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甲幹候を経ると予備役陸軍少尉任官と同時に正八位ですか?

学徒出陣の陸軍甲種幹部候補生制度による少尉任官者について質問させていただきます。 1.官等級について 兵科が歩兵の場合、 「予備役陸軍少尉」で正しいでしょうか? 「予備役陸軍歩兵少尉」や「陸軍予備役少尉」は誤りですよね? 終戦間際において、兵科の少尉は全て陸軍少尉だったのですよね? 2.位記について 予備役陸軍少尉任官と同時に「正八位」が叙位されたのでしょうか。 退官後の昭和二十年九月一日付で宮内省から正八位の叙位通知が届いた甲幹候出身少尉もいらっしゃったようですが、任官と叙位にはタイムラグがあったのでしょうか。

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回答No.1

> 1 官等級について  予備役将校に関する公文書および予備役将校所有の軍隊手帳などにそれらの表記がされているという点では、「予備役陸軍歩兵少尉」「予備陸軍歩兵少尉」「予備役陸軍少尉」「陸軍少尉」は誤りとはいえません。「陸軍予備役歩兵少尉」や「陸軍予備役少尉」という表記は見たことがありません。ただしそれが誤りなのかは判りません。  終戦間際においてというか、兵科区分廃止後は憲兵科と各部を除いて「陸軍少尉」だったわけです。 >2 位記について  位階については勅令によって「在官者及在職者」に叙すとなっているわけですから予備陸軍歩兵少尉の場合には任官直後(約半月後ぐらい)に「正八位」が奏授されました。       

famista87
質問者

お礼

たいへん勉強になりました。今回も事実をもとに詳細なご教示をいただき、まことにありがとうございました。とても助かりました!

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