- ベストアンサー
冤罪について
足利事件が冤罪であることが,発生しましたが,この冤罪の発生と犯罪の時効化に地裁の不作為,あるいは判断ミスが大きく影響しました. このようなことが再び発生することにないように,国民としては,是非してほしいとおもいますが,このようなことを行政訴訟,並びに関係した裁判官の反省を強く促すようなことは法的に可能なのでしょうか. このような事件が発生して,検察,裁判から何らのコメント(最高検を中心に内部で見直しを行う旨の報道はありましたが)もないのは,民主主義国家としてあるまじきことだと思っております. 民間,例えば,医者の世界で誤信で人が亡くなるような重大事故につながった場合,少なくとも関係者は記者団にその状況を説明することが最低でもなされますが,この落差はあまりにも大きすぎるように思います. これで民主主義国家なのでしょうか.
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
おおむね適切な回答が出ていますので、あまり付け加えることはありませんが… 仮に裁判官が何らかの過失を犯し、ある人に損害を与えた場合、損害を受けた人が賠償を請求できるのは裁判官個人ではなく国家です(国家賠償法1条1項) で、法的責任を問えるような「過失」とは何?って話ですが、 当時の裁判の責任を追及するとすれば、単に「間違いを犯した」ではだめで、「その当時裁判官が置かれていた状況で、するはずのない間違いを犯した」まで言えないとだめです。 で、他の回答者が話しているような捜査段階からの透明化というのは冤罪を避けるうえでは大切なんですし、私も個人的には賛成しますが、人権に最大限配慮した捜査、訴訟進行というのはどうしても進捗の遅延につながります。 一見、捜査や裁判が遅いときに世間が「なぜ時間がかかっているのか」をきちんと把握してくれればいいのですが、たいていは「遅い」「時間がかかっている」ことだけに目くじら立てて批判しているのが実情でしょう。 判断の誤り・冤罪は、捜査、裁判をする人間が完全無欠の超能力者でない以上ゼロにはできないでしょう。できるのは冤罪を「減らす」ことです。 そして、私は冤罪を減らすのにもっとも大切なのは一般市民の法意識だと思います。 その意味で、 >これで民主主義国家なのでしょうか. 一般市民がどこまでこの国が民主主義であってほしいかにかかっているでしょう。
その他の回答 (2)
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
裁判は適正に行われいるため、法的な訴訟は出来ません。 それよりも国民として行うべきなのは、「権力の監視」です。取り調べ過程の全面可視化、警察・検察の証拠の全面開示、DNA鑑定などの科学的捜査の試料(血液や体液など)の保存と弁護側への提供、など警察・検察が勝手に話を作れないようにすることがとても重要です。 そのような法案を提出してくれる政党を選んで選挙で投票し、法案を成立させればこのような事件が起こりにくくなります。 法治国家である以上、警察・検察は国民が管理すべきものだからです。
お礼
返事が遅くなりました.ご回答有り難うございました.
- 02jp
- ベストアンサー率19% (76/397)
誤認逮捕から始まり、強引な自供などや、微妙な証拠品 警察の資料や検察が原因で裁判官には罪は無いと思う。 足利事件はかわいそうな事件です。
お礼
返事が遅くなりました.ご回答有り難うございました.
お礼
返事が遅くなりました. ご回答有り難うございました.