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一人で生きること

私は今年で34になりますが、11歳を境に現在まで、親の庇護や教育を受けることなく生きてきました。 また現在の日本社会では考えられないことですが、それ以降の義務教育もまともに受けていません。 簡単に言えば、ある学校の寄宿舎のようなところに預けられてからなのですが、両親が覚せい剤所持で 逮捕され、私を養育できなくなったことがきっかけでした。 私にとってそこでの生活は地獄のようでした。監獄の方がまだましであるのではないかと思える程です。 私は外国籍の人間なのですが、それまでは日本の学校に通っていました。預けられた先はインターナショナル スクールのようなところで、授業は全て母国語で行われておりましたが、私は日本語しかできません。 知らない言語で授業を受けても内容が理解できようはずもなく、成績は常に最下位、その為に同級生から、 定期的に殴る蹴るの暴行を加えられました。 加えてサッカー部に入ることを強要され、運動の苦手な私はそこでも皆の足を引っ張ることになり、 先輩や同級生から日常的に暴力を振るわれていました。 学校が終わっても、寄宿舎で顔を合わせる面々は同じですから、気の休まる暇がありません。 先輩や同級生に使い走りにされるのは当たり前で、お金を要求されたこともありました。 少しでも気に障ることがあれば暴力を振るわれ、殴る蹴るはもちろん、鈍器による殴打から刃物による 顔や手足への切りつけ、半田ゴテや石油ストーブによる火傷、プールに沈めての窒息など、行為はどんどん エスカレートし、怪我をする度に教師には適当な嘘をついて誤魔化していました。 現在でも体のあちこちに、この時の傷跡が残っています。 部活で足を引っ張らないよう、自主的な練習と筋力トレーニングも強要され、毎朝5時に起きて10kmの ランニングと練習、夜は寝る前に5kgの鉄アレイを担いで、毎晩500回のスクワット。日によっては2000回 やらされたこともありました。その為に寝るのはいつも午前1時過ぎ、5時には起きて練習、その後は学校での生活、 放課後は部活をして、寝る前にはまた筋力トレーニング… こんな毎日の生活が4年以上続き、耐え切れずに寄宿舎の屋上から飛び降りたこともありました。 それから20年以上もの間、毎日死を考えない日はありませんでした。 これらの経験から、私は血縁者を含め、他人から何かを得ることを当てにしなくなりました。 誰かに頼ることもなく、教育を受けることもなく、全てを己の経験から判断して自身の成長の糧とし、 自分のことも他人のことも、物事を非常に冷静な目で見るようになりました。 18歳になって一人で生活をするようになってから、その傾向はますます強くなり、成人した自分の中に 強く残されたのは、安易な行動を選択する人間に対しての憎悪、そして自身の快楽の為に子供をこのような 環境へ放り込んだ両親への、非常に強い憎しみでした。 それと同時に、自分がずっと求めていた安息の場所を得ること、自分だけの家庭を持つことが、唯一の 希望として残されていましたが、幸せな家庭を築くためには、私一人だけの力では実現できません。 しかし世の中の人間を見る限り、共に実現できるような相手がいるとは、とても思えませんでした。 何よりも私は、他人に対しての好意的な感情というものが理解できず、それを持ち合わせたこともないのです。 結局は一人で生きるのが最も良いのだろう、という結論に達し、現在に至ります。 外国人の為か学がない為か、職になかなかありつけずに若くして借金を背負ってしまいましたが、現在は 返済しながらも、何とか生活には困らずに過ごせています。が、上記の通り、今の私には借金を返済する以外に、 人生を長らせる理由が残されていません。何よりも、自我を持って存在していることがつらいのです。 現在、自殺を考えているわけではありませんが、趣味としてクライミングをしております。 それに没頭している間は、様々な事柄から開放されるということもあるのですが、危険な行為に身を置き、 死を身近に感じることに、非常に魅力を覚えるのです。 その為、敢えてフリーソロなどの危険な行為を行い、恐怖に立ち向かう自分に陶酔していることもあります。 私は今まで、人生についてはうんざりするほど考えを巡らして、今の生活に至っています。 自分ではもちろん、選択し得る中で最良の人生を歩んできたとは思っていますが、それでもふと、 他に選択肢はなかったのだろうかと、疑問に思わないわけではありません。 過去において、例えばどの様な生き方もあったのか、またこれからも残されている選択肢として、 どの様な生き方があるのか、ご意見を頂ければ幸いです。 夢中になって書いているうちに、長くなってしまいました。申し訳ありません。 どうぞよろしくお願い致します。

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回答No.3

あなたは、学歴は無くとも学があります!! 普通ならこれだけ1行が長いと読みにくいのですが この質問は瞬きもせず一気によませていただきました。 さすが、考えをめぐらせた 人生だけあり文章に魅力を感じました。 ですから、どの様な生き方があるのかと言う 問いに答えさせていただきました。 趣味としてクライミングをされているようなので 時間に余裕が全く無いと言うわけではなさそうですね。 小説やご興味がある分野で本を書くと言うのはどうでしょうか? 私は人よりも本を読むのが早いのでたくさんの本を読んできましたが、 少なからず、あなたが書いた本なら読んでみたいと思いました。 ネットが使えるならお金を掛けずに出版できる方法もあると聞いた事があります。 空き時間を利用してコツコツと取り組めば、生活にも支障は出ないかと思います。 内面にあるものを、書籍として形にされてみてはいかがでしょう? 売れるかどうかは問題ではありません。 少なからず、出来上がった本は宝物にはできるでしょう。

tomilc
質問者

お礼

そうですね… 正直なところ、文章を書いたり、何かを創作するということは苦手なのです。 私に文才があるかどうかは不明ですが、それよりも文章を書き、それを人に見せることに 非常に抵抗を覚えるのです。 私は前述したとおり、学に対してコンプレックスがあり、現在私が持ち合わせている 様々は能力は、全て社会での経験から得たものです。ですので、学校で正しく学んだ場合と 比較して、このやり方で正しいのかどうか、自信がないのです。 今ここに記載している程度のものであれば、何とか誤魔化して形にすることも できましょうが、論文の書き方も分からない私が、人目もはばからず自分の創作物を 公開することに対して、とても羞恥心を感じるのです。 そんなことはない、とおっしゃられるかも知れませんが、この20数年間蝕まれた感情を、 とても克服できそうにはありません。 実現できる可能性があるとするならば、私が口頭で伝えたことを他の方が文章に起こす、 といったやり方でしょうか。しかしどれ程の需要があるのか、疑問ではありますが… この件に関しては、もう少し考えてみます。 どうもありがとうございました。

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  • nayon
  • ベストアンサー率22% (10/45)
回答No.11

久しぶりに、長編の話をお聞きしました。 自分とは異なる体験をした、心情や気苦労を聞くことはめったにありません。 文章を読んでいて、力強い意志を感じました。 その意志などを、<作り上げる>には並でできるものではないと思います。 お伝えしたかったことは、あなたが経験した中で、<日本>という存在を、非常に意識し始めたということです。 残念なことに、実際の日本人は、その逆です。 自らの<日本人>を失うことに意識していません。 あなたが、より日本人的気質を持ち合わせている、ように思えてなりません。 なににおいても恥じることなど、何もありません。 こころのままに突き進むことを、望みます。 還暦まじかの一人暮らし。

tomilc
質問者

お礼

私はあまり国籍や人種については、重要なものであるとは考えていません。 ですので、文化や精神、技術など、素晴らしいものであれば、それらは関係なく自分の中に 取り込んでいきたいと思っています。 その中でも、私は日本という国を大変気に入っています。経済的にも恵まれた国ですし、 何よりも侘び寂びに代表される、日本特有の感覚と申しましょうか、その奥ゆかしさなどが とても巣晴らしいものに感じるのです。 確かに最近の日本では、日常生活でその感覚を感じることは、あまりないような気がします。 私が人生で求めていることは、ひょっとしたらその日本人的気質、というものなのかも 知れません。 この度はご回答頂きまして、ありがとうございました。

回答No.10

#3です。 >人は与えられた環境により、如何様にもなるのだぞ 私は、病気で8年寝たきりの生活を送っておりましたので、 この言葉は身にしみて理解できます。 あなたは、恐らく争いごとの嫌いな心の優しいかたなのでしょう。 是非あなたのような方に表現して欲しい内容です。 好き嫌いはあるのでしょうが、 ご自身にしか出来ない事をなさってください。

tomilc
質問者

お礼

8年間も寝たきりの生活をされていたのですか。私は幸いにも、大きな病気など せずに過ごしてきましたので、体が不自由であることの辛さは、想像の範疇でしか 知りえません。しかし、健康であることがどれほど恵まれているのかは、 理解しているつもりです。今まで頂きましたご回答から察するに、つらい過去を 乗り越えて今を強く生きていらっしゃるのだと思います。 境遇は違えど、そのように過去を乗り越えてこられた方からの助言は、私にとって とても励みになります。今後、大した人生を送らずに生涯を終えることになろうとも、 同じく悩んでいる人に少しでも勇気を与えられる人間になれたならば、意義ある 人生であったと胸を張れる気がします。ありがとうございます。

回答No.9

自分の空気も、相手の空気も大切にしないといけないんです。 自分の主義ばかりの空気ばかりでは、相手が自分を受け入れてくれないんだと思ってしまう。 かといって、相手の空気に入り込みすぎている状態だと、今度は「本当の自分のしたいこと」というものを見失ってしまうかもしれない。 考えていくと難しいところなのかもしれませんけれど、私はその辺りのどこかに何か答えがあるのではないかなと思います。 >私は他人と接する時、自分ならばどうして欲しいだろう、人からどう接せられれば、不愉快にならないだろう、ということを、常に第一に考えていました。 >しかし実は、私と他人の感性には、大きな隔たりがあるのかも知れませんね。その違いを探ることが、今後の一つの課題になりそうです。 確かに「感性」で大きな隔たりがあるのかもしれません。 私も同じように「他人との隔たり」が強いほうであって、周りと合わせていくのが大変だったりもします、が。 それでも、皆と触れ合っていくことで、人と人とで触れ合っていくことで、気づかなかったことに気づけたり、もうこれ以上は無いだろうと思う想いだって、別なものに変わっていく可能性も多いにあります。 私もここについては今後の課題になると思います。 本当に人間関係が苦手で、グループの中に入って何か行動をする、ということが昔から苦手だったんです。(今では大分良くなってきましたけれど) 私の中の心の“言葉のお守り”でもありますが 「そう思えるということは、いつかそれを実現できる」ということです。 質問者さんが何かお考えになられているのは、それはまだ成し遂げていない何かがあるから、なのだと私は思います。 質問者さんの話に合わせてみると、 仮に質問者さんが「完成した人」であったとしたのなら、完成しているのだから“何かを求める必要はない”筈です。 ですけれども、質問者さんはやはり何かを求められているんです。そしてそれは「その何かを探すことが叶わないから闇雲に探している」という訳ではなく、恐らく無意識のどこかで「何かが見つかるから」という前提でお探しになっておられるのだと思います。 質問者さんはもう少しズルく生きてもいいのかもしれません。 全部を全部良くしようと思わなくていいんです。「ここだけは譲れない」そんなところの一部分だけを護っていく気持ちでいいのだと思いますよ。 全部が全部を無理しなくていいんです。 時にはしたいことの為にズルしたっていいんです。 そして、1つズルしてしたら、2つズルを挽回することをして均衡を保って上げられたらいいのだと思いますよ。 2つズルしたら、3つズルを挽回できるようなことをしていけたらいいのだと思います。(気持ち的に) 時には我侭であってもいいのだと思いますよ。 ずっと我侭というのは困ったものになってしまうかもしれませんが、息抜きというものも必要なのですから。 それと同時に「初心を忘れない力」というのもまた必要になってくると思いますけれど。 ズルせずに進んでいけるっていうのが一番理想かもしれませんけれどね。 質問者さんには何か才能があると思います。 「人の話を確り聞く力」もお持ちだと思いますし「文章をまとめる力(もとい、自分の意思を纏める力)」も相当なものだと思われます。 きっと質問者さんはご自身が見つけたい何かに触れていくことができると思います。 何か心が温かくなるような、そんなものに触れ合っていけると思います。

tomilc
質問者

お礼

そうですね、自分の主張するところと相手の主張するところ、どちらが 勝っても人間関係を維持するのは難しいと思います。どちらかが遠慮すれば 良いかといえば、それも必ずしも正しいとは思えませんし。 お互いが引くところは引く。結局のところは、思いやる気持ち一つであるのかも 知れません。 「そう思えるということは、いつかそれを実現できる」 言葉のお守りとは、何とも励みになるお言葉です。諦めてしまえばそこで終わり ですが、気持ちを持ち続ける限りは、可能性を孕んでいるということですね。 仮に実現できずに終わろうとも、それを目指し続けたことが、自分にとって 価値あるものになることを願うばかりです。 確かに全てにおいて、少なくとも精神的なことにおいては、完璧にしなければ ならないと考え続けていました。今まではズルをすることで、罪悪感がずっと 残り続けるのではないか、という恐怖心があったのです。私にとって、過去の 行いを後悔するということは、とても恐ろしいことであると思っていました。 しかし、1つズルをしたら2つ挽回をする、というのも、今までになかった発想です。 1つ気を抜いたら2つ取り返す。すぐには難しいかも知れませんが、これも意識して 実践してみたいと思います。ありがとうございます。

回答No.8

#3です。 >学校で正しく学んだ もう、世の中に負けているとしかいえません。 あなたがいじめられたり今までの悪境遇の少なくとも半分は、 あとほんの少しの、自身の無さと勇気の欠如と要領の悪さではないでしょうか? 文章だってほんとは書きたいと言うのが、見えてますし。 もう少し素直になられた上で今の謙虚さを忘れず。 自分を変える、覚悟を決めて一歩踏みだせばよいだけです。 駄文でもよいでは無いですか。 完成した本の著者になったあなたを想像してみてください。 それでも、書きたいテーマが無いとなれば、 何か自己表現が出来る事をして欲しいと思います。 質問に関係の無い余談ですが、 無駄な、失敗すると思うから怖いのですよ。 失敗から何かを得る事を目標にすればよいのではないでしょうか。 いきなり大きな失敗をしないように小さな失敗で済むようにするのも コツです。 本の例ならページ数を少なくして著作期間を長くするなど。 これなら、失敗してもそこまで質の悪いものは出来ないと思いますし。 最低でも、自身にとってクオリティーは高い物ができるのはないでしょうか。

tomilc
質問者

お礼

度々のご回答、ありがとうございます。 そうですね、私の立ち位置を勝ち負けで表すのであれば、間違いなく負けている 部類に入ると思います。 しかし私は、自分のことにそれほど悲観はしていないのです。 少し誤解があるのかも知れませんが、私は自分のことも他のことも、客観的に見て そう判断しているだけであり、そこに卑屈な気持ちや投げやりな気持ちを込めている 訳ではないのです。はっきりしていることは、私にとって文を書いたり計算をしたり、 討論をしたりというのは、恥辱的であり非常に苦痛を伴うことであるということです。 しかし他の方からもご意見があったことですし、この件に関してはもう少し考える 時間が欲しいと思います。 自己表現ということにおきましては、既に行っているということもあります。 今の私の生き方そのものが、他人に対してのメッセージを込めているつもりです。 またそう映る様、努めてきたつもりです。 つまり、人は与えられた環境により、如何様にもなるのだぞ、自分の子供をこうしたく なければ、家族のあり方や子供への接し方に思慮を巡らせよ、ということです。 しかし残念なことに、現実で私と直接関わりのある人にしか伝えられないことですし、 関わりがあったとて、どれ程の影響があるのかは疑問です。 そういう意味でも、本なり何なりでより広く活動する方が、効果はあるかも知れません。

回答No.7

今質問者さんに必要な力は恐らく 「 相手から自分を信じてもらう力 」 なのではないかなと思います。 ※私がメンタル的に危険で、死を考えていたときに頂いた心友の言葉より。 当初私は人が全く信用できませんでした。 「この人なら大丈夫!」と思った人でさえ、後々で「ああ、やっぱりこの人も信用できないんだ・・・」という風に考えていたことがあります。 「まず自分から相手を信じなければ相手に信じてもらえない」 だけれども、信じると必ず、裏切りにあってしまって、人間不信になってしまうかもしれない。だけれども、裏切られたらそれで終わりなのかというとそうでもなく、また「裏切られないためには何が必要だったのか、はたまは、お互いが信じあえる為には何が必要だったのか」を教えてくれた友人がいました。 この謎については、心友が教えてくれました。 「相手を信じなければ相手から信じてもらうことはできない。またこれだけでもいかないのだと、更には“自分が相手から信じて貰う為の努力と強い意思”」が必要になってくるのだと教えられました。 そう諭されてから私は相手に信じてもらう為の努力もしていき、その結果、少しずつではありますが「本当に信用できる人」という人達ができてきました。 ■過去においての生き方 「どうしたらよかったのか?」という正解はないと思います。 ですので、私であったならば、という意見としてお話させてください。 あくまで想像の域のお話です。 人は基本的には運命の線の上を歩いているのかもしれませんが、何かで何かが変わったかもしれないというお話です。 質問者さんは本当にお辛い環境におられましたね。 >強く残されたのは、安易な行動を選択する人間に対しての憎悪、そして自身の快楽の為に子供をこのような、環境へ放り込んだ両親への、非常に強い憎しみでした。 こちらについても、本当に思い悩まれたのだと思えます。 過去で仮に質問者さんが「良い方向に持っていこうとする促し」ができていたのならば、ご両親との関係も少しずつ和らぎ、また、交友関係でも、最初は悪くても「自分の気持ち、自分のしたいこと、自分が認めて欲しいこと」を相手に汲み取って貰えることができたかもしれません。 「促し」というのは難しく「強引に流れを変えようとする」のではなく、少しずつ少しずつ変化を入れていき、それで周りの環境を少しずつ良くしていく意味合いでの促しです。 >希望として残されていましたが、幸せな家庭を築くためには、私一人だけの力では実現できません。 >しかし世の中の人間を見る限り、共に実現できるような相手がいるとは、とても思えませんでした。 幸せは思いがけないところに転がっているものです。 私のような変な人になると、質問した内容や自分の日記に「一文字でもコメントが頂ければそれで幸せ」を感じてしまいます。 最初はそんなことはなかったのですけれどもね。 ただ「自分の意思、意見に対して、誰かが何か反応を返してくれる」ということは、本当に幸せなことなんです。 「幸せな家庭を築く」ともなれば質問者さんは質問者さんで協調性を磨いたり、相手の意図を汲み取り、相手がしてもらって嬉しいこと、喜ぶことをしてあげる力が必要となってくると思います。 私は家庭を持っていませんが、それができるようになってきてから、家族との仲も良くなってきました。(それができない間は、家族との仲どころか交友関係も悪く“本当の友達”と呼べる人はいなかったのだと思います。もっと言うならば“一緒に歩んで生きたい”と思う人は居ませんでした。) ■これから残されている選択肢 これも解答は無いと思います。 ですので何か、知恵の一つとして参考によければ目を通して頂きたいと思います。 質問者さんに「こう伝えよう」と、今、私が思っているというのも、何かの縁だと思いますので。 【(1)何か個人目標を設定してそれを達成していく】   長いものでも、短いものでもいい。質問者さんの実現可能と思うもの、または実現可能としたいものを目標とたて、それに向かってひたすら進んでいく。 [理由]  諦めることはできるかもしれません。そして諦めたら終わりでしょう。(実際は諦めたときに何か、また別の光が見えるということもあるみたいですけれども)。  けれども、諦めなくて進んでいった場合、それを掴める可能性は十分にあるんです。「無理“かも”しれない、だから諦めよう」という“かも”であるのならば、逆に言えばこれは「無理じゃないかもしれない」ということです。    そうであるのならば、何時叶うのか?というものが数値的、具体的に判らずともそれを目指して、掴もうとしてみるのもいいと思うからです。 【(2)協力してくれる人、相談に乗ってくれる人を探していく、自分を前に進めてくれる人を探していく】  性格的、はたまた、波長的に「良く合う人、少し人、余り合わない人、全然合わない人」沢山の人がいます。それこそ十人十色ですね。質問者さんは地球上の人すべての人と合われてお話された訳でもありません。 中には嫌な人も、あまつさえ、憎しみさえ覚えてしまう人もいるかもしれません。 ですけれども、その逆の人もいるのではないでしょうか。    そして中には「自分の成長を促してくれる人、自分の夢を促してくれる人」だってきっと、必ず居るはずです。    そういう人が見つかってから、質問者さんが「相手の為にも、自分の為にもなるよう協力していく心、自分だけではなく“相手とも一緒に話を進めていく心”。 相手を楽しませようとする心、また、相手に信じて貰おうとする努力をしていくことで色々と変えていけるものなのだと思います。    また、学力は社会的に重視されているかもしれませんが、私は良い会社に入って、良い収入を得ている人達よりも、質問者さんの方が何倍も凄い方なのだと思います。(お世辞で言っている訳ではありません。)            ■お勧めの本  「夢をかなえるゾウ」 (著)水野敬也  これには、普段気づかない視点を気づかせてくれるヒントが沢山書かれています。必ず!とは言い切れませんが「人を少しずつ好きになっていけるヒント」が隠されていると思います。    是非一度読んでみてください。 色々と書かせて頂いたのですが、無理は決してなさらないで下さい。 質問者さんの凄さや生き方の良さ、私は凄いなと思いますから。初対面の人にこんなことを言われると変な感じかもしれませんが、私は質問者さんの今までの生き方も素敵だと思います。 時に誰かを憎まれていたとしても、それでも、何かできないかと、前に進もうとされる姿勢が本当に素敵だと思います。 ■よければ未来日記を書いていってみてください。  私が自分の夢を叶えるために毎日つけているものです。  寝る前や、何か思いついた時、自分宛てに日記を書くんです。    感じられたことがあるかもしれませんが、夢を描く自分の心はどこか暖かく、また時に強く感じられる時があると思います。 この時に、明日の自分に向けて、自分自信で助言をしてあげるんです。   「 明日の君へ。   今日は幸せをみつけるために、日ごろの些細なことを振り替えてみた、何気ない毎日の中でとある幸せをみつけることができた。 それは本当に小さなものではあった。 それは自分の何気ない気持ちに対して答えを返してくれる人がいたことだった。 私はこの謎を解いていきたいと思う。 明日の君へ。今日思ったこの考えを引き続いて、また更なる幸せや暖かさを見つけていって欲しい。 」    というような事を書いていきます。  (これは実際に私が書いていた内容の一つです。)    「こうするぞ!」と思ったことでも、すぐに気が弱くなってしまったり、また忘れてしまったりと、中々できないこともありますが、こういう風に“自分自身がしていくべきだと思うこと”を書いていくことでやがてそれは“本物”になってくるのだと思います。    質問者さんにもきっと、色々な種類の幸せを知る機会が沢山できてくると思います。 そしていつか、沢山ある幸せの中で、幸せを知っていく上で「家庭を築く幸せ」を手にして欲しいと願っています。

tomilc
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 なるほど、「相手を信じなければ信じてもらえない」という話はよく聞きますが、 「相手から自分を信じてもらう」というのは考えたことがありませんでした。 確かに、その通りだと思います。 私は今までも、他人を騙したりなどはもちろんのこと、人間として可能な限り 失礼のないよう、礼儀を損なわぬよう努めてきました。それは自分自身を 客観的に見た時に、恥ずかしい人間であるとは思いたくない為です。 しかし、その様な生き方を続けても、あまり人からの信頼は得られなかったように 感じます。ということは、人から信頼を得るということに関しては、このやり方では 思った程効果がない、ということなのかも知れません。 私は他人と接する時、自分ならばどうして欲しいだろう、人からどう接せられれば、 不愉快にならないだろう、ということを、常に第一に考えていました。 しかし実は、私と他人の感性には、大きな隔たりがあるのかも知れませんね。 その違いを探ることが、今後の一つの課題になりそうです。 しかし殆どの方が、過去においての生き方について、他の方法はなかった、と おっしゃられますね。私自身は意外に思いましたが、それは過去を振り返っても 仕方のないことであり、前を向いて生きなさい、という意味であると捉えます。 人生の目標については、実は殆ど達成されてしまった感が、自分の中にはありました。 というのも、私にとっての人生最大の目標とは、私のような人間を私の手で 生み出さないことであるからです。これは結婚して子供を作るつもりがないから 達成した、という訳ではなくて、それを目指して生きてきたら、このような人間に なったから、ということなのです。 現在の自分が完成形であるのか、本当にこの方向性で間違っていなかったのかは、 正直なところ分かりません。ただ言える事は、現在の自分は非常に生き辛さを 感じており、実は他の方法もあったのではないか、という疑問が、常に自分の中に あるということなのです。 最後に、お教え頂きました本を、是非探してみたいと思います。 この度はありがとうございました。

  • yutax001
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回答No.6

他の方も仰っているように、文章を見る限り人としての深みをとても感じます。 もし、あなたと同じように人生や世の中を深く考えてきた人に出会えれば、 充実した領域に進めるかもしれません。 少なくとも、あなたが地球上で最も不幸ではないですし、 同じように人生を究極まで見つめてきた人はいくらでも居ます。 今まではそのような人間に出会えなかったとしても、 これから出会うチャンスは、人間の寿命を考えればまだ何十年もあります。 ただ、普通に社会生活をこれからも送っていては難しいのも事実です。 ---- 質問に答えます。僕個人の意見です。 僕は33歳です。 ・他にどのような生き方があったのか 無いです。 仮に、それを想像したところで、今後の人生の歩みをあやふやにするだけで、何のプラスにもならないでしょう。 あえて言えば、死ぬ瞬間に考えればよいです。 逆に、死を迎える事に現実味を帯びていているからこそ、他の選択肢があったのではないか確認したいのであれば、 それは次に書くような今後の自分を徹底的に考え尽くしてからでも遅くは無いでしょう。 ・今後の生き方 あなたの母国を訪ねてみてはいかがでしょうか? また、他の方の意見の通り、文章や他にも表現活動をされる事に期待します。 勝手な事を言いますが、失う物が無いのであれば、どんなことでもスタートできます。 クライミングで辿り着いた場所で文章や写真を残すだけでも、それはとても意味のあるものになるのではないでしょうか? 少なくとも、僕は見てみたい。 そんな作品が少し溜まったら、個展でもしてみてください。 インターネットを利用するだけでも、見てもらえる機会はあると思います。 そして、色々な人に出会う事になります。 ---- 私的な極論ですが、 僕からすれば、普通に、特に不自由も無く平凡な人生などありふれていて、存在価値は大して無いと思います。 これは群れなければ成り立たない人類にとって異端な考えです。 でも、群れの中で輝けるのは、異端者なのも事実です。 あなたにしかできない事が、実は多くあるように思えてなりません。 そして、死んでも構わないと思っていた人生経験が、唯一無二の糧となる機会が訪れる事を願います。 長くてすみません。

tomilc
質問者

お礼

ありがとうございます。そのような評価を頂けるだけでも、救われる思いです。 まず、母国を訪ねるということについてですが、これに関しては近い将来、訪ねることに なるかも知れません。ただ、私は母国に対して特別な意識を有してはおりませんので、 あまり感じることはないかも知れません。どちらかといえば日本の方が、私は好きです。 表現活動については、正直それは自分にとって、非常に精神的な負担となる事柄です。 私は他人に対してのコンプレックスが強く、自分が創作した物が他人の目に晒された時、 それがとても稚拙な物に映るのではないか、という恐怖心があるのです。 それに私自身、アイデアや創造力などといった才能は、微塵も持ち合わせていないことを 自覚しています。私自身が自覚している能力としては、物事について、与えられた材料を 用いてできる限り正しく認識する、といったことぐらいなものです。 もしも私が表現活動を行えるとするならば、私にとって足りない部分を補ってくれる 協力者がいた場合でしょう。 akaginoyama様への回答でも述べましたが、この活動に関しては、もう少し考えてみたいと 思います。 私にしかできないことがあるのではないか。 実は私自身、そう思うことが往々にしてあります。誤解を恐れずに申し上げれば、身体的、 技術的に特異な能力を持ち合わせていないにしても、精神面や思考で他が有していないものを 持っているのではないか、と思うことがあるのです。しかしいくら考えたとて答えは見つからず、 また発揮できそうな場面も思いつきません。 私の本当の能力を発揮できる場所を見つけることに関しては、自然体に任せることと致します。 この度はご回答頂き、ありがとうございました。

  • DESTROY11
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回答No.5

「どの様な生き方があるのか」 人生の目的でしょうか。 ワタシ自身も心がけていることとしては「何かを残したい」ですね。 一般的には結婚し、子供を得て「子孫」を残します。 それが出来ないなら「業績」を残すというのも一つの選択肢かと。 クライミングのことはわかりませんが、その世界でも著名な方、歴史に名を残す方がいると思います。 同じように、何か名前が残るような業績を一つのこすとで、「この世にいた証」が残るでしょう。 そうすれば貴兄が生まれ育ってきた理由は、このためにあったと言えるのでは。

tomilc
質問者

お礼

私のような人間が何かを残すとなっても、正直これといった材料が見当たりません。 昔は勉強が得意でしたので、学者になりたいとは思っていましたが、現在ではその 面影が微塵も残されていませんし… 一時はクライミングの世界で、何かを残せると良いな、と考えたこともありますが、 先人達が偉大すぎて、とても私などの入り込める余地はなさそうです。 私が最も尊敬し、憧れた人物の一人として、ウォルフガング・ギュリッヒという方が おりました。既に他界されてしまいましたが、クライマーとしての姿勢や生き様など、 彼に影響されたクライマーは数知れません。 そんな彼のように、とはおこがましいですが、多くの人間に影響を与え、惜しまれる 人間になれれば、少しは人生に意義があるのかも知れませんね。 どうもありがとうございました。

  • altered
  • ベストアンサー率17% (64/371)
回答No.4

 悲惨な境遇を経験された割には正気を保っておられるようですね。 強靭な精神と知性に感嘆します。  私は3才で母親を亡くし、継母がずっと病気でしたので あまり幸せな家庭ではありませんでしたが あなたに較べると、どれだけ幸せだったかと思います。  さて、今までの経験で言わせて頂きますと(私は現在55才です) 世の中、どこへ行っても必ず少しはクズみたいなやつがいます。 そして大体が普通のひとで、まれに素晴らしいひとがいます。 どうか素晴らしいひとを見つけてください。  後、生きるには、自分の好きな事にすがるしかないと思います。 私は好きな音楽で妻とも巡り会えました。 どうか、ご自分の人生を切り開いて行ってください。

tomilc
質問者

お礼

はじめまして。経験豊かな方からのご助言、恐れ入ります。 頂きましたお言葉の通り、私が今後の人生を豊かに過ごすためには、 素晴らしい方との出会いが最も効果的であろうことは、想像に難くありません。 現在では宝くじを当てるようなもので、殆ど期待はしておりませんが、それでも 僅かな望みを抱かずにはおれません。 幸いにも、私はクライミングという明確な趣味を持っています。今のところは これがある限り、精神的にも参らずに生きていけそうです。 それにクライマーという人種は、ちょっと他と感性が異なる方が多く、豊かに 人生を過ごしておられます。何よりも様々な事に対して、とても自然体なのです。 私にはとても真似のできないことですので、色々と刺激にもなっています。 素晴らしい方に出会えるとするならば、クライミングを通じて出会えると 嬉しいですね。 この度はありがとうございました。

noname#71139
noname#71139
回答No.2

大変でしたね。と安易に言うのもいけないくらい、私には想像出来ない人生を送られましたね。 私は結婚し子供を二人産みました。 ですが、あなたほどではありませんが、わたしも人間不信でした。 親に死ねと言われた時期があったり、男にふられて自分自身に自信がなくなりよりつく男が信じられなくなったり。 私の人生もいろいろあり、自殺を何度か考えました。 生まれた家柄からの問題やら、夜の仕事をしたりやくざ関係の問題や借金やなんだかんだありましたが、今もいろいろありますが、多かれ少なかれみんないろんな修羅場をくぐりながら生きて、その中で成長していくのだと思います。 あなたの文面をみていると決して学がないようには思えません。 こうやって文字にしてでも問い掛けることができるのですから人間と関わることが全く出来ないわけでもないと思います。 あとはあなたの心を開いてくれる人間に出会うことです。 私の場合それが今の夫です。 きっかけはどこにあるかわかりませんから積極的に人と関わるところにいくといいと思います。 それからつまらなくても笑ってみる。笑っていれば幸せがやってきます。これは心理学や哲学などではなくて、化学や物理学、理論で片付けられる部類の話です。だから騙されたと思って笑って生活してみて下さい。今、無表情になってる自分に気付いたら笑ってみて。常にそれを意識して生きてみて下さい。24時間のうちどれだけ笑顔でいれるかのギネスでも目標にするのもいいかも。 決して迷信でもおまじないでもありません。笑顔でいることで起きる良い連鎖が生まれます。

tomilc
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 親から死ねと言われたとのことですが、それは非常につらい体験であったと 察します。子供にとっては親が世界の全てであり、親に見放されるということは、 死に等しいことであると思います。人の親になるということは、何十年と続く 人一人の人生を生み出すということ、そしてそれに向かい合う、責任が生ずると いうことです。 私がいうまでもありませんが、お子さんを大事にして差し上げて下さいね。 私は会社勤めをしていることもありますし、クライミングでの友人関係も ありますので、人と接するときはできる限り明るく振舞うよう、努めています。 但し、それは社会生活を送る為に必要なことであり、対人関係を円滑にする為の 技術であると割り切っています。 しかしおっしゃられるように、一人でいる時は笑顔でいることなど殆どないと 思います。一人で町を歩いている時など、ふとショーウィンドウに映る自分を見ると、 いつも険しい表情をしています。意識せずに行うのはなかなか難しいですが、 なるたけ笑顔でいられるよう、努力してみますね。 この度はありがとうございました。

回答No.1

助言とかではありませんが、一言。 私は質問者さんとは殆ど逆に、かなり恵まれた環境で育ってきましたし、親にはかわいがられ、与えられた選択肢も自由度も多かったです。でも、歳をとってからすごく大きな挫折を経験したことにより、人生の大きな目標を失ってしまいました。拠り所を失って生きて行く意味を自問しつづけていますが、暗くなるばかりで先が見えません。自分に素直に、その時々できるかぎり良い選択をしてきたとは思いますが、結果的に突破口が見えない道に迷い込んでしまった気がします。 言いたいことは、全く反対の世界で生きてきた人間も、質問者さんと同じような人生の段階に行きついてしまうこともある、という事です。質問者さんとは逆に、家族や与えられた環境には大変感謝していますが、それに見合った結果を出せなかった自分に対する敗北感や喪失感に襲われています。それは感情だけという意味でなく、実際の生活酷いものになってしまいました。実際にこの先、私が生きて行く価値を見出せません。 でも、私なんかとは比べ物にならない程の非常につらい思いをされた質問者さんの様な方でも、外から見た限りでは淡々と生活して生きていけているということを知るだけでも、私はちょっとした勇気と希望を与えられます。そして、質問者さんのような方には、生きていてほしい。そういう苦渋を経験した人が乗り越えた先に何があったのか、そういう人に出会って話を聞いてみたいな、という我侭な思いを、私は持ってしまいます。

tomilc
質問者

お礼

そうですね、私がこの短い人生で感じたことは、人とはほんの些細なことがきっかけとなり、 後の人生に大きく影響することが往々にしてある、ということです。 もちろん、そうならない為に色々と思慮を巡らせるわけなのですが、思ったとおりいかない ことも多く、人とは何と無力な生き物なのだろうと感じます。 私は、他人の力になる為に生きようなどとは、思うことはできません。 それでも自分の存在が、他人の人生に良い影響を与えることができたのだと言われれば、 少なからず喜びを感じることができます。きっと私の中に残された僅かな人としての心が、 そう思わせるのでしょう。それに自分自身、このような人間が人生を全うした時に どのような結末が待っているのか、とても興味があります。 ですので、今のところは自ら死を選択するつもりはありません。惰性でもこのまま 生き長らえた先に何があるのか、知りたいと思っています。ただ、事故などで死に直面した ならば、抗うことなくそれを受け入れるでしょう。 将来私が老いた時、お互いに話ができる機会があると良いですね。 どうもありがとうございました。

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