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ヨハネによる福音書からの疑問:なぜ腿を兵卒は砕く必要があったのか?
ヨハネ福音書から疑問をもちました。イエスがほかの2人とともに磔刑を受けたあと、兵卒が調べに来ました。ほかの2人はまだ生きていたので、腿(もも)を打ち砕いた、とあります。イエスはすでに死んでいたので、腿を打ち砕かなかったそうです。 なぜ「生きていたら腿を打ち砕く」必要があったのでしょうか?
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イエスキリストは既にヨハネ19:30で息を引き取られました。 ですから、19:30から新約聖書が始まります。 遺言は遺言された人が無くなってからその効力が発生するからです「ヘブライ9:15~17」。 一ヶ月前に読んだのですが、イランで石叩きの刑が執行される最中、一人が逃げてしまいました。 足を砕く事はこのようなことが無いように確認処刑をすることです。 単なる足砕きだけでは無く、梯子みたいなものに上り、鉄棒のようなもので止めを刺すことです。鉄棒が顎に当たると顎の骨も砕かれるでしょう。 そのまま放って置いても死にますが、死体は汚れたものであり、そのようなものが祝日の過ぎ越し祭に道に無いようにするためです。 ユダヤ人の一日は午後6時から始まります。即ち、私達の24時が彼らには6時です。 だから、6時までは死体を片づけて祝日を迎える思惑がありました。 回答の中には、質問の的を外れ過ぎてしまい、人の足が男根「ペニス」の比喩だという正常な人からは見られない気狂った答弁もありますね。 そのような者はGOOから追い出す特別な措置が必要だと思います。 汚れた言葉によって人の知りたい意欲を殺ぐ行為は赦されるものでは無いと思います。
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- kigurumi
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うーん。 新約聖書のイエスの言葉は、恐らく全部旧約聖書にも載っていると思えます。 イエスのエピソードのいくつかも、旧約聖書に書かれたことを再度取り上げていると気付きました。 で、なぜ二人の足を折ったのかの説明は、前何かの本で読んだことがあります。 磔刑になってもすぐに人は死なない。 安息日は仕事をしてはいけないので、安息日に死なれたら困る。 従って安息日の前に死んでもらうために、足を折った。 足は添え木の上に置かれていたが、足を骨折させると、添え木に足を乗せて体重を支えられず、重力で体が下にひっぱられ、呼吸困難にになり窒息死する。 と説明されていました。 事実そうなのかどうかは知りません。 で、旧約聖書のどこかを参考にしていないか。 私はヤコブのエピソードを思い出しました。 ヤコブは天使と戦った人と旧約聖書ではなっています。 ヤコブは兄のエサウを騙した。 (ちなみにヘロデ大王はエサウの子孫、義父ヨセフはヤコブの子孫ということになります。) 目が見えない父親はヤコブを長男エサウだと思い、「あなたの子孫を増やす」と祝福をしてしまった。 エサウは騙さ長子権を奪われ、父親は弟のヤコブを既に祝福してしまったと知り激怒。ヤコブは逃げた。 その逃げる途中、エサウは眠り込んでしまった。 そして夢を見た。 天使が天と地上をいったりきたりしている夢。 ヤコブはエサウと和解すべく逢いに行く途中、またしても夢を見た。 夢の中に天使が現れ、取っ組み合いの喧嘩をした。 天使はその時、ヤコブの足を折った。 それでもヤコブは戦うことをやめず、天使は明け方近くに帰りたいから放せと言ったが、ヤコブは「私を祝福してくれるまで放しません」とすがって離れなかった。 それで、天使はヤコブに「あなたの子孫を増やす」と祝福を与えた。 ヤコブ のちのイスラエル。 イスラエル人の祖であり12支族の祖。 で、天使はヤコブの足を折ったのですが、去勢。 足は男根(ペニス)の比喩。それを折った→去勢。 ヤコブは天使によって去勢されてしまったわけです。 だから、去勢されたままでは子孫はできないので、祝福 つまり 子孫が増えることを約束しろ 約束するまでは決して放さないぞ とすがったわけです。 というわけで、イエスの磔刑のお供の二人は、去勢されたので、子孫は絶えたってお話ですね。 太陽が十字架にかかるとき、二つの星現れるのかな???
クリスチャンでもないので、あまり自信はないのですが。(間違っていたらすみません。情報源が思い出せないもので。) この十字架刑というのは、手足を十字架に打ち付けて貼り付けにすると、体重を手で支えなくてはならなくなり、力尽きると呼吸ができなくなって窒息死する死刑方法だそうです。 しかし、足にも釘を刺していれば、足でもある程度体重を支えられるので、長く生き延びてしまうわけで、その分苦しみが長引くわけです。 足を折ってしまえば体重を支えるのは手だけになりますので、すぐ死ぬ、ということらしいです。 まあ、いくら死刑とはいっても、必要以上に苦しみを長引かせないためなのでしょう。多分・・・。