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自分をディソシエイト(客観視、分離化)する方法は?

20代前半の女です。最近ふと、私は自分や相手の人の気持ちを客観的に見たり感じたりする事ができなくなっている事に気づきました。 私は幼い頃は努力しなくても、誰かと道で会った場合に自分の魂(もう一人の自分)が勝手に私の身体から出て相手と自分を遠くから客観的に見ている...自分がまるで存在しない第3者になったような(視聴者がテレビドラマを見ているような)体験等をしていました。 夫にこの体験について聞いてみると、多くの子供はそのような事ができるとの事でした。また、私は子供の頃は「どんな人でも皆哀れなのだ」という考えを勝手に持っていたために、自分の事を考える前に他人の事を優先して考えていました。 しかし残念ながら、今私はそのような子供の持つ能力(?)や自分の幼い頃の変わった考え方は殆ど消えてしまいました。ぬくぬくしていた子供の頃とは違い、現実の厳しい社会を知ったからなのか、人間関係の難しさを知ったからなのか、本音と建前や自分への欲が強くなってきたからなのか分かりません。 でもそんな現実を知った上で、もう一度幼い頃の気持ちや能力(?)を取り戻したいと考えています(今は私は他人の事をあまりにも考えていない&自己責任がなさすぎます)。そこでまずはとにかくディソシエイト(客観視、分離化)を身体に&脳に覚えさせたいと思っているのですが、訓練するための方法をご存じの方、回答宜しくお願い致します。

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回答No.1

こんにちは。自分自身を客観視することはとても大切なプロセスだと私は感じています。家族や学校などのコミュニティとの関わりによりますが、子供の頃は私達は無邪気さや遊び心というものを自然の表現として持っています。しかし、多くのケースで家族、特に両親から承認されたいという想いから、自分自身の表現したいこと、達成したいこと、それに伴う感情を抑圧します。 子供のような無邪気さや客観的な自分に戻るためには、今までに抑圧してきた感情をリリースさせると同時に、自分の中にある葛藤に気付く必要があります。特に、自分が持っている信念体系、価値観を自分を裁いたり、考えて分析せずに気付くこともポイントになるでしょう。 「○○したいけど、○○できない」というような相反する想いが自分自身を抑圧し表現することを抑えてしまいます。自分を認識するプロセスを意識的に行うことがキーです。 このプロセスを進むと、体がいろいろと訴えてきます。例えば、体調が悪くなったり、突然悲しくなったりなど。結局、本能を司る部分、生き残っていかなければと考えている体の意識が自分を客観的に見る事を妨げています。この意味で、定期的なエクササイズは有効的です。例えば、ヨガや太極拳、水泳やウォーキングなど、特に意識的に呼吸をし、ゆっくりと体を動かすエクササイズがおすすめです。 結局は、反学習をしていく必要があります。つまりは、「○○するためにはこうしなければならない」と教えられてきた事、正しくある必要性とも言われますが、これをリリースしていかなければ、完全な客観視をすることは難しいです。結局は、何事も裁いたりせずに、瞬間瞬間を意識的に生きていくと決意すること、自分を自分自身で承認することが大切かなと私は個人的に感じています。人は他者との比較や、過去、未来との比較をすることで、簡単に傷付きます。たとえ他者という対象があったとしても、自分自身を裁く事で今瞬間にある豊かな自分を見る事から遠ざけてしまいます。 以上ですが、趣旨と外れた箇所もあったかと思いますが、私の個人的な体験から回答させていただきました。何かの参考になれば幸いです。

CG2602
質問者

お礼

Crystalizeさん回答頂きありがとうございます。 私は思春期ころから無意識に感情を抑圧しがちになってしまいました。何だか私の事を見抜かれたようでドキッとしました。 今は海外在住なので、日本にいた時よりは随分と自由と解放感を感じられますし、自分を解放して良いのですが、日本に住んでいた時の癖が抜けきられておりません(自分の言動が正しいか否か、失礼に思われないかをまず考えてしまう)。解放させると自分がダメになってしまいそうで怖い、という気持ちもあります。 でも徐々にですが、『正解なんてない』と自分に言いきかせて過ごすと気持ちに余裕ができるのが分かりますし、エクササイズも積極的にしていきたいと思います。ありがとうございました!

その他の回答 (3)

回答No.4

こんにちは、 言葉は、難しいですが「ディソシエイト」は、ある程度誰でもが出来るものです。 単に、大人に成って現実の対応で忙しく、そういった感覚を忘れかけているだけだと思います。 > 子供の頃は「どんな人でも皆哀れなのだ」という考えを勝手に持っていたために、 > 自分の事を考える前に他人の事を優先して考えていました。 このような考えと「ディソシエイト」はまったく関係ありません、 これは、単なる貴方の思い込みです。 こういった(ディソシエイトの)能力は、自転車に乗るというような運動記憶と似ていて 一度身に付けたら、簡単に消滅するようなものではありません。 この文章を読みながらでも、少し意識を変えれば、 この回答を読んでいる自分自身の姿を見ることができる筈です。 色々な感情が沸いてきたとき、「ちょっとまって!」と意識するだけで自分の外側から、 怒っている、泣いている、喜んでいる(これは余り薦めません)自分を見ることができます。 ディソシエイトの反対を、アソシエイトと言いますが、分離することと、中に入り込むこと これを少し訓練することで感情のコントロールが簡単にできるようになります。 後、もうひとつの方法としては、団体で行うスポーツです。 サッカーとかバレーボールなど、野球でもそうですが、上手い選手は、 自分のプレーに集中している(アソシエイト)と共に、 全体を見渡してディソシエイトして、勝つ為の効果的な行動を選択する能力を発達させています。 もう一度、書きますが、ご自分のエゴとディソシエイトの能力を結び付けないでください。 ディソシエイトやアソシエイトは、考えや感情とは関係の無いただの能力です。 自転車に上手く乗れるひとの人格が優れている訳ではありません(笑)

CG2602
質問者

お礼

harrywithersさん回答頂きありがとうございます。 そのような記憶は簡単に消滅するものではないんですね。今の自分が『自分』に集中しすぎてしまっているだけに、訓練して『分離する事』を取り戻したいです。 そう言われてみると、私の得意なスポーツは個人競技なのでハッとしました。団体のスポーツを何か始めたいと思います。ありがとうございました!

  • jinseiwalk
  • ベストアンサー率23% (372/1603)
回答No.3

同化法です。自分を第三者に置き、その人のこころと同化することによって自分を客観視します。 簡単に言いましたが初級から十段まで二十段階あるランクを全てクリアし最終試験に通らないと自己客観法は習得できません。 検定試験を一度も落ちずに通ることができたとしても5年はかかります。でも子供のときにできていたのなら早いかもしれません。

CG2602
質問者

お礼

jinseiwalkさん回答頂きありがとうございます。 そのような試験があるのですか、知りませんでした。興味があるので一度調べてみたいと思います。ありがとうございました!

noname#100496
noname#100496
回答No.2

NHKのテレビ番組で、赤ちゃんは超能力者だ、というのがありました。言葉は、話せ無くても、テレパシーで分かると言う事でした。しかし脳が発達するのと、引き替えに、超能力は無くなるとの事でした。だから脳が自我が発達していない、子供は、神とのテレパシーがあります。脳が自我が発達した大人は、人の心と神との交流を、脳が自我が遮断し、心がストレスになります。脳が休むと、人と自然の情緒である神が、交流します。だから子供の心を復活する事です。そのためには、脳の思考を自我を休む事です。幸い日本の伝統文化は、脳を休めて、自然の情緒、心の癒しを目的にしています。茶道、能、歌舞伎、雅楽、演歌、義太夫節、日舞、日本画、など、また本格的には、座禅や瞑想があります。書店に行くと、独りで簡単に出来る、DVD付のヴィパッサナー瞑想の本、地橋秀雄著、春秋社、があります。

CG2602
質問者

お礼

eyasi2012さん回答頂きありがとうございます。 なるほど、日本の伝統文化や座禅や暝想ですか、私は興味はありましたが体験した事が今までなかったので、そのような世界にも入ってみようと思います。ありがとうございました!

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