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京極夏彦「塗佛の宴」の巻頭の言葉について
京極夏彦の「塗佛の宴」を読んでいます。 「支度」の巻頭の「鬼神の徳たるや盛なるかな。視れども見えず、聞けども聞けず」は、出典は分かりますが、 「始末」の「混沌既に死して一万年、独り太模を抱いて存う」は分かりません。 出典とかはありますか。あと、意味も解説して頂ければ嬉しいです。 どうしても気になるので、よろしくお願いいたします。
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- euchronia
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出典は分かりませんが、参考になるかもしれない話があります。ご存知かもしれません。 荘子の内編、応帝王の最後に 南海の帝をしゅくと為し、北海の帝を忽(こつ)と為し、中央の帝を渾沌(こんとん)と為す。しゅくと忽と、時に相与(あいとも)に渾沌の地に遇(あ)う。渾沌、之(これ)を待つこと甚(はなは)だ善し。しゅくと忽と、渾沌の徳に報いんことを謀りて、曰わく「人皆七竅有りて、以て視聴食息す。此れ独り有ること無し。嘗試(こころ)みに、之を鑿(うが)たん。」と。日に一竅を鑿つに、七日にして渾沌死せり。 とあります。 ぶっちゃけていうと、 むかしむかし中央に渾沌(こんとん)という神様がおりました。南の海の神様しゅくと北の海の神様忽(こつ)が渾沌の家に遊びにいくと、渾沌はものすごいもてなしをしてくれました。しゅくと忽は渾沌に恩返しをしようと、「人間はみんな七つの穴があって、見たり聞いたり食べたり息したりしてるんだ。渾沌は目も鼻も口もないのっぺらぼうだから、さぞかし不便だろうね。試しに渾沌に穴を開けてあげたら、人間みたいになっていいんじゃないか」と話しあいます。二人が一日に一つずつ穴を開けていくと、七日目に渾沌は死んでしまいましたとさ。ちゃんちゃん。 教訓: 人間はいつも見たり聞いたり喋ったりしているけれど、五感を使って余計なことに首を突っ込むよりは、渾沌のように無為無策でいることが一番いいよ。 ということらしいです。 山海経(せんがいきょう)の西山経にも帝江という歌や踊りの上手い神様の話があって、渾沌として無面目(のっぺらぼう)だという記述があるので、結構伝わっていた伝説なのかも。 大分昔に読んだので記憶があやふやですが、塗佛の宴って京極堂がいつもにも増して出無精だった話な気がします。余計なことに関わって死んだ(死んでないって!)関口君を忍ぶ心境なのでしょうか。しかし太模ってなんだろ。
お礼
渾沌の詳しい話、ありがとうございます! 混沌はのっぺらぼうでしたか… やはり太模はわかりませんね。 関口よりも、「支度」での木場に関する描写のほうがひどいと思います。 何度も「○○が木場を見たのは、それが最後である」と書かれていて、 木場が死んじゃうのか!と心配しちゃったじゃないですか。 ご回答ありがとうございました!