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「ら」抜き言葉

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回答No.4

>>「捨てれる」「捨てられる」を挙げたら、 >>「意味の違う言葉だ。」と言われてしまい、 この例を使って説明しましょう。 「捨てる」は現代語では下一段活用(古語では下二段活用)をする動詞で、次のように活用します。 捨て-ない 捨て-ます 捨て-る 捨て-るとき 捨て-れば 捨て-ろ 「捨てられる」は、「捨てる」に可能をあらわす助動詞「られる」がついたものです。 そして、「られる」は、上一段・下一段・カ行変格活用(以下カ変)の動詞の未然形(「捨てる」なら「捨て-」)につく、という決まりがあります。 上一段・下一段・カ変などというとむずかしいですが、たとえば次のような言葉が該当します。 上一段 … 見る、着る、起きる、下りる など 下一段 … 捨てる、受ける、出る、逃げる など カ変 …… 来る 上に挙げた例のような動詞に「-れる」を付けるのは、だから本来おかしいのです。 でも、どの動詞に「-られる」を付けなければいけないのか、一つ一つ覚えるのは大変ですよね。 そこで簡単な見分け方を紹介しましょう。「~ない」を付けてみるのです。「捨てない」とか「来ない」とか「見ない」とか。このとき、「ない」の直前の文字が「ア」段でなかったら、その語には「-られる」を付けなければいけません。 しかし、nanazouさんの「ら」を抜いてしまった人にはこんな意識があったんでしょうね。「それじゃ、可能と受け身の区別がつかないじゃないか!」と。 私の大切にしていた花を人に捨てられる。(受け身) 私は何でも思い切りよく捨てられる。(可能) どちらも「捨てられる」じゃ、どっちがどっちかわからん。だから可能の方は「ら」を抜いて「捨てれる」にしよう。…ということで生まれたのが「ら抜き言葉」なわけです。国語学ではこういうのを「同音衝突の回避」などと呼んでいます。つまり、違う意味なのに同じ発音な言葉があると、自然にそれを避けようとして言葉が変化する、という現象です。こういう例は歴史上にいっぱいありました。 今は「ら抜き」は正しい国語ではないとされています。でも、そういう法則があることを考えると…何十年か後にはどうなっているかわかりませんね。

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