• 締切済み

人を救えぬ哲学は言葉遊びではないか

このカテでこのような質問もなんですが、 哲学があるいは哲学者が人を救うことができない或いはするつもりがないなら、それは言葉遊びの探求ということではないでしょうか。 リアリティのない極端な形而上な事柄への思索について自重すべきではないでしょうか。 単なる趣味ならかまいませんが。

みんなの回答

回答No.49

落花生の殻って… で、バリバリバリーとモリモリモリーって… どんだけ食べんねん!!! 【QNo.落花生の殻むき機ってありませんか?】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1579416.html 落花生脱粒機 http://www.kiya-ss.co.jp/rs25r25.html http://www.shin-norin.co.jp/ka.html​ まだたらん? ちょっと、目チカチカするかも知れんけど… 【フラクタルオブジェの世界】 http://www.dokidoki.ne.jp/home2/hideaki/FireFlower.html http://www.dokidoki.ne.jp/home2/hideaki/FractalWave1.html http://www.dokidoki.ne.jp/home2/hideaki/ ちょっと目疲れたんとちゃう? 目のお正月しましょう 【正絹螺鈿工芸九寸名古屋帯】 http://shop.yumetenpo.jp/goods/d/waraya.co.jp/g/02-02-00010/index.shtml 【名古屋帯の種類】 http://www4.ocn.ne.jp/~tomasan/nagoya.html ほんでもって、このへんか? 【フラクタルの森で考える】  http://www.kibi.ne.jp/~genmei/furakutaru/050206.html 【フラクタルとカオスの館】 http://www.kcn.ne.jp/~saiji/entrance.htm バリバリバリーとモリモリモリー 食べるのは、けっこうなことやけど 夜やで、寝る前には、歯みがきしいやー

shift-2007
質問者

お礼

おしい脱粒機じゃなくて、 脱鞘機なんだよねー。 でも調べてくれてサンキューです。

回答No.48

こんにちは、shift-2007さん。 【QNo.3728673 悩みとは何ですか】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3728673.html 「種」キャッチー☆ 種といえば、植物、被子植物・裸子植物と… ほんでもって、芥川ときたならば文学つながりで近松ときたもんだ 近松といえば門左衛門 で、みてけば『虚実皮膜の論』めっけー☆ …意味のない言葉はない …意味のない言葉はない …意味のない言葉はない 『近松門左衛門について』 http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geitohito20.htm

shift-2007
質問者

お礼

悩みの種とはよく言った! 悩みは向上心の裏返しかしら。 種つながりでおしえてちょ。 落花生の殻あるでしょ? めんたまつながりのおまわりさんみたいな形の殻 あれを剥く機械を探してるのよ こうバリバリバリーとモリモリモリーと剥くようなやつ。 知ってたら教えて!goo

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.47

勉強になった、といっても、それは「救い」とは全然別様のものですよ勘違いなさってるようなので念のため。 むしろ本来ならば、勉強する必要もなかった、しないほうがいいくらいの体のものです。 あなた自身が「自分で蒔いた種だろうが」と撥ねつけられた悔しさを抱え込んでいる人だとお見受けしました。 ご自分の見たいようにのみ見ておられるようには薄々は感じていたからこそ連投投稿になってしまいましたが、あなたと私では基本的に似ても似つかないですから、正直なかなかピンと来ていませんでした。 あなたと私とでは問題意識の在り処が根本的に違います。この点は、あなたも勉強してくださいな。 ところで私の「蒔いた種」は、もともと悪い種なんかではなかったはずなのです。ある一人の人を除いてはね。でも、一人でも「そんな種蒔かないでよ」と言う人がいればアッサリやめるだけのこと。どうしても、というほどの必要もなかったことですから。 だから、私の場合、「蒔いた種」というよりも、「蒔くのをやめた」ことが問題なんです(笑 「類は友を…」にしたって、ものの一ヵ月たたないうちに決裂しましたから、全然「友」なんかじゃないのです(笑 そもそも、引っ掛けようとか試そうとすること自体に、並々ならぬ動機がある。 相手の本当の姿を暴露しようと試すときには、まさに「穴二つ」なんですよ(笑 それにしても、こんな「熟年」やら「知識人」がヌケヌケと跋扈してるんだから、いまの若い子たち、かわいそうだなあ。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そもそも、私と他の人とのやり取りの中で出てきた言葉を自分のそれと勘違いしたのはnoname002さんですよ。つまりあなたのことを書いたのではないのです。けれどもnoname002さんはその中で自分のことを書かれていると思った。つまり思い当たる節があったということです。そのことに気づいたのなら自覚という意味で一つ勉強になったねといったのです。あなたや下の人は他人に助けてくれとは言わないでしょうから、気づくということは己が己を救うための大事なきっかけでもあるのではないでしょうか。 それともう皮肉を言うのはやめなさい、自分を汚しますよ。 あなたは自分が思っているほど強くない、それこそ他人を攻撃することは「穴二つ」ですよ。 孤独という墓穴を掘っていることに気づくべきです。

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.46

「迷える子羊」に萌えちゃいましたか(笑 「私のクライアント」 いやいや、今や、あなたが「子羊」のクライアントになっちゃったのではなくて? いっぺんで、あなたという人の本性が出てしまいましたねぇ。 あなたもまた、人を「救う」ことは無理な人種であると自ら暴露なさいましたね。 このたびもまた、勉強になりました(笑

shift-2007
質問者

お礼

私とbrageloneさんのやり取りの中で自分を見たのですね。 勉強になりましたね。

noname#80116
noname#80116
回答No.45

 No.43です。  ★ (No.43お礼欄)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  趣味です。  brageloneさんも悩み事があるならここに書いてみたらどうですか。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ふざけんな。  ★(No.3お礼欄) 人を救いを風任せにはできないように思うのですが。  ★(No.5お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  >ひとを救うという使命でも帯びているというのでしょうか。  でも使命でなくても人はそれをするんじゃないでしょうか。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ★(No.16お礼欄) 人を救うにも哲学が役立つしむしろ必要でしょうといっています。    ★(No.19お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  メンタルヘルスや人生相談には助言を必要としている人がたくさんいますよ。  ご自分の今まで積み上げてきた経験をその人達に還元しないのはどうしてなのでしょう。  私は役に立ったかどうかは分かりませんがいろいろ回答してきましたよ。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ★(No.24お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  >つまり 相談者が 垣根をつくっているのではありませんか  そうですね、そうだと思います。  それならばなおさら回りがそれに対して手を差し伸べる必要があると私は思います。もちろんすべてを助けることはできないですが。・・・だからたぶん我々のような人がおせっかいを焼く必要があるんじゃないかと自負しております。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

shift-2007
質問者

お礼

最近私の周りでは妙な風が吹いていましてね。 自覚症状のない迷える子羊が己のプライドとは裏腹に私に救いを求めてくるんですよ。 正直、あなたが置かれた今の状況はあなたが今まで生きてきた結果によるもので自分のまいた種だ。と突っぱねたいところなんですがそうもいかないので自尊心を傷つけないように、またはくすぐるようによいと思われる方向に導いているわけです。 妙にこの質問に食いついてくるところを見ると、そういう意味でbrageloneさんもどうやら私のクライアントのようなのですよ。 brageloneさんには哲学ではなく人生相談が必要ですよと風が申しております。

回答No.44

>苦悩こそが哲学の発祥だと私は思います。 つまり、質問者さんの考えでは、苦悩こそ哲学の発祥だから、哲学は人を救うべきということですよね? しかし、この前提(苦悩が哲学の発祥)には再考の余地があると思います。好奇心が哲学の発祥と言うこともできるからです。 苦悩が哲学の発祥であるというのは、どこまで説得力があるのでしょうか。 さて、質問者さんは、機能主義に陥っていませんでしょうか。機能がなければ意味がない。意味がなければ存在しない方がいい。 そういう理屈のように見えます。それは、あまり多面的な見方とは言えないのではないでしょうか。 個人的には、哲学は、(分かる言葉で書いてくれているのなら・・・)興味深い学問範疇だと思います。別に、そこに実用性などなくて良いと思います。アニメや漫画と同じです。哲学はあまりに現実離れしすぎていて日常生活にはほとんど何の価値もありません。 しかし、そうした「遊び」の部分は、人間にとってけっこう大切な物なんじゃないかなあと思います。 あ、一応、後付までにひとつ。 現代の医療倫理は、誰の命を救うのか決める際に、カントやベンサムの哲学を基盤にしています。医療の現場で、どういう命を救うべきなのか・・・その方針を決定するまさに核の部分に、哲学があります。 その意味では、間接的にではありますが、人を救っているとも言えなくもないと思います。 参考文献:エドガー・E・ペンス『医療倫理』みすず書房 (私の所には、無理にコメントつけなくても良いですよ)

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 要約すれば、哲学には色々な部分が含まれているということじゃないでしょうか。 そこには遊びもあるでしょうし、苦悩に対する答えを求める気持ちもあるでしょう。 その割合は人によってさまざまでしょう。遊びの部分が大きい人にはぴんと来ないかもしれませんが、 私のような人間には哲学はとても実用的なものなのです。

noname#80116
noname#80116
回答No.43

 No.40です。  ★ 書きたい人もいる  ☆ これが  ★ 言葉遊び  ☆ でないの?  ★☆ 単なる趣味ならかまいませんが。

shift-2007
質問者

お礼

趣味です。 brageloneさんも悩み事があるならここに書いてみたらどうですか。

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.42

>私もパチンコや競馬にのめりこんだ事がありますがあれは損をするために賭けるようなところがありますね。 ちょっとビックリ。御質問者さまって、捻りや個性的なものを出しながらも基本は実直そのもので、賭け事などの方面には、もとからクールな姿勢でいらっしゃる、ようなイメージでした。 最近つくづく思うに、この私に対しても、いろんな人が、何を根拠にか、いろんなイメージをもって語られるのですが、もちろん、こうした場で、自分を全部さらけ出そうと、たとえ欲したとしても、できるものじゃないですし、反面、思わぬところで滲み出てしまうものもあるでしょう。これは芥川龍之介が文学作品について言ったこととも共通します。 ですが、やはり人間のサガだなあと思うのは、しょせん「虚像」に過ぎないから、と自らが言っていても、やはり信じたいがために追いかけて追いかけて、その虚像をトコトン追求して、あげく打ち壊してしまうところまで突き進んでしまったりもするのですね。こうなると紛れもない悲劇です。 こんなことなら、自分にとって心地良いイメージを信じたままおればよかったろうに、と思います。 でも、信じているだけでは済ませられなくて、確かな手応えを求めてしまうわけですが。。。 ですから、こういう人が、しょせん虚像だろ、なんて嘯いてるのは本心ではない、ということ、自ずとバレてしまいます。 たとえば火事の下手人さんが「バチあたれ」とか「ざまあみろ」と言ったのは「虚像」が言ったに過ぎないのだよ、としても、言わせている者はいるわけですし、私が目をつけるのは、単語そのものの意味ではなく、その単語を選択させているものにあります。そこをいくら言っても理解できなかったらしいのですがね(笑) >楽しくない遊びは遊びとはいえないですね。 お金を出して楽しくない遊戯をするのですから人間というのは不思議な生き物 私が問題視しているのは、他者が楽しくはない、むしろ不快、苦痛だ、と訴えていることを楽しむ、という精神性です。 そればかりか、そのことがまた、結局は自分自身を破滅に追いやってしまうということ。 仰るように、そこには人間の根深い心理的問題が横たわっているとみております。 >他者との関係に強い興味を持っておられるようですね。 御質問者さまも、そうではないですか?以前に、確か、そのことに関して、お話させていただいたことがありましたね。 心理に関する問題と切っても切れないことです。 >私は男なので天上天下唯我独尊みたいなところがあり、今回の質問は自戒の意味も含んでおります。 言葉と行為の乖離は哲学にはついて回るのだろうと思います。 花という言葉は花そのものではない ええ、以前どなたかの御質問で、哲学や論理、理論に拘る男性特有の傾向性があるとしたら、それは恐らく或る種の脆弱性に発しているのではないかと指摘したことがあります。 まさに「埋める」道具でもあるのでしょう。 先述した科学の専門家氏、この人は最初期の頃から、「ひょっとして意外なくらいニブさ極まる人かも?(汗)」と思わせられましたが、彼は、まさに「花という言葉は花そのものではない」ことに満足できず、そのためにこそ理論という枠を嵌め殺しにしてみたり、もう信じていいのだ、という場所に辿り着かんがために足掻きを繰り返しました。 哲学についてまわる「乖離」、これは哲学だけの問題ではないでしょうけれど、いずれにせよ、当然ながら「乖離」が決して目的ではないのだ、ということは、じゅうぶんに窺えます。 精神や心理方面の医師なり専門家でもない者が、自分の生業の糧や何かの目的に役立てるため、他者の心を実験し、幾度もの追試を繰り返して、それを炙り出そうとするための場を許しておいていいのか、という、このことは、これからのネット社会で見過ごせない問題になりかねないと私は危ぶんでいます。 このサイトでも常に警告されていますよね、質問者に対して病名を付けたり、診断的な行為はしないこと、という。 これだけ精神分析や心理学方面の知識が一般の人に広がってきてますし、そうした知識を、なまじな専門家それも本来は分野外の者が、その優秀な頭脳でもって、あくまで理論としての知識を振りかざし、しかも予備情報を持たない初対面の者を実験する、そういう場への未練と執着を、いまだに保ち続けているような連中もいるようです。 専門家だの会社経営者だの大学教員だのといった立場にいるという連中がやろうとしていただけに、タチが悪いと思ったのですけど。 私が出した質問『力の刻印』は、そのあたりのことも問いたかったのですが、なかなか、そこまでの問題意識を持っておられるかたは少いようです。 いずれ私の手で、何らかのかたちで明るみに出そうと思います。 御質問者さまが仰るように、「救う」こととは正反対のことですから。 このサイトに参加してから、よく思うのは、学問精神の歪みです。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 江原さんに言わせると今の時代は権威が崩壊してきているとのことです。 会社、政治、ヒーロー、宗教などなど 自分を律することにみんな躍起になっているんじゃないでしょうか。 その過程で皮肉屋になったり、言葉をもてあそぶだけの人になったりするのかしらと思います。 寄るべき大樹を失ったなら人は自分で立たなければいけませんので今はその試行錯誤の時代なのだろうかと思います。 関係とは自分を映す鏡だといった人がいました。 類は友を呼ぶのことわざもありますので、私たちは反面教師の中にも自分の姿を見ることができるのではないでしょうか。

回答No.41

おはようございます、shift-2007さん。 ●怖っ、何で埋めるつもりだ!! ↑ 埋めるって…?   埋め… 人を呪わば… 穴二つ… |(><)| キャッー☆ もうー、コワイってば. あぁ、コワイといえば… どうして、教育費ってこうも高いんでしょうかねー? オヤジの給料の内、教育費の占める割合は…  どこぞから、オヤジのため息が… トホホ 泣くのはまだ早い!  うめあわせしましょ。 『SWEET MEMORIES』 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND2684/index.html ねじり鉢巻 汗かいてください ガンバ 【ドリル】 http://dorilu.net/ 【目次】 http://okawa-denshi.jp/techdoc/ 【ラプラス逆変換】 http://okawa-denshi.jp/techdoc/2-1-6Rapurasuriten.htm

shift-2007
質問者

お礼

穴の中には竈馬がみっしり・・・・ 萌ぇぇ

noname#80116
noname#80116
回答No.40

 哲学は 迂回生産です。  ひとをすくうということを生産に喩えるならば 超迂回生産です。  また それで いいのです。そういう道もないのならば 人間は・社会は いやに あせって生きているということになるでしょう。  迂回の度合いも さまざまに あります。  それぞれ あとは 自信をもって 取り組めばよいのです。言葉遊びしか出来ないひとは 放っておくしかありません。百科事典から引き出してきて ここに 回答を書いている場合などです。  なんで こんな当たり前のことで 長々しく ひまを費やしているのか shift-2007さん!! そのほうにこそ 疑いがかけられますよ。

shift-2007
質問者

お礼

回答する人が絶えないのでお礼が追いつかないからまだ開いているのです。 でもやっと追いついた。 それに書きたい人もいるでしょうからもうしばらく開けておきます。

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