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正しい指導方法について

生徒指導論なる講義を受けて、疑問が沸きました。 講義では、『そういう人もいる』,『十人十色』といった言葉を使う人は他人と関わろうとしていないと言われました。 確かに自分もそういった言葉をよく使うのですが、決して相手を理解しようとしていないわけではないです。 ただ、その人の個性を尊重するといった意味では、相手の異なる部分には自ら手を下して変えさせようとは思っていません。 指導者として、この考え方は正しいといえるのでしょうか?

みんなの回答

  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.4

こんにちは。 私は67才の男性です。 長年、ODA(政府開発援助)保健衛生のコンサルタントとして開発途上国の医療関係の人材育成の仕事をして来ました。 指導の基本は《正反合》です。 先ず、正しい見本を示す。 徹底的に真似をさせる。 見本を吸収すること。 自分なりに考えるのが第二科。 自己を主張して、自分の型を築く。 結局は見本とは大きく隔たったものには決してならない。 それでもみんな自分なりに智恵を絞った結果なので満足。 初めから、個性尊重なんてありません。 それは放縦に過ぎません。 基礎をやかましく教える人がいなくて、どうして意義のある、優れた技術が伝わって行くでしょうか。 すべての正しい指導は愛情ある指導者の熱意が伝わって行くのだと思います。 1970年代の後半にインドで技術指導の際、KJ法を教え、ブレーストーミングをやりました。 企業の最高経営者の御曹司がえらく熱心に取り組んでくれました。 彼はその後、この企業に《ブレーンストーミング》を定着させ、企業の劇的な進歩発展を導き出しています。 この国のカースト制度のカベを打ち破るものとして、大変注目されています。 夜遅くまで、口角泡を飛ばして議論した日々が懐かしく思い出されます。  個性云々は基本を習得してからのこと。 指導の基本は《正反合》

  • potachie
  • ベストアンサー率31% (1065/3387)
回答No.3

理解するのは最初の一歩で、その上で相手を感化し、導くことをリーダーシップといいます。 個性を尊重するというのは、最初の一歩で、これだけでは相手と関わったことにはなりません。その先に、その生徒に対して「主導的にどうしたいか」という自分の理想・信念がないと、指導にはなりません。 単に「相手の異なる部分には自ら手を下して変えさせようとは思っていません」というお考えなら、人を導くという立場にはならない方が良いです。 相手の異なるところに踏み込み、理解し、そして自分の信念に基づき、場合によっては相手のその部分を否定することも含めて、良い方向に導いてこそ、指導者の存在価値があると思いませんか? 他の方も書かれていますが、これは単に人間関係を持とうという話ではないので、不十分過ぎるように思います。 あなたの言葉をそのまま受け取ると、単に、共感するところに頷き、相異なるとことは放置する という「指導方針」を持たれているということになり、ちょっとヘンですよね。もっと深くきちんと自分のお考えをお持ちだと思いますが、それが質問の中に見受けられません。

  • st_comp
  • ベストアンサー率41% (16/39)
回答No.2

>>『そういう人もいる』,『十人十色』といった言葉を使う人は他人と関わろうとしていない さまざまな意味に取れますので、前後の文脈が重要かと思います。 この発言自体が、ある特定の言葉遣いをする人間を色眼鏡で見るような、型にはまった考え方だと思いますが、 人格と相対した時、その人格に対して何らかの反応を示すものです。 反応を示さない場合はまずもって無視しているいう考えもむべなるかな、という意味ではないでしょうか。 何に対しても"Anything goes"で通してしまう人は、相手に対する反応を拒否しているともいえなくないですね。

回答No.1

はじめまして。 教育に興味を持っています。 そしてよく、『そういう人もいる』,『十人十色』という言葉を私も使います! そのほうが柔軟性があっていいように聞こえます。 良いことだと思います。 だって本当に人それぞれなんですもん。 生徒(子供)だって皆同じ考えで、同じ行動をするなんてあり得ません。それぞれ異なる方針を持った親に育てられるんですから。 でもその講義で先生がおっしゃったのは 私が思うに、『そういう人もいる』,『十人十色』 で終わらせてはいけないということではないでしょうか? 日常生活で、自分の常識から外れた行動をとる他人に遭遇した時は驚きますよね。そんな時私は、『そういう人もいる』と自分を落ち着かせます。 しかし、教育の現場では「常識」や「規律」などを教えてあげなくてはなりません。 つまり、『そういう生徒もいる』,『十人十色』と、個性を認めつつ、 「ではどうするか」 という策を考えなければならないということではないでしょうか。 生徒を放置してはならないということでしょう。 『そういう人もいる』,『十人十色』という言葉を使っても構わないけれども、『そういう人』のためのフォローや教育方法を考えなくちゃ! っとことだと思うのです。 長くなりましたが “『そういう人もいる』,『十人十色』といった言葉を使う人は他人と関わろうとしていない” だけ聞くと正しいとは思えないです。

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