• ベストアンサー

手書きとパソコンで書くことの違い

文学作品を創作する際、 手書きで書くことと、パソコンを使って書くことに 何か違いがあるでしょうか。 文字の癖や筆圧がわからないパソコン原稿には 性が喪失している、というようなことがあったのですが あまりピンときません。 私としては手書きに一票!と言いたいとこなのですが これといった根拠がなく、何となく…という感じなので なかなか卒論が進みません。。。笑 皆さんはどう思いますか? 何かいい参考文献を知ってらっしゃる方いましたら 教えてください。 現代社会の中で、日本文学(主に小説)がどう変容していっているのかをテーマにしています。(情報化社会や資本主義が文学にあたえる影響など) こちらに関しても参考文献の情報がほしいです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.5

> 文学作品を創作する際、 ということなので、書き手側での違いと解釈して思うままに書き連ねますと、  1. 目の疲労(集中力)    手書きに比べてモニターを見ながらの作業はどうしても目が疲れます。短歌や俳句、    ショートショートや短編小説のように短いものであれば兎も角も、長編小説になると目の    疲労は相当なものです。それは集中力にも影響してきます。集中力の低下は、作品の    質に関わってきます。  2. 推敲の跡    No.3の回答者の方は作品の研究という視点で述べられていますが、私がいうのは、作者    の創作過程に於ける推敲の跡です。ワープロの場合は修正してしまうと元の表現が消    えてしまうので、何度も修正を加えると修正の履歴が残らず、作者自身がすべての修正    履歴を記憶していなければ、その過程を振り返ることができなくなるのです。創作活動に    於いて先に書き進めることは重要ですが、推敲を加える際にその過程を振り返るのと    そうしないのとでは、その結果に少なからず違いが出てくるものだと思います。  3. 語彙の選択範囲     手書きの場合は、言葉遣い(漢字かな遣い)の選択は思考によって行われます。辞典で    確認する作業はあるでしょうが、その選択は作者自身の語彙範囲によって行われるはず    です。それに対して、ワープロの場合は視覚的に行われる傾向があります。それは何かと    いうと、日本語入力での漢字かな変換ですね。変換すると変換候補が表示されますから、    先ずその中で変換したい漢字を探すことになります。ところが、思わぬ漢字が見つかる    ことがあり、作者の意識している表現(作者の語彙の範囲)以外にも選択肢が広がるわ    けです。  4. 文章作成の速さ    これは圧倒的にワープロの方が勝りますよね。ただし、速い遅いがどのように作品に影響    するかは私にはよく分かりません。 > 文字の癖や筆圧がわからないパソコン原稿には > 性が喪失している、というようなことがあったのですが これも作品を研究する人の視点からのお話ですね。読者は作家の自筆原稿を読むわけではありません。読むのは活字になった書物です。文字の癖や筆圧を調べながら文学作品を読む人は、少なくとも私の周囲にはいないと思います。 卒論でお困りということなので、多少ヒントになることを交えたつもりですが、ご参考になれば幸いです。

elmer105
質問者

お礼

大変参考になりました。 ありがとうございました。

その他の回答 (4)

noname#87716
noname#87716
回答No.4

パソコンの弊害に漢字を忘れるということがありますね。訂正です。 前の投稿 誤)推敲の後 正)推敲の跡

noname#87716
noname#87716
回答No.3

参考文献というものではありませんが、 かつて安部公房が初めてワープロで作品を書いたとして話題になりました。たしか「方舟さくら丸」だったと思います。他には曽野綾子さんがパソコンで原稿を書いているという文章を読んだことがあります。曽野さんはパソコンの方がはるかに有利であるとの認識でした。 当時、ワープロ(パソコン)で原稿を書くと推敲の後が見えなくなるなどの弊害を指摘する人がいましたが、曽野さんは(作家は推敲の後を見てもらいたいわけではないので)「問題にならない」と一蹴されていたように思います。

elmer105
質問者

お礼

なるほど。参考になりました。 ありがとうございます。

noname#194289
noname#194289
回答No.2

書家の石川九楊氏が御質問に関係したことを書いていると思います。たとえば新潮選書「書に通ず」などに書いてあります。

elmer105
質問者

お礼

なるほど。書家の方の意見には興味があります! 調べてみたいと思います。ありがとうございました。

回答No.1

「パソコン」を使って・・ではなく「ワープロ」を使って、で調べてみると何かでてくるかかも

elmer105
質問者

お礼

そうなんですか!ずっとパソコンで探していました。 ありがとうございます。さっそく調べてみます。

関連するQ&A

  • 教育と労働の本を探しています

    今日の教育が、資本主義社会における労働(働くこと)とどのように関わってきたかについての参考文献をさがしています。 教育っていうものはもともと労働とこんな風に関わっているよってことが書いてある本や論文をご存知の方、是非教えて頂けると助かります。

  • 参考文献は多いほうがいいですか?

    教授が卒論は参考文献は多いほうがいいといってました。論文の価値というのは論文の最後に書いてある参考文献の数の多さで決まるらしいです。文学部の教授が言っていることなので理系の僕はどうかなと思いましたが実際は参考文献は多いほうがいいのでしょうか?

  • 志望動機をパソコンで

    履歴書の志望動機が少し長くなり、書ききれなかったので、職務経歴書(パソコンで作成)の下に志望動機をパソコンで入力作成しました。志望動機は手書きのほうがよいと書いてあった参考文献をみつけたのですが、履歴書本体は手書きで、職務経歴書はパソコンがよいとかいてありました。 そういった常識的なことがあるのでしょうか。職種は介護職で介護職の場合、志望動機は手書きがよいとある文献に書いてあったので気になっています。文面を削って手書きしたほうがいいのでしょうか?

  • 社会主義経済が失敗した国、うまく行っている国の違いは?

    社会主義経済は、ソ連などではうまく行かなかったし、北朝鮮は見ての通りだし、中国も今は完全に市場主義経済です。でもキューバのように社会主義がうまく行っている(ように見える)国もあります。 失敗した国と、うまく行っている国の違いは何なんでしょうか? それと、何かよい参考文献があったら教えてください。 よろしくお願いします。

  • マルクスの資本論って?

    参考書を2冊持ってまして、マルクスの資本論の内容で 「資本家が労働者から剰余価値を摂取する。」までは同じなんですけど、その後が少し違うんです。 「生産過剰により恐慌が発生し、資本主義は倒れ社会主義に移行する。」 というのが1つ目で、もう一つは 「プロレタリアートが資本主義を倒して社会主義になる。」 と言う風に書かれていました。 どちらが正しいのでしょうか。

  • 社会主義国家と企業の本質的違いは何ですか

    社会主義国家と企業は一件すると同じ方針に基づいて運営されているように思えるのですがなぜ結果が天と地ほど異なるのですか。社会主義国家と企業の本質的な違いについて教えてください。 社会主義の失敗の原因は、 (1)中央集権:優秀な人を一箇所に集めて (2)計画経済:情報を一箇所に集め、全体を見通して計画を立て (3)国家統制:国全体で計画通りに遂行すれば 最良の結果が得られる、 と考えたことにあるというのが通説かと思います。 ハイエクが予言したように、そのようながんじがらめの組織では、いい結果を得ることができませんでした。人々が自由に振舞えば、自ずといい結果が得られるというわけです。 ところが、社会主義と対峙する資本主義下における企業では、コーポレートガバナンスの下、社会主義国家の失敗の原因(1)から(3)を遵守することで最大の利益を得られるという考えが当たり前です。社員が各自勝手に活動していてもいい結果が得られないことを想像することは簡単です。 (1)から(3)を国家にあてはめると失敗し、企業に当てはめると成功する、国家と企業の本質的な違いは何でしょうか。 おそらく、このような課題は経済学の重要なテーマであり過去に十分議論されていると思いますが、参考になる学説や文献があれば教えていただいたいと思います。 以上よろしくお願いします。

  • なぜ、主義・解釈の違いが生まれるのか?

    こんにちは。 学問に限ったことではないですが、どの世界にも同じ事に対して主義・解釈の違いって生まれてきますよね?(資本主義と社会主義、性善説と性悪説など) なぜこのような考えの違いが生まれるのだと思いますか? 同じ世界に住み、ほぼ同じ情報をもとに理性で考え結論を出しているにも関わらず、思想・解釈の段階に入ったときにこれほどの大きな違いがでてくるのは不思議です。

  • イツツロマン主義とは?

     どなたか、ドイツロマン主義についてご教示ください。哲学、文学、芸術、どの側面からでもかまいません。その折に、あわせて参考文献、参考資料等を提示してくれると助かります。   よろしくお願いします。

  • 卒論

    はじめまして。経済学部に所属している大学四年生です。 今、卒論について悩んでいます。 私の卒論のテーマは「貧困と援助の関係について」です。開発経済学に興味があり、参考文献が比較的見つかりやすいと思ったのでこのテーマにしました。しかし書き進めていくうちに、単なる参考文献をまとめただけのレポートになってしまうのです。このことを担当教員に相談したところ、「卒論なんてそんなものだ。レポートの延長のようなものだから気にするな」と言われてしまいました。私としては、卒論に高いレベルは求めていないので、それで単位がいただけるのであればいいのですが・・・やはり不安です。 そこで質問です。 ・参考文献はどこまで引用していいのでしょうか ・教員のこの言葉をこのまま鵜呑みにしていいと思いますか 卒論を経験された方、または何か情報をお持ちの方、どんなことでもかまいません。回答お待ちしています。 ちなみに今のところ参考文献を10冊ほど読んでいます。

  • デジタル社会と人間の想像力・知覚・意識の変容

    デジタル社会におけるテクノロジーとアートの問題、それによる人間の感覚や意識の変容や影響を調べています。この幅広い問題を、どういった点や例に絞って論じると興味深いものになるでしょうか。参考になる文献などもお教えいただけたら光栄です。