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練習法???他にも・・・

最近,実戦的にも精神的にもスランプなんです!! もともと仕事を辞めた関係で,実家に帰ることになったのが半年以上前,ところがそこにある格闘関係の環境がが???地元で拳法の道場もあるのですが,自分に合うパートナー,所謂,実力者がいない!!!!新しい練習方法や疑問をぶつけようとここでも質問して来ました,自己的にも教えてもらいたいのに限界なのかな???? 技術的に師匠と呼べる人がいない? 自分が知らないから前に進めない !前に進まないこと=限界なのかな??? 本当に実力でも精神的にも強くなりたい・・でも実力を保持できない・・・・年齢を感じるそして自信が無い!環境1つで変わるものとも思っています このカテゴリーで尊敬する人も居ります,その人たちのように強くなりたいのが本音です とり合えず,泣き言言ってもしかたありません!質問はタイトルのとおりです,師匠や実力者のいない環境や自分が一番の実力者であるにもかかわらず,通用しない実力であるとき,どのような練習方法(実戦的に)望ましいと思いますか,どのような方法が有りますか? 自分は年をとっても,あらゆる意味で実力者でありたいし,そういう人間を目指したいと思っています 冷やかし罵声も受付ます,それは自分に対して糧になるから・・・

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.9

Gです。 申し訳ありませんでした、補足質問に気がつかなくて。 では、私なりに説明させてもらいますね。 まず、一番目になることは、自分の間合い、を十分観察し、準備攻撃(ジャブなど)の間合い、そして、本攻撃間合いの違いを徹底的に観察し、それぞれの攻撃技(いろいろは打撃方法、けり方法、投げ、崩しなどのなかの、それぞれひとつの技)の間合いを身につけるということなんですね。 見ていると、多くの人が、次に繰り出す攻撃技に関係なく、「気に入った」間合いで試合をしているんですね。 それでは、動き自体に無理が出たり、タイミングが遅れたり、相手に気が付かれてしまったりしてしまうのですね。 準備攻撃ができる間合いに移ると同時に、心理的/物理的隙を作り出し、本攻撃間合いにさらに体を移行する、ということができるわけですね。 始めは、意識の全てを出して、この点を磨きます。 その次に、崩しの観念、つまり、相手のバランスの中心を知り、それをどのようにして、殻から外に出しバランスを崩す観念、を意識してトレーニングする事なんですね。 例えば、ただ、足払いするだけでなく、タイミングとは、足払いの方向性とは、力の入れ具合とは、相手の足によって作られる線とは、また、相手の体重のかかり具合など、理屈っぽい事を、理屈としてではなく、負けない勝つ為の手段として、訓練しなくてはならない、ということですね。 崩しにかかるということは、体が何らかの形で、相手の体と一瞬以上の時間をかけて密着するという事であるので、体を前方に動かす方法から見直すことに鳴ります。 それが、後ろ足で体を蹴ってはいないか、必要以上に前足が最初の第一歩を出していないか、体の重心を下げる事で体がまえに出ていることをしているか、手などを使って一瞬の筋肉痙攣を自発的に作りそれを瞬発力に使っているか、前足の膝の屈伸を使っているか、前進する時に飛んでいないか、などについて再確認し、していなければする必要が出てきますね。 さらに、攻撃の中で、手と足、また、右と左が単一に動かしているか、体のある動きに、関係ない手足が動いているのではないか、ということもまた、負けない勝つ条件を高める実力の中に含まれていなくてはなりません。 こう言う訓練を積み重ねるからこそ、「年季の入っていない」若い人たちに勝てるわけですね。 <g> この数点が分かると、足ではなく、手ではなく、体が自然と意味を持ちながら、最短距離で動くようになります。 体が動けば、手や足が、攻撃に意味が出てくるわけです。 このことは、理論ではなく、ただ単に理論に聞こえるだけなんですね。 ということは、紙面上、かなり限られた「理屈」で書いていますが、体が意味のある動きをするということは、頭が上の事を判断し、体に指令をするだけのことなんですね。 ですから、まず、自分を見つめる事から始まります。 分かりにくい説明だと思いますので、わからに点があったら、また補足質問してください。 

mrtommy
質問者

お礼

いつも,ありがとうございます ここで質問させて頂き少しづつながら 自信が戻って参りました 昨日も出稽古のはしごをして参りました 体力やスピード以外にもまだまだ学ぶ事が多いですね また,昨日の出稽古で同門のベテランの先生にも 年齢と練習法,そして考え方についてもお話を聞いて参りました これからも精進いたします ありがとうございました

mrtommy
質問者

補足

回答頂いた皆様,ありがとう御座いました Gさまの場所お借りして,お礼申し上げます いつも自分が悩んでいるときには,必ずお言葉を頂ける皆様は,ここを通してではありますが,仲間であり同士でありそして師であると思っております 今回は,最後まで回答にお付き合い下さったGさんと 経験からお話頂いたaribaba様にポイント発行いたしますが 精神状態をご指摘下さったvoices様や他の皆様にも感謝しています ありがとう御座いました

その他の回答 (8)

  • voices
  • ベストアンサー率26% (26/99)
回答No.8

mrtommyさん試合に出るんですか? だとしたら、今の状況でできそうなことは・・・私はだったら胆力と先・一撃での威力の三つを鍛えるかな。 これらだったら特に悩まずに出来る・・・はず。 でもいいな~親とか周りうるさくないですか?いいな~

mrtommy
質問者

お礼

いつもお世話になっています >mrtommyさん試合に出るんすか? はい,6月までに3試合します というか1試合は終わりました 一回戦に判定により敗退でした,スランプなのは解かっていましたが,改めて実証された気分で・・・ それで質問しました ちなみにこの大会の優勝者は,今でも自分が負ける事は無いと思っていた選手でした,故に「世代交代」なのかな??いやいや自分には戦う意思があるし負けたくない気持ちもあるし,限界では無いはずと思っています しかし,今,彼らより勝っているのは「気力」と「声の大きさ」だけですね・・・・・お恥ずかしい 気力の感じられない奴に負けちゃうのですよ・・ルールの上ですが >でもいいな~親とか周りうるさくないですか?いいな~ voicesさんのご両親は反対なのですか 私のほうは賛成派ですけど,怪我の心配は尽きないようです ありがとう御座いました

回答No.7

Gです。 少し、的が外れていたようなので、また、書かせもらいますね。 (でも、私が書いた事は、忘れないで下されば嬉しいです) ルールに基づいた「実力」は、どうしても、若い人たちの方が有利に見えます。 これは、生態的に仕方がないことです。 (体操競技などは、その際たるものですね-15歳で、もう引退ですね) しかし、何でもありの実力は、若さでは勝てません。 なぜかというと、すなわち、275Kがもたらす実力が、長年のトレーニングでなくてはえられないからなんですね。 私の場合は、試合についていけなくなる前に、コーチサイドに回り、試合参加者の養成に力を入れはじめ、試合に勝てる若い人たちを教える事によって、実力とは何か、という「実力」を自分につけるようにしたのですね。 他の人は「引退」とか「諦め」とかといいたかったようですが、年齢という有利要素が強いルールに基づいた試合から「卒業」したんだ、と自分に言い聞かせていた事をいまだ覚えています。 と同時に、SWATや警官の養成に携わる機会を受け、試合からでは得られない、実際に使える実戦力というものへ自分を移行する事が出来ました。 彼らとのトレーニングでは、いわゆる何でもありの、武器といわれるものなら何でもを相手にしなくてはならないものですし、教える立場では、実力という表面に見えるものをまず自分が出来、そして出来ない者をできるように教えられる能力も必要とします。 つまり、自分をいろいろな方向から「向上」させなくてはならない、と感じるわけですね。 この頃、私の最後の師がなくなりました。 教えられる、という実力を自分のものとし、育っていく弟子や生徒たちを見て喜べる自分にもなりました。 自分には、育たない弟子は、私の実力がないからだ、と言い聞かせもしました。 つまり、私は、全ての人に「実力」、つまり、全てを出せる力、を持っていると信じています。 それを引き出すのが、「試合を卒業」した者たちの実力のひとつと心得ているつもりです。 mrtommyさんがおっしゃっている道場での実力も確かに、年につれ衰えます。 衰えのカーブを少なくするのも実力のひとつ(自然に逆らう、という言い方をここではしますが)ですね。 その為にも、道場での組み手/乱取りは大切なものです。寝技を使う事が許されるなら、いかに早く寝技で決めることができるように、物理的誘導と心理的誘導について、研究する事も大切だと思います。 また、寝技にかからない実力者になることも、またもうひとつの「武道家ボケ」の防止にもなりますね。<g> また、防御から攻撃に入るタイミングも、自分より弱い相手との乱取りに使えるトレーニングですね。 つまり、同等の相手では、このようなトレーニングが出来ません。 力のレベルが近すぎるからなんですね。 ですから、今の状況をどのようにして、有効に、自分の為に使えるか、考えてもいいかと思います。  いろいろな固め技があるわけですが、どのようにしたら一瞬にして、かけることができるか、ただ単にフェイントをかけるとか、ではなく、もっともっと、複雑な方法がありますね。 例えば、相手が一歩踏み出すにしても、相手には心理的固定化が起ります。 その固定化は1/2秒もないでしょう。 しかし、その1/2秒を続けざまに、3回やれば、1.5秒です。 恐ろしく長い時間、相手は動きの変更が出来ない、ということになります。 このタイミングをしっかり捉えると、反撃に入れない技をかけることが出来わけですね。 反撃に出られない技とは、例えば、裏投げに入る時、すぐ投げるのではなく、相手のヒップを後ろから自分のヒップで叩いて、相手の背骨が反るようにする、ということです。その為には、運足、体裁きが必要となりますが、手や足のスピードと違い、体全体にスピードという物は年をとったからといって、衰える物ではないんですね。 なぜ、年老いた先生に自分の技がかからず、先生の技が知らずに自分にかかってしまうのか、もう一度考えてみてください。 若い人たちと同じ戦い方では、自分の方が不利となります。 「年の功」<g>には、若い人たちは勝てませんね。 mrtommyさん、自分の今まで作り上げてきた実力に自信を持ってください。 自分を磨く事によって、出稽古でより強い人にあっても十分自分を出せるようになると思います。 乱取りだけが、乱取りに強くなる方法ではないということを忘れないで下さい。 また、長くなってしまいましたが、説明がうまくない点がありましたら、補足質問してください。

mrtommy
質問者

お礼

いつもお世話になっています 本日,出稽古に行ってきました 自分の居る三重県では,最強の道場です 自分では経験的には自信を持っています 乱稽古では,3段以上の若い選手にも負けない気迫と経験で押しているつもりです(自己解釈ですが) しかし,一度競技ルールに基づく物になると一転してしまいます←これが悔しいし,ここに経験を生かしたい! 大学を卒業して,稽古量が減りました,確かに26歳前後までは,やはり若さで着いていけたのだと思いますし 稽古量が減った事によって勝負の駆け引きが上手になりました でも最近は,駆け引きを上回る(自分が落ちた)スピードでやられちゃうのですね ここで,なにか策を考えないと足踏みになってしまうと思ったわけです もしよろしければ,体力的なものを凌駕する策の修行の「詳細」を一部教えていただければと思います (Gさんのお礼の場所になりましたが,皆様にお願い申し上げます) よろしくお願いします

  • aribaba
  • ベストアンサー率28% (15/53)
回答No.6

余談ですが自分が強い弱いと思う感覚はもう無くなり体力を衰えないために岩登りをしています。 現代52才で握力65・懸垂も20回は一応・・出来ます。 実戦について、素手で刀相手に負けない方法を考えるのが武術と思います。 相・・木刀との対峙の練習が見切り及び踏み込みの訓練に成ります。 自然に歩くように入れれば良いと思います。 心の在るがままに受け流せる気持ちが技の切れに繋がると思います。 昔より強くと考えあせり訓練をした覚えが在り・・・・・ 力がすべてと考えていましたが技の簡素化が動きのゆるやかな速さに繋がると感じ思っています。

mrtommy
質問者

お礼

こんばんは aribabaさん,凄いですよ!尊敬! 自分は31歳,握力も学生の頃は67kgあったのに 今は55kgですダウンしっぱなし・・・(>_<) >実戦について、素手で刀相手に負けない方法を考えるのが武術と思います その方法わかります いつも,グローブの先には,触れるだけで即死する劇薬が塗ってあると思って練習しています 本当ならいつも即死の状態です←修行が足りん! >力がすべてと考えていましたが技の簡素化が動きのゆるやかな速さに繋がると感じ思っています はい,年齢と共に衰えてくる体力,省エネに勤めそして好機を逃さぬよう心がけます ありがとう御座いました

  • fujishiro
  • ベストアンサー率28% (162/574)
回答No.5

現在、私は大学院生なので朝9時-夜11~12時まで大学にいるという生活をしています。当然、まとまった練習やトレーニングができるわけありません。 よって実験の合間にシャドーとか型の一部とか、空気椅子とか…まったく知らない人から見るとあんた、何やってんの?状態です。 私はこれらの練習をする時、ひとつの技あるいは連携技に徹底的にこだわってやっています。例えば最近は左右のストレートにこだわっています。これには当然、ストレートの前後の技も入っています。いまさら何を…とおっしゃるかもしれませんが、現役(?)時代には直らなかった癖やあるいはコンビなど実際はいろいろ工夫の余地があることがわかります。(わたしだけ?かな?) スパーでも同様でしょう。自分のテーマをもって挑む。もちろんこれはいまさら私が言うことではないとは思いますが。 かならずしも同等のレベルの人間とやるのがレベルアップのかぎとなるわけではないです。 がんばってください

mrtommy
質問者

お礼

こんにちはfujishiro殿 fujishiro殿は現在25歳前後でしょうか?? 自分の全盛期もその当たりにあったように思いますね 半年から2年のブランクも「実戦的な感」という事に関しては短期間で取り戻せる時期でしたね 今はやってもやっても現状維持,環境1つで降下していくものですから・・・辛いです 「かならずしも同等のレベルの人間とやるのがレベルアップのかぎとなるわけではないです」 そうですよね,そうじゃなきゃ師より強い人間は育たない事になりますからね! いかなる環境でも師を越えることが修行ですから・・・ ありがとう御座いました

  • voices
  • ベストアンサー率26% (26/99)
回答No.4

mrtommyさん >実戦的~ って組手の試合に出るのにスパーリングパートナーがいないってことですか?それとも、今通ってる所に行っていて不満かな? 前者であればToshiJPさんのおっしゃる通りになさった方が良いと思われます。 後者であればどうだろ?今まで指導されてきたところでどうすればいいか学んでいると思いますが・・・。 私はもう試合(表演・散打の試合から出なくなって何年かたちます。)出ていませんが、やり方は知っているけど今だ具現化できていないものって色々あります。 が、多分mrtommyさんの場合今プーになってる(フリーター含む)のが原因じゃないでしょうか? 私も約3年前に会社が倒産してそれからついてなくて現在バイトをしてその日暮らしをしている状態なのですが、これは精神上よくない!!!格闘技ってメンタル部分が大きく左右するものじゃないですか?だから多分mrtommyさんもこれが(かなりの部分)原因では?

mrtommy
質問者

お礼

こんにちはvoices殿 そうですね,スパーリングのパートナーがいないです というか居るには居るのですが釣り合わない ジャブで合わせるのが得意ですので左手縛って実戦しようかなと今考えていたところです 出稽古は以前から欠かさないようにしています おかげで三重県では随分名前を覚えていただきました 無職という事が自分では武道に対して重荷になっていないと思ってはいるのですが,気づいていないところであるかもしれませんね 人間の脳って以外に繊細なものかもしれないです! ありがとう御座いました

  • aribaba
  • ベストアンサー率28% (15/53)
回答No.3

良き師匠を見つけるのは難しい問題です。 練習及び精神は我慢と理論の解答を探すことです。 拳ならば、一つの突き・・・足運びを研究しなくてはなりません。 剣ならば、一振りの振りを型と理論を考える事が大事です。 私自身も10何年も空手・合気道・柔道・居合・杖・棒術を習い自分でなっとく・・・・・できず過ごしてました。 仕事の都合で30から一人練習に切り替えるしか方法が無く今までの基本を重視しイメージトレーニング・技の分析とあらゆる武術の本を参考にしました。 精神は強くは成りませんでした。言えることは人と相対した時に殺し合いと思いここで死んでも良いと開き直れば精神の落ち着きができます。 あきらめから始まりが在ります。

mrtommy
質問者

お礼

こんにちはaribabaさん >練習及び精神は我慢と理論の解答を探すことです そうですね,原点や初心に帰ることも必要と思います 自分自信今でもはっきり自覚していえる事は,修行中の身という事です弟子はいるものの,教えているというより一緒に稽古を重ねるライバルでありたいと思っています しかし悲しい事に時は年齢を刻みますので,彼らが強くなるのをこちらは待ってあげられない! 自分には「今強くなりたい!」という焦りもあるのでしょうね >あきらめから始まりが在ります 最近,武道だけでなくあらゆる面でスランプ状態だったのでメンタルヘルスでも質問しました その時に頂いた言葉が「ピンチこそチャンスなり」ということです まさにこの事でしょうか! 環境から諦めるものがあっても,次見出すものもあれば良いですね 今のところ考え付きませんが・・・ ありがとうございました

回答No.2

Gです。 (長くなりそうですので、今のうちにお詫びしておきますね) まず、「師」と言う実在した人物は、いつか自分のもとから離れます。その師が、歴史上の人物であるけど、実際に教えてもらわなかった人物もいるでしょうし(流派の創始者など)、実際に手を取り足を取ってくれた恩師/先輩でもあるでしょう。 しかしながら、残念ともいえるくらい、いつかは、いなくなります。 級と段の違いが出てくる、ともいえます。 級は「独り立ち」がいつでもできるようにする、準備を作る段階、段はいつでも「独り立ち」できる段階、と私は見ています。 独り立ちとは、自分を自分で磨くすべを知り、自分を磨きつづけることが出来ることを言います。 mrtommyさんは、自分を磨いていますよ、今。ask, doubt, challengeの精神を私は道場で教えています。 つまり、聞き、疑惑を持ち、そしてチャレンジに挑む。 これは、師に対してでもあるし、自分に対してでもあります。 つまり、自分状況に対しての疑惑を持っているわけですね。 つまり、自分の道を開こうとしている、つまり、目の前にある壁を何とかぶち壊そうとしている、だから、ここで質問という形で、自分に挑戦しているという事です。 一つ、考えてください。 あなたの最高の師は、その人自身の師が亡くなったからと言って、トレーニングを止めたでしょうか。それとも、自分以上の師を探し求めたでしょうか。 それとも、自分に対する挑戦、つまりは、自分を磨く機会、は自分で作るものだと、言う事に気がついたのでしょうか。 自分より上の実力者がいないということは、自分を磨けない、ということとは同じ事ではないですね。 それが、実践的なことであろうと、精神的なものであろうと。 私は、自分の回りがすべて、自分を磨ける機会と感じていますし、そのように弟子にも、生徒にも教えているつもりです。 何を言おうとしているのかというと、実力とはなんなのか。ということを考えてみてください、ということなんですね。 275000個の要素をいかにうまくリンクさせるかが実力なんですね。 俗に言いますね、教える事によって、自分も教えられている、と。 本当だろうか。 教える事によって、自分も教えられる、ということは、十分教えられる立場ではない、ということなのではないだろうか。と感じる事によって、教える事によって、自然に自分も教えられるのではなく、教える事によって、自分に対しての疑惑を持ち、それを何らかの形で自分なりの回答を出すから、結果としては自分を教える事にもなる、ということなんですね。 (何か、すごい回りくどい言い方をしてしまいましたが) つまり、教えて教わる以上の事を師を亡くした師たちはしてきたのですね。 もし、組み手をするのであれば、例え自分よりも明らかに実力のないものにたしても、自分に対し挑戦をする、ということなんですね。 相手には、「よし、左手だけで戦ってやろう」というのではなく、いわずして、自分で左手だけで戦う、右手はいつも使える準備をしておく。 相手が「ああ、左手だけで戦っている」と感じさせてはならないのですね。 自分にハンディーを与えるという物理的な挑戦だけでなく、相手に心理的な判断もさせない、という実力を、自分より実力の低い相手から習える、ということですね。 五輪の書など、理論的書物からも、知識として読むのではなく、数行の文章から(現代訳であろうと)、自分を見つめる事によって、トレーニングとときに使える要素を引き出すこともできるのですね。 例えば、地の巻の、「此一流ニ刀と名付ける事」で「命を捨てる時は、道具を残さず役に立てたきもの也。 道を役に立てず、腰に収めて死すること、本位にあるべからず」。とあります。 普通これは、刀は二本持っているのだから一刀流ではおかしい、二本の刀を使いなさい、と訳されています。 物足りない訳ですね。 道具とはなんなのか。 もう一本、腰にある刀の事か。 まさか、五輪の書にはちゃんと275k的な、いろいろな要素を教えようとしています。 それなのにもかかわらず、もう一本の刀を使いなさい、では、車を買いなさい、通勤に使えますよ、そして、通勤だけではなく、たまにはガールフレンドとドライブをするべし、といっているようなものです。 自分に与えられた、また、トレーニングしてきた車の全てを使う事によって、自分の車という事が車が自分の一部にならなくてはならない、といっているんですね。、とこの文章を読んだときにするのです。 つまり、自分の全てを出し切ることが、すなわち、「本位」だということですね。 そして、この文章を読んで、この解釈をしたときに(五輪の書は考える機会を作るものであって、読んで覚えるものではないと信じています)、これを実際のトレーニングに使うのです。 どうしたら、自分の全てを出し切ることができるのか、出し切る事がまた、実力のひとつだという事がわかりますね。 ということは、実力には、いろいろな実力の要素があり、それを無意識に出せるようにトレーニングする事によって、実力が素人では考えも及ばないものになる、ということなんですね。 先日、拳銃の話が出ましたが、全てを出し切って、拳銃をもった相手と戦えば、そんなに難しい問題ではないのですね。 全てとは? この全ての中には、拳銃に対する恐怖というものをどのようにコントロールするか?間合いは? 心理的誘導は? 物理的誘導は? 事実を証言してくれる人の存在は? また、拳銃に対する知識も必要ですね。 あらゆる武器(人間の体を含めて)には、弱点があります。 自分の弱点を知り、それを意識的に向上させる事も必要ですね(自分の弱点を認める)。ここにはとても全ては書けませんね。 実力は自分で作るもの。 それが唸る野良犬に対しての自分の反応に気がつくことでもあるし、K-1を見ていて自分をその参加者の一人として見れるようにビデオにとり何回も何回も見ることでもあるし、満員電車の中で自分にかかってくる回りの人の体重の大きさと方向を感じ取る事でもあるし、ドアを開けるときに自分の体の動き、力の入れ方、立ち方、運足等の改良、また、ドアの向こう側の雰囲気の察知、歯を磨いている時に同時に髪の毛の手入れをすることでもあるわけですね。 そうすることによって、275kを磨く事が出来、実戦(試合でも)には、無意識に自分の全てがでるようになるわけですね。 ここではあまりにも紙面がなさ過ぎます。 また、言葉による伝達なので、私の日本語がちゃんと伝わっているか少し心配ですが、はっきりしないところはまた補足質問なり、新規の質問をしてください。 待っています。 やはり長くなりましたね。 ごめんなさい。 これでいいでしょうか。 分からない点がありましたら、補足質問してください。

mrtommy
質問者

お礼

こんにちは,Gさん 自分のしている拳法は,実戦的な要素が多く(Gさんの言われている実戦には遠く及びませんが)ボクシングやフルコン空手のように体力的引退地点と言うものが年齢的に早い時期にやってきます 275Kのうちのごく限られたシチュエーション(自分の拳法でのルールなど)になりますが,若い実力者に対して通用しなくなっていきます,ならば275kの他の要素をと思うのですが,所謂お決まり拳法の中では「実戦実力」こそ井の中ではありますが「実力」と呼べるものでもあるのです また,技能的に師と呼べる人は少なく,ひたすらライバルや同期,同門などのライバルと呼ぶ人たちとの中で身に着けてきた実力でもあります 基本は通じているものの我流と言った所ですね^^もちろん今までに技を教えてもらう師はおりましたし,今も身近にいます 居ないのはライバルとも呼べる実戦実力のある師です,いや師でなくても構いません,同士です! ブラウン管,雑誌,そして技の師からは独学で教わる事可能ですし自ら研究もしています しかし,それを応用するための手段が無いのが今の大きな悩みですね だから,言われている様な自ら100%以上出せる練習を考えていたのです(例えば先日の1対複数の質問などですが) しかしながら,Gさんの回答いただいて見えてきている事もあります 現在四段という身分です,これは何年か前に実力で習得したものです,今でも若い三段や二段相手に戦えますが以前あったような四段としての貫禄(=実力ともとられます)が無くなりつつあります,自分より若くて実力が伸びない選手も五万といる中でずうずうしいわがままですが,やはり上り詰めた実力を終わらせたくない!維持したい!更に向上したい!という気持ちが退きません まだまだ精神修行も足らないのでしょうね もう少し考えて見ます ありがとう御座いました

  • ToshiJP
  • ベストアンサー率38% (482/1255)
回答No.1

こんにちは。 ちょっと回答から外れるかもしれませんが・・・地元につりあう相手がいない、ということですが、例えば車で1~2時間以内に、電車で1~2時間以内という範囲でもダメなのでしょうか?いい先生がいるというのであれば、私は足をのばしてでもそこへ行きます。行っていました。 上を見て努力するから伸びる。ライバルがいて切磋琢磨するから伸びる。それがわかっているなら、捜索範囲を広げてみるのも手だと思いますがどうでしょうか?一人で実力を伸ばすのは天才と呼ばれる人間でもない限り難しいと思います。極めきってもう上がいないというのは別ですが。 私はアメリカ留学中に、ものすごい田舎町に住んでいて、日本にいたときにやっていた空手の道場がなく、困り果てていました。でも車で1時間半ぐらいのところの町にいい先生がいると聞き、週に2回は車を飛ばして通っていました。

mrtommy
質問者

お礼

こんにちはToshiJPさん 世の中には「センス」や「天性」のある人と無い人がいると思います,そしてそれらは自分には持ち合わせていないものでもあります 武道を始めてしたのが13歳のとき,それから疑問や実戦を積みたい気持ちから転向もありました 今でも,1時間以上かけて出稽古は欠かさないようにしています でも日常ではないのですよ!やはり継続できるには環境も大事な要素と思います >一人で実力を伸ばすのは天才と呼ばれる人間でもない限り難しいと思います 自分はこの意見には反対です!先ほどにも書きましたが 自分は天才ではありません,今まで武道やスポーツを通じて「努力に勝るもの無し」という言葉があります 今もこれを信じて頑張りたいと思います ここで質問する事によって必ず何かの答えが見つかると信じております しかしToshiJPさんのおっしゃる方法も努力であると解釈します ありがとう御座いました

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