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人間をちいさくちいさくまる~くしていったら

最後に残るのは、何だと思いますか? なんてゆう感情、、、ってゆうんかな。。。。。。。。。 んぅ。。

みんなの回答

  • mktoolll
  • ベストアンサー率22% (20/88)
回答No.7

ちいさくまあるくしても、消滅するという前提無しに考えるなら、結局人間のままじゃないですかね。 私は、私の細胞一つ一つには一つにつき100億人の人間が住んでると思ってますし・・つまり小さな人間の集合体が私であると。

  • alchera
  • ベストアンサー率45% (209/457)
回答No.6

質問の表現に思いっきり引きずられた答えですが。 人間をちいさくちいさくまる~くしていったら 卵になります。 卵のなかには(可視か不可視かは問わないとして) 幸せな人間(の素)が眠っています。 幸せな人間の幸せな理由は、世界全てが可能性に満ちているから。 だから、卵の中につまっているのは夢です。 卵の中で夢見るだけで終わってしまうかもしれないし、 夢に向かうために目を覚ますかもしれないけど、 卵の中には夢。

noname#3511
noname#3511
回答No.5

こぼれるんじゃないか? 零れる感情。 小さくまるく、なればなるほど感情がこぼれるんだと思う。それで、すぅぅーーって、感じ? なんでしょう?   もう一つ。 スイスイ。なんか、静寂の水面を、スイスイしてる感覚。 まだまだ、小さくまるくなれるな。 今晩やってみよう。それでなんかあったらまた来ます。 でも、なんか成りたいって思うかも。

  • ykkw_2001
  • ベストアンサー率26% (267/1014)
回答No.4

「愛」かも・・ お金も名誉もいらない、服や住むところだってなくていい 最後は自分の命さえ・・・ でも、あの人だけは大切にしたい なんてね。

  • meguring
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.3

「生きたい」という感情なんじゃないかなって思います。 人間にはタナトスという死の願望があるのにもかかわらず、ちいさくちいさくまるく・・・という生き難い状況でも生きていたとしたら、それはもう、生に対する執着しかないのでは。 と私は考えます。 まあ、ちいさくまるくしなくても同じような感じもしますが…。

  • kigineco
  • ベストアンサー率28% (30/105)
回答No.2

小さく小さく、丸くしていったときの感情ですか……。 「無」という感情になるのかな。 なあんだ、ワシはたったひと粒の素粒子だったのか。 オヤ? よくよく見れば、あそこに転がっている石ころも、裏のバカネコがこいていったホカホカのこぎたてウンコも、みんなワシと同じ、たったひと粒の同一の素粒子からできているではないか。 ウンコとは同じとは参ったけれども、素(もと)が同じってことは、ワシがあのウンコになっていてもおかしくはなかったのかもしらんな。 つまり、周囲に存在しているもの、いや、森羅万象あらゆるものと何の差違も感じなくなるという意味での「無」の感情が残るのかな、と思います。  

回答No.1

快と不快でしょうね。 人間の感情は、そこを原点にして、嬉しいとか気持ち悪いとか 分化していくそうですから。 人間という存在を一言で言い表すのなら、「いのち」かな。 曖昧な表現で、解釈に幅がありますから あまり参考にならないかもしれません……(-.-;)

monti55
質問者

お礼

快と不快、、とゆうことは 快も不快も裏を返せば?(表でもいいけど) 同じ、、とゆうか表裏一体、、これは違う、、 同じ源泉から供給されてる、ということですか?? なんだか解るな。。 不快な気持ちの実は裏に、それとはまったく感情を 持ってる自分に気付いてしまったり、、とか あるしな。。 ありがとうございます。

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