- 締切済み
高校球児は、試合に負けるとなぜ泣くのか?
今年も暑い、高校野球の夏がやってきました。 地方大会も大詰めですが、前から、どうにも解せなかったことがあります。 高校時代に野球部にいて、地方大会で負けた後、泣いたことのある人達と、在校生で球場で応援していて、負けた後、泣いたことのある人達に質問です。 試合に負けた後、ナインが少なからず泣く訳が理解できません。なぜなんでしょうね? もし、これが、泣くのが3年生だというのなら、私にもわかります。 好きな野球をやれて、自己の内面的燃焼を実感できる、高校時代という、もう2度とない最後の機会がこれで終わるからです。そう言う意味で、自分の青春との「お別れ」でもあり、また「葬式」でもあるからです。彼らの中には、泣きながら、心の中で、「さようなら、ありがとう」とつぶやいている人がいるかもしれない。それで泣くのなら理解できますが、そうじゃない立場の、特に3年生以外の、部員や在校生まで、なぜ泣くことがあるのだろうかと、いつも疑問に思うのです。 もし、単なる「悔し泣き」なのなら、それじゃ、将棋でもテストでも、負けて悔しければ泣くのかと言えば、そんなことはないでしょう? だから、あの泣く訳がわからないのです。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
一体感が生まれています。応援する人、在校生含めて選手と一緒になっているという感覚があります。大きなイベントほどあるようです。 あくびが連鎖するという現象と同じだともいます。相手のことを思いやれる人ほど、他人のあくびと同調するそうです。 個人プレーではなく、学校という単位で甲子園を目指しているのです。私が在校生の時に甲子園へ出たことがあります。甲子園へ応援に行きました。泣きはしなかったですが、選手と一緒になっていた感覚がありましたよ。
- e-toshi54
- ベストアンサー率22% (728/3265)
近くに球場があり、裏手で父兄が見守る中(多分)負けたチームが思い思いの姿勢で泣いている光景に遭遇したことがあります。 第三者から見ると、何かセレモニーのような感じを受けました。嫌な感じではないですが。 自分も泣いてすっきりし、次に向けて頑張ろうと思ったことがありますから、人間、機会があれば泣いていいと思います。所謂「カタルシス」という心理現象ですね。 因みに、将棋で負けて泣いている小学生も見たことがあります。いいんじゃないですか。その後努力するでしょうから。
お礼
そうですか。しかし、質問していることは、泣くことの是非ではなく、なぜ泣くかという、理由についてです。質問にも書いてある通り、この場合、特に3年生以外で、泣いたことのある人の理由についてです。 別にいい悪いを聞いているわけではありません。
- nishikasai
- ベストアンサー率24% (1545/6342)
性格の問題ですね。 すぐ泣く人はいます。三年生でなくても自分のエラーで逆転負けしたりすると泣く球児は多いです。将棋で負けて泣くというのは滅多にありません。将棋というのは遊びだし、母校の名誉がかかった大試合ではないし。次にテストですが、テストの重要度にもよりますが、入学試験で落ちて泣く人はいると思いますよ。ただまあ、頭脳の戦いというのはあまり泣きません。肉体の戦いの場合は泣く人が多いですね。肉体を酷使すると感情がストレートに出るのかな? 頭脳を酷使するとクールになるのかも?
お礼
ありがとう。なるほど。 確かに、「申し訳ない。」という思いで責任を感じて泣くということも、ありえますね。
お礼
なるほど。確かにそういう一体感は、そういう状況でないと生じにくいから、そこでしか経験できないような、独特のものがあるでしょうね。