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イエスを殺したローマ人の国にバチカンとは
キリスト教に興味があって調べていますが イエスはローマ人に殺されましたが、そのローマ人の国 イタリアの中にローマ法王の住むバチカン市国があるというのが いまいち理解に苦しみます。確かにローマ皇帝が キリスト教をローマの国教としたとはいえイエスはローマ人に 殺されたという事実は消えないはず。 たとえるならば沖縄の人を殺戮したアメリカ軍が今なお沖縄に 駐留しているという割り切れない気持ちと言いますか。 キリスト教徒はローマ人を憎んでもいいのではないかと思うのですが 私の考えは間違っているでしょうか?
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- michael-m
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バチカン市国のある場所は、元々ローマの外れで人もあまり住まなかった場所。キリストをして「私はこの岩(ペトロのこと)の上に教会を建てる」と言わしめた弟子のリーダー的存在でもあり、聖書の中で「天国の鍵を預かる」とも言われている聖ペトロが殉教した地でもあります。 市国は国王が彼の墓地に立てた教会が始まりです。だから最初から国を建てたわけではありません。 ローマは当時の支配者ですが、ユダヤ人でありながらユダヤの教えを批判した事でユダヤの司祭らがユダヤの裏切り者としてキリストを訴え、処刑されたものです。 そのため、ピラト自身も本音としては処刑したくなかったようで、様々な減刑の画策をしたと習いました。 だから、なぜローマに本山があるのかという疑問よりも、なぜキリスト教の国々が、キリストが批判し、キリストを処刑したユダヤの国であるイスラエルを援護するのかと言う方が疑問だし、 ユダヤ教の影響力による世界情勢はキリストが処刑された時代となんら変っていないのではないかと思います。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
大事なことに気がつきましたね。 これはとても重要な内容ですので、できるだけわかりやすく説明します。 キリスト教の教義では、人には原罪があり、生まれながらにして罪びとであると教えます。 しかし、キリストを信じることで、その罪はあがなわれ救いを受けると説くわけです。 ここで重要なのは、キリストを信じれば誰でも救われるということです。 この誰でも救われるということを実証するには、もっともキリスト教を迫害した国家や民であっても、キリストの教えを受け入れれば救われるのだということを示すのが、もっとも効果的です。 新約聖書では巧妙にごまかしていますが、イエス・キリストを十字架にかけたのはローマ人です。 だから、そのローマ人ですら救われるのであれば、その他大勢の民も救いの対象になるという論法が成り立つということです。 キリスト教は本来、敵をも許し愛する愛の宗教です。 現代において、その精神がどこまで残っているか疑問は尽きないかと思いますが、キリスト教が発祥した時代においてはまさしくそうでした。 その精神を後世に伝えるためにも、キリスト教の中心地は彼らを一番迫害したローマの地から移ることはできないのです。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほどそういう考え方もできますか。 というよりその頃のヨーロッパを支配していたのは ローマ帝国なのですから、キリスト教を国教にする影響力は 絶大ですよね。考えてみればずっと迫害していた宗教を 国教にするというのは大変革ですよね。
- char2nd
- ベストアンサー率34% (2685/7757)
ローマ人は死刑を執行しただけで、イエスを死刑に導いたのはユダヤ人です。 http://www.ne.jp/asahi/fuse/abraham/europe/bible-story/bible-jesus/bible-jesus.htm
お礼
回答ありがとうございます。 その認識つまりイエスは同胞にはめられたというのは 全キリスト教信者共通の認識なのでしょうか?
キリスト教が公教・国教になった時にイエス・キリスト布教団は失せ、 ローマ帝国が支配する全く別の教団へと変わった。 その時に権力側に付いた者は優遇され、反対した者は粛清されたので、 何の矛盾も無いのです。
お礼
回答ありがとうございます。 興味深いご意見ですね。それは本当の事でしょうか? どのようにローマ帝国に都合の良い教団になったのか 知りたいものです。
お礼
回答ありがとうございます。 ユダヤの裏切り者がイエスですか。 あなたの言っている後半3行はなかなか興味深いですね。 アメリカの場合はユダヤ人の「金脈」の影響力だということは聞いたことがあります。