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大正時代 カーディガンなどの洋服

大正時代にカーディガンやニットベストのような 洋服は普及してたのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.4

蛇足です。 私は祖父、父がチョッキと言っていたので、スーツつくる時チョッキも欲しい、といったら、テーラーの人が、「今どきそうおっしゃるお客様は珍しいですね」と。ベストだと知りました。 当時は帽子あらい、という商売があり、ソフト、カンカン、のクリーニングみたいなことをしてくれる人が、自転車で回っていました。汗で中が汚れるので、けっこう商売になったようです。カンカンは、夏場の必需品でしたから、その時期は忙しかったそうです。あと、簡単な修繕もしてくれました。 革手袋しているとケッコウな寒さまで三つ揃えは大丈夫です。それでもダメならマフラー、そして外套の出番となります。これは背広がもともと軍服だった名残でしょう。外套は今の感覚より高額なので、大事にしていたそうですし、古着屋はもうかる商売でした。 大正時代洋服来ていたのは主に男性で、女性はかなりお金もちか、根性でお裁縫やっていた人が着ていたそうです。雑誌には流行の型紙なんて当時から乗っていました。例外は女学校、特にミッションはセーラーなことが多いので、街ではみんなの注目を集めており、女学生も冠婚葬祭はおろか、遊びにもとオールマイティに着こなしていました。学校によっては体操着つかわずにセーラーで体育していたくらいです。それでも、自宅まで洋服という人は、珍しかったようです。でも、編み物ができる人は、セーター編んで着ていたりしたそうです。都会の中学生は当然詰め襟丸刈りです。自宅では洋服も、和服もいました。旧制高等学校、大学生も詰め襟でしたが、これらハイカラに対抗したバンカラ(蛮カラ)もいて、高下駄はいて、わざとボロくした詰め襟と帽子(フライパンでいためてボロボロにする)、マントで闊歩する光景もありましたが、勉強はみな真面目にしていたそうです(中学に進んだだけで当時はインテリです)。 都会は一応洋服も多かったのですが、地方では兵役で軍隊に入りはじめて洋服きて革靴はいた、なんてひとは珍しくなかったそうです。軍隊靴は頑丈で人気があり市販されてもいました。いまでも、軍手なんて、帝国陸軍の名残が残ったものがありますね。

wasabimant
質問者

お礼

回答いただき有難うございます!! 色々と細かく説明していただいてとても感動しました!! 学生さんの服装についても知れて良かったです セーラーで体育というのに驚きました 汚れてボロボロになってしまいそう>< うーん知れば知るほどこの時代の服装は奥が深いですね!

その他の回答 (4)

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.5

4です。補足です。 >学校によっては体操着つかわずにセーラーで体育していたくらいです。 これはあくまでも、室内で体操や平均台やるくらいの一部学校でのことでした。ただ、和服・和装に比べて飛躍的に女性を解放した服装、であったのは事実です。昭和期になると、ちょうちんブルマの体操着となり、授業もいまと変わらなくなります。 今はないものに軍事教練あり、配属将校というものが陸軍から各校に配備され、銃剣術の木でできた鉄砲もって整列とか、消火活動などを体育とは別にやりました。概して乙女には辛く、評判が悪かったようです。ワルだった祖母は、みんなをまとめて教官に「かっこいい軍隊のおはなししてくださ~い」とすり寄る戦術をとったら、純朴な地方出身の将校が赤くなっておもしろかったと、言っておりました。

wasabimant
質問者

お礼

お返事が遅くなり申し訳ありません 今では考えられない授業を昔は やっていたんですね・・・ でも祖母の性格はすごく好きだなと思いました^^

  • cobamax
  • ベストアンサー率41% (157/381)
回答No.3

この時代、まだ着物が普通であったが、「モダンボーイ」の登場により 写真のような、かんかん帽に背広スタイルが大正ロマンの訪れで 男性のファッションの先端となりました、冬場は中にチョッキを 着て今で言う「三つ揃え」になり「外套」という今の「オーバー」を着ていました、 この時代ニットは普及しておらず、ベスト カーディガン等の名称もありませんでした、着られるようになったのは昭和に入ってからです、 (参考サイト) http://ohoshisama.info/syowakarano/02taisyo/taisyo14modan.htm

wasabimant
質問者

お礼

お答えいただき有難うございます! ベストやカーディガンというのは日本ではまだ存在 してなかったのですね サイトの写真も資料として参考にさせてもらおうと思います! 有難うございました!

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.2

そういうことならお答えできます(^_^) 昔はベストと言わずチョッキと称しており、今のベストに似たものはちゃんとありましたよ。でもニットが現われたのは戦後ですから、全く同じものではありません。材料は毛糸や皮革が多かったのではないかと思います。

wasabimant
質問者

お礼

お答えいただき有難うございます!! ニットは戦後からなのですね勉強になります。 やはり似たようなのはあったのですね チョッキでまた調べてみたいと思います 大変参考になりました!

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.1

『カーディガンやニットベストのような洋服』という表現はいろいろに受け取れます。カーディガンとニットベストで洋服のジャンルを制限しているように思われますが、具体的にはどんなものを想定したものなのかがはっきりしません。それとも例えばということで、洋服一般に関する質問なのでしょうか?

wasabimant
質問者

補足

すみません質問がアバウトすぎました 大正時代の男性の服装について調べてまして 男性は着物や背広を着てたそうですが それと同様にニットベストを着ている人はいたのか 知りたいのですが・・・ 説明が下手くそで申し訳ありません

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