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集団就職時代の住居
集団就職で農村部の若者が大挙して東京にやってきたとき、住まいはどうしていたのでしょうか。 借りる側と貸す側の両方の視点を調べています。
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東京ではないのですが、私の地方には繊維企業がたくさんあり、昭和20年代から40年代にかけて、東北・北海道方面から多くの若者を迎えていました。 企業が寮を用意しました。 学校でも木造がほとんどだった時代に鉄筋コンリートの建物を建て、時代の最先端を行く一流企業のように見えました。 内部は 6~8畳の畳敷きで複数人が同室、トイレや風呂は共用でした。 今でもその建物が数棟残っていますが、そのうちの一部は改装されて、中国人の住まいとなっています。 集団就職も国内からではなく、中国からの時代になってしまったのです。 郊外の少々遠いスーパーにも、中国人のチャリンコがあふれかえっています。 話がそれましたが、中卒の集団就職者のために、昼間定時制の公立高校がありました。 月火水の 3日間働いて木金土の 3日間学校へ、またはその逆という定時制です。 「働きながら学べる」 がキャッチフレーズでした。 昭和50年代には集団就職もなくなり、平成になってふつうの全日制に転換されました。
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- demio
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集団就職の時代なので昭和20年から40年ごろの話しだとして 大きな会社であれば寮として建物がありましたし、工場や倉庫の二階にすめるように部屋を作っていた場合もあり、小さな商店でしたら、親方の家の開いた部屋にはいる場合もありました。 当時は一つの部屋に数人(もちろん他人同士)が寝るのが普通でしたし風呂は公衆浴場なので寝る部屋さえあれば生活していて、中卒の15才ぐらいだと大人が生活の管理をしなけらばならないので会社も個人生活の管理もしていたいたようです もう少し年齢が大きくなると自分でアパートを借りてすむようになっても当時のアパートは靴を脱いで廊下の両側に一つずつ部屋があってトイレも水道も共同でしたね 今の若い人には生活できないでしょうね
お礼
ご回答有り難うございます。 東京の本郷でそういうアパートに住んでいたことがあります。 といっても私は20代の後半ですが。 廊下を挟んで部屋があり、スリッパを廊下で脱いで部屋に 入っていくスタイルですね。 トイレは共同、風呂は銭湯でした。 懐かしい思い出です。 あれが集団就職時代のスタンダードだったんですね。
- ben1151
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叔父たちの例でいいますと、社長の住居の1室に住み込み、親戚を頼って、間借りです。 寮があるところも、ありました。 いきなりアパートを借りる人は、ほとんどいなかったと思いますよ。
お礼
ご回答有り難うございます。 親戚を頼って間借りですか、ベトナムでもよくあります。 たいていは同郷の仲間を頼って上京、複数人での共同生活です。 その当時の民間アパートの経営者の群像はどのようなものだったの でしょうか。 そのあたりがもう少しわかればいいなと思っております。
お礼
ご回答有り難うございます。 ベトナムの都市部の工員がちょうど似たような状況かなと 考えまして、日本の集団就職時代の状況を考えていました。 複数人がすむのは同じですね。 会社が寮を用意することは多くはありませんが、ベトナムでもあります。 風呂が共同というのは湯船がなく、シャワーだけですが、似ています。 週三日学校へ通えたというのはすごいですね。 ベトナムでは週六日労働が当たり前ですから。