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南北戦争後、アメリカの資本主義化が急速に進んだ理由
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- k16399638
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漫談です 南部の復興も、いいビジネスになりました。カーペット・バッガーといわれる、頑丈で粗末なカバンをもったビジネスマンが横行して、なんだかんだでドルが動きます。 また、大型プランテーションの解体も各地でありましたし、それらを支援するために北部の工業製品が活用され、結果北部から工業化が南部に浸透することにもなります。 それがやがて左、つまり西に向かっていくのです。西部の開拓は、さらなるビジネスをアメリカ合衆国に与えることとなります。
資本主義化、とひとことにいっても様々な解釈が発生します。 (1)産業の発達と言う意味 (2)アメリカの全土に資本主義化が浸透 (3)アメリカの共産主義勢力の衰退 といった意味が考えられます。 (1)の意味で捉えるならば、前の回答者さんの意見が参考になると思います。(2)についても大陸横断鉄道などのインフラが整備されることで、未開の西部にも資本主義が浸透していったと言えます。(3)に関しては、イギリスの工業力に対抗するため、アメリカが保護貿易をして自国産業の育成を推進するなど、活発な産業発展が求められたため、共産主義の思想はこの時期に弱体化していったと考えられます。
- tanuki4u
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もともと、保護貿易により自国内産業の育成を目指す北部 自由貿易により、イギリスなどヨーロッパ諸国と棲み分け(アメリカは農業、ヨーロッパが工業)を目指す南部 この両者の戦いで、北部が勝った。 よって、アメリカは保護貿易になり、自国内産業の保護を行った。
理由はいろいろあると思いますがごく簡単に。 (1)戦争によってインフラが整備されたこと。 南北戦争中、北部と西部では効率よく軍需物資を輸送するために鉄道がひかれ、それによって原料生産地と工業地域、商品消費地である都市とが結び付けられ、産業が発展した。 (2)戦時中、外国との貿易が遮断されたために自国の生産力があがり、国内の産業革命(産業技術の発展)が進んだこと。なかでも、水力から蒸気機関への動力の変化は重要だった。水力に頼っていたそれまで、工場は鉄道や都市から離れた農村部に建設されており、輸送や労働力に難があったが、蒸気機関により工場立地の制約が減り、鉄道周辺や都市部に工場が建設されるようになった。 (1)(2)のまとめとして南北戦争後の北部では鉄道沿線に大都市が形成されるようになった。大都市は工業地帯に接するか、もしくは内包する形で発展し、工業生産地であり商品の消費地となった。こうして巨大な国内市場が形成され、国内産業が発展した。 (3)連邦政府における南部政治権力の弱体化と中央集権化。 南北戦争から再建期にかけて、連邦政府における南部政治勢力が衰退したことによって北部中心(工業中心)の政策が行われるようになった。同時に州権的立場の南部の衰退は中央集権的政府の誕生を可能にし、連邦政府による産業の保護が行われるようになった。ここはイギリスとは大きく異なる点で、国家による産業の育成により工業と資本の一体化がができた。イギリスでは国内産業が空洞化し、資本が海外へと流出した(当然アメリカにも投資された)。一方アメリカでは国内産業が投資の対象となったのであり、資本の海外流出は抑えられた。 これ以外にも理由はあるでしょう。私自身、経済史はよくわからないので、経済史の視点から見れば他にも色いろな原因があげられるでしょう。(移民の流入と建設ブームとか)イギリス経済史から見れば別の理由も出るだろうし。 アメリカ史の概説的なところで言えばこんなところかと思いますが。 参考まで。