の方とお会いする機会が増えました。
通常の医療に不安や疑問を持つ患者さんからの依頼で代替医療という健康保険が適応にならない全額自己負担の高額医療に関わりました。

ここでの多くの出会いがわたしの価値観や生き方を180度変えるきっかけになりました。

幸せについての考え方
わたしは今、幸せを常に感じることができます。これは見つけ出すのではなく「ありがたし」を知ることができたからです。
多くのことはあり得ないこと。有り難し
導かれて今があること。今に必要なこと。
もし、今の状況が自身の歓迎しない状態ならばそれは将来への学びの場だと考えています。人間万事塞翁が馬です。
だから良かったと思えます。どんな展開になるのか楽しみです。

実はこんな考え方ができるのも・・・出会った患者さんたち(多くは亡くなりました)から受けた影響です。

様々な患者さんがいらっしゃいました。死が目の前に具体的な形で見えると人は本来の自身に戻ります。疑心暗鬼にもなるし、自分が助かるために恐怖と戦うために、人に様々な要望や依頼をします。

多くの時間を患者さん、特に余命という命の限界を前にした患者さんと過ごす中でずいぶん考えることがありました。
自身の非力も感じ、許し、必要性を見つけることができました。

以前は頑張るということを強く感じる時もありました。
しかし、今は頑張らないということの大事さを感じます。
必要なことが今目の前に起こるんだし、目の前の結果の良し悪しより、自身が納得できたかの方が大事だと感じます。納得できていれば時間を越えて自身の力になります。

わたしは今を生きていますが、わたしの人生は今を切り取った瞬間だけで良し悪しが決まるものでもありません。

だからあなたの言葉を聴いて思いました。

今のあなたのメッセージに出会いわたしは過去の出会いに感謝することができました。同時にあなたにも感謝をしています。

今のあなたのメッセージだからこそわたしは影響を受けました。
他の何かではなく、今のあなたのお陰です。
ありがとう。そしてゆっくりお休みなさい。
明日は素晴らしい一日ですから早く起きましょうよ。
お礼コメント
noname#113244
ありがとう存じます。
わたしは、老子が好きです。
昼食を食べるまでは、水はさらさら流れていたのです。
幸せでした。
父の思いやりで、病気のわたしに、ご馳走してくれました。
幸せでした。
病気でも、わたしが今まで何度も守られて、生かされていることを、深い所から感じていられました。

でも、突然、濁流がやって来たのですよ。
でも、その濁流が、numa1969さんのもとまで、わたしを運んでくれたのですね。

良かったです。わたしは、やっぱり幸せ者です。
守られているのですね。
さっきまで、何度も「本当は、生きたい」と繰り返していたら、思いが届きました。

ありがとう存じました。
世界中に幸せが注がれますように。

おやすみなさい。
投稿日時:2009/10/04 01:32

その他の回答 (全2件)

  • 回答No.2

ベストアンサー率 41% (44/107)

社会に打ち解けようとしているからじゃないですかね。
私もどちらかというと浮いている人物ですけど、打ち解けようとか思った事ありません。
別に打ち解けたくないとも思ってません。
ただ自分の普通を毎日実行しているだけです。

時には人と対立する事もあります。ですが、人はそれぞれ違うものなので、みんなと常に同じ考えで、誰とでもうまくやれる人なんていません。もしいたら、それはそう見えるようにその人が振る舞っているだけで、演技が上手なだけです。それってどうなの?とか私は思います。

時には人から理由無き誹謗中傷をされる事もあります。自分が気付いていないだけで理由はあるのかもしれないですが、理由を言ってこないので分かりません。理由を言われれば真剣に耳は傾けますし、自分でも気付けば直すよう努力します。

ただそれだけです。

そもそもみんなと仲良くする事など不可能なので、打ち解けられないなら打ち解けられない人生を楽しく生きるしかありません。

誰とでもうまくやれる人は現実にはいないのと同じように、誰とでもうまくやれない人もまた現実にはいません。

数少ない自分とうまくやれそうな人だけを真剣に探しましょう。

無駄な事に力を注ぎすぎるので、全体としてダメな方に転がっていくんだと思います。
お礼コメント
noname#113244
ありがとう存じます。
思い返すと、
「会社の人」になるのが、わたしは、苦痛でした。
長く勤めると、そこの人になってしまう感覚が、怖かったです。

わたしは、物書きを小さい頃からしています。今も、細々とですが、続けています。
絵本作家になることを出版社の人に薦められて、今は、絵の勉強もしています。

でも、そんなスキルは、普通の会社では、全く活かせません。ただ、やりたいことをする資金調達の為に働いていました。

でも、段々苦しくなりました。
社風に合わせて、髪を黒くしたり、社員の人が話す話題は、わたしの大嫌いなパチンコの話か、仕事の愚痴が主で、道のわきにツツジが咲いていたとか、今は、どんな本を読んでいるとか、話しても通じなくて、一人で昼食を取りたくても、強引に呼ばれたら、わたしの静かな時間がなくなってしまって、とても疲れてしまいました。

わたしは、小さい頃から一人で行動していたので、団体行動の勝手がよく解ってないと思います。
だから、一人でいようとしていたのですが、やっぱり難しくて、悪口大会が始まって、仕方ないから、わたしは、言われている人のフォローばかりしていました。

そういう毎日だったので、帰るとぐったりして、物書きが出来なくて、その焦りに余計疲れてしまいました。

だから、たぶんとても無理はしていたと思います。

乱文で申し訳ありません。
投稿日時:2009/10/04 01:15
  • 回答No.1
こんにちは。
一言でいうなれば頑張りすぎなのでは?
仕返しをしないのも正当に立ち向かうことも、正しいとされることを心がけることも全く悪いことではありませんし、むしろそれは非常に良いことだと思います。
ただ、キレイなだけの人間はいません。
適度に仕返しをしたいと思うのも人の性、本心ではダメだと思っていてもつい悪いことをしてしまうのも人の性。
人は少し汚れるようにできているのだと思います。
完璧な人間なんていません。
それを「キレイにキレイに」「正しく正しく」とそれだけを追い求めた結果、精神的に疲れてしまったのではないかなと思いました。

また人間関係についても、周囲はほどよくキレイではない部分を持っています。
少しくらい汚い人間で、少しくらいかわいそうな人間で、少しばかり幸せがあって…というかんじでしょうか。
もちろんひどく憂鬱な日があります。
そんな日に天気がいいと、世界に置いて行かれたような気分になることもあるでしょう。
悪いことをしろ、というわけではありません。
ただ、体内に良くない菌がいるように、人間は元々構造的にもキレイなだけのものじゃないんです。
それに社会に溶け込むということはいくつかの仮面を使うことだと思います。
嘘をつかないこと、といえばいいでしょうか。本来の自分じゃないのですから一種の嘘です。
素の自分で社会に溶け込める人はそうそういません。
というか溶け込んでいるようにみえて、溶け込んではいないんですよ。
うまく擬態しているといえばいいでしょうか。
「ダルっ!」と思いながらも、にこやかに接しないといけないこともままあります。

ちょっとわるふざけをするところから始めてみてはどうでしょう?
たとえば、家族や友人の誕生日を忘れた「フリ」をしてプレゼントを実は用意している、とか。
エイプリルフールはさすがに遠すぎるので、ハロウィンなんかもいいかもしれないですね。

それになにより、正しく生きようとしても人生って自分がなりたいと思うようにはナカナカなれません。
質問者様は、苦しいと思いながらも、家族に恵まれていて支えてくれる人もいるときちんと気づいています。
自分が大変な時にはそういう存在にどうしても気づかないものです。
それだけでも十分すごいことだと思いますよ。
お礼コメント
noname#113244
ありがとう存じます。
今日、お昼ご飯を食べ終わるまでは、解っていたんですよ。

弱い所があっても良いし、頑張りすぎないようにすれば良いってことも。
病気のことも、うまく受け入れて、うまく付き合ってきました。
わたしだって、家族にイタズラだってします。母の背中にコッソリ洗濯ばさみを並べてつけて、怪獣だ!とか言って、遊びます。

でも、姉とケンカしたら、何だかとっても不安になって、落ち着いたかと思ったら、また泣けてきて、どうしたら良いか分からなくなってしまいました。

夜分にありがとう存じました。
投稿日時:2009/10/04 00:48
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