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観戦武官

 『坂の上の雲』などに観戦武官の話がありますが、観戦させる側のメリットがわかりません。第三国の専門家に軍の内情を明かす目的は何でしょうか。  また、観戦武官の起源と、いつごろまで続いたのかを教えてください。

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  • hukuponlog
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回答No.3

観戦武官という制度は、ナポレオン戦争時代にはその萌芽が見られます。ナポレオン軍というのは、中期以降は占領国の寄せ集め軍でしたから、連絡武官という形で司令部に各国士官が駐留します。その中に、中立国(というか直接軍隊を出していない国)の軍人も入っていました。彼らは、母国に戻るとその戦争を詳細に記録し、同時に組織的に研究したわけです。 この制度が生まれるためには、いくつかの前提条件が必要です。 ・傭兵軍ではなく国家の軍隊があること ・用兵、兵站を研究する参謀組織があること ・士官学校制度など、高級士官の育成制度があること ・国家間に条約制度、外交制度、戦争に関するルールがあること こうした条件も含めて考えると、19世紀前半に発足し中葉には確立した制度と考えるべきでしょう。日本では早くも1870年(明治4年)の普仏戦争に大山巌(!)が観戦武官として派遣されています。 この制度が下火になったのは、第一次大戦以降です。この戦争まではまだ観戦武官が派遣されており、現に日本もヨーロッパ戦線に送り込んでいます。下火になった理由は、国家総力戦の時代となり、個々の戦闘の敗北が戦争自体の敗北を意味しなくなった(大会戦主義の終焉)こと、航空機・通信輸送手段の進歩で、戦線が拡大し、観戦武官制度では戦争の全体像を捉えることができなくなったこと、などからでしょう。 ただし、形を変えた観戦武官制度は現代でもあり、湾岸戦争の時には自衛隊からも臨時の駐在武官という形で人が派遣されています。現代の観戦武官は戦術・戦略研究ではなく兵器(装備)の有効性・効果を確認するのが主目的です。例えばパトリオット迎撃ミサイルがどの程度有効か、などというのは実戦で使ってみないと分かりませんからね。 メリットは戦争当事国にはあまりないでしょうね。外交上の相互主義というか、当時は帝国主義の時代ですから、自分たちの国だっていつお世話になるとも限りません。また外交上の配慮という側面もあったと思われます。日露戦争で日本が受け入れた観戦武官はイギリスが圧倒的に多く、しかも待遇も他国とは違っていたようです(A Staff Officer's Scrap-book during the Russo-Japanese War)。

sibex
質問者

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 ありがとうございました。

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  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (817/3046)
回答No.4

一言で言えば慣習なのでしょうが、観戦武官を乗せるメリットとなると、自国の勝利を母国に宣伝させるためでしょう。 私は未読ですが、坂之上の雲になら、戦時に外債を募集する困難さが出てくると思います。そういったときに母国に勝利を伝えさせることができれば、大きな意義があります。 負ける(死ぬ)可能性が多きい戦いに観戦武官を送り込むケースはそうありませんし。 戦費調達に苦労しないケースでも、講和条約を結ぶときに、他国や国際世論において自国の勝利が広く詳細に伝わっていれば有利になります。

sibex
質問者

お礼

 ありがとうございました。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.2

観戦武官という制度は、19世紀後半には存在しておりました。例えば米西戦争のキューバでの戦闘を日本海軍の士官である秋山真之が観戦し、詳細な報告書を送っています。 また、第一次大戦では、ユトランド沖海戦で、イギリスの巡洋戦艦に乗っていた日本の観戦武官が、その巡洋戦艦がドイツ海軍の砲撃で轟沈した時に戦死しています。 第一次大戦より後の戦争では、「観戦武官」と言うものの存在は聞かなくなります。 例えばビスマルク追撃戦に参加したイギリス戦艦に、当時は中立国であったアメリカの士官が観戦武官として乗っていた、といった話はありません。支那事変で、アメリカやイギリスの陸軍将校が観戦武官として日本軍に参加していたと言う話もありません。 よって 「観戦武官という制度は、19世紀半ば頃に自然に発生し、第一次大戦の後、第二次大戦の前に自然に消滅した」 と言えるのではないでしょうか。 なお、観戦武官というのは「外交官」ではありません。各国が海外に派遣する「駐在武官」とも違う存在です。 国際法上「観戦武官」について深く研究した人はいないと思われますが、強いて言えば 「国家間の相互主義により、互いの軍隊が実戦を行う際に、観戦武官派遣の申し入れがあれば承諾し、可能な限りの便宜を図る国際慣習があった」 ということになるでしょうか。 「メリットが云々」というよりも「観戦武官派遣の申し入れには応じるのが国際常識であった」ということです。 現在でも、例えば日本の陸上自衛隊の将校がイラクやアフガニスタンでの戦闘に観戦武官として参加したいとアメリカ陸軍に申し入れれば、拒否はされないのではないでしょうか。ただし、そのようなことをせずとも、CNNなどのマスコミがリアルタイムで情報を提供してくれますから、わざわざ観戦武官を派遣するより、マスコミの報道を詳細に分析した方が効果的でしょうね。 各国陸軍の観戦武官が、日露戦争の満洲軍総司令部などに随行して観戦している様子については、例えば下記の本に詳述されています。 著者は当時日本に滞在していたイギリス人写真家で、自身が満洲軍総司令部に随行して写真を撮影し、日本軍将校と交流しています。 「英国人写真家の見た明治日本」講談社学術文庫 http://www.amazon.co.jp/dp/4061597108/

sibex
質問者

お礼

 ありがとうございました。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.1

>観戦させる側のメリットがわかりません。  観戦武官は平時は駐在武官(戦時に観戦する為だけに送られる人もいるでしょうが)として該当国に駐在し、駐在国の軍事情報を収集する事を許しており、戦時だからといって収集するなと言う訳にもいかないでしょう。    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%90%E5%9C%A8%E6%AD%A6%E5%AE%98  駐在武官は外交特権を持っていますから、戦場の視察を防ぐ為に逮捕・拘束する事が出来ません。  防ぐ為には、ペルソナ・ノン・グラータ[好ましからざる人物]として本国に送還するしか方法は有りません。    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E7%89%B9%E6%A8%A9  観戦を事実上防ぐのが困難であるのなら、自由に動き回られるより接受国の目の届く範囲においておく方が安全(保護義務も有りますし)だと思いませんか?  また、中国とインド or ロシアなど少々問題を抱えてる国同士が、共同で軍事訓練を行ったり、双方の軍事教育機関に留学生を受け入れたりする事で、信頼感や正しい情報を共有し、不信感や情報不足による偶発的な紛争を防ぐことも行われています。 >いつごろまで続いたのかを教えてください。  駐在武官制度は、19世紀頃に各国で制度として認められ、現在でも存在(自衛隊の場合「防衛駐在官」)しており、観戦武官という制度も現存していると思いますが…。  まあ、現在では主要国が交戦状態に入れば、リアルタイムでマスコミが世界に配信しますから、過去の様に状況を伝えるのが各国の観戦武官だけという訳ではないので目立たなくなっただけだと思います。  (観戦武官が集めた情報は、機密として管理されるでしょうし。)

sibex
質問者

お礼

 ありがとうございました。  質問はあくまで戦時の観戦武官であって駐在武官ではありません。

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