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イスラム教のバイラムって何?

buranの回答

  • buran
  • ベストアンサー率33% (259/782)
回答No.1

イスラムでは、(教派によって違うかもしれませんが)、 ラマダン明けのシュケル・バイラム(砂糖祭)と、その約70日後のクルバン・バイラム(犠牲祭)があります。 砂糖祭の由来は、ラマダン明けに子どもたちに砂糖を配ったところから、 犠牲祭の由来は、メッカの巡礼を無事に終わり故郷へ戻ってきた人々が、アッラーの神に牛や羊の肉を捧げるところから、 そういわれています。 ですから、断食明けの祭日は「シュケル」のほうだったんじゃないですか? で、今度は、「クルバン」のほうなので、羊肉が用意されているのでは? 意義は、そんなところです。 日にちは、イスラム暦によって進みますので、毎年変わります。イスラム教国では当然その前後が休日になります。 確かに犠牲祭ですから、イースター(感謝祭)に似ているかもしれませんね。 今年がどういう日程かとか、詳しいことは、「バイラム」と「トルコ」くらいを検索エンジンに入力するといろいろ出てきますよ。 あと、地球の歩き方のHPなども参考になります。

haru451
質問者

お礼

な、なるほどぉ。お詳しい方がいらっしゃるものなんですねぇ。 ありがとうございました。 で、もし甘えついでにお教え願えれば幸いなのですが、 「バイラム」が「休日」、「シュケル」が「砂糖」、 「クルバン」が「犠牲」というのは、 元来はアラビア語において、ということでいいんでしょうか。 外来語としてはここでもそのまま使っていますが。 アラビア語では一般名詞として今でも「シュケル」は砂糖、 「クルバン」が「犠牲」なのでしょうか。 ジャンルを変えて質問し直した方がよろしいでしょうかね。

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