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【着信拒否など】対話を放棄するのは正しいの?

noname002の回答

  • noname002
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回答No.4

日常的レベルでよく見られることではありますし、ありふれた話題に過ぎないようでいて実際、他人との付き合い上、最も手を焼く問題ではありますよね。 「対話」といっても、単なる茶飲み話もありますし、ここのような一問一答を基本とする場もありますし、いわゆる哲学専門サイトのように、一つのテーマをめぐってメンバー全員でトコトンやりあうような場もあります。 なかには単に顔だけ向け合って、話す内容は直接目の前の相手と無関係のことを、離れたところにいる人に向けて聞こえよがしに、いわば「遠吠え」をしているだけの「対話もどき」をする人もいます。これ、オフィスの古参女性社員どうしの陰口なんかで、よくやる手口ですね(笑)自慰としての独り言を大勢の人の耳に吹き込みたいだけの寂しそうな人もいるし(こういうのは、相手してあげる余裕のある人がすればいいことです)「対話」と称して実はアジテーションだったり演説だったり勧誘だったり。まあ、内実は、いろいろです。 むかし電車のなかで見かけた光景なんですが 私の隣に坐っていた作業服姿の肉体労働者と思しき年配男性が、私の反対側に坐っている、その男性の隣の青年に、しきりに話しかけていました。聞くともなく聞こえたのは 「…人間というものはな。。。」でした。なんか熱心に小言を言ってるのか、お説教してるのかなと思っていたら、駅に着いたとたん青年はパッと立ち上がり無言のままサッサと降りて行きました。私は「あれ?隣のオジサンの連れではなかったのか」とフシギに思っていたらオジサンは何を思ってか今度は私のほうに向き直り 「あのな。人間というものはな、、、」と始めたものですから、こちらは思わずポカンとしたものでした(笑)寂しかったのかしらね?? 敢えて哲学ということで御考えになるならば「対話」とは、はたしてどういうことか、いかなるものであるべきかという詰めが必要なのでしょうが、それを思想的に或いは理論的に、まあ要するにコトバのうえで確立させてはみたものの、それを実行していけるかどうかも、現実の種々の制約が絡みますから難しいものがあります。長い投稿になりそうですが御容赦くださいませ。 No.1さま仰るような「必要が無い人、などと無理に話す必要」ですが、必要があると思う限りは、なんとかしようとし続けるでしょう、それが多分に徒労に終わるであろうと予想されるときなどは、どうでしょうか。それどころか自分にも相手にも何らかの破壊的影響が懸念される――まさに、ぺんぺん草も生えない「不毛」このような場合に、これを避けるというのは、やむを得ないこと、生活上、自然なことです。 「不毛」ということが「対話」において、あってはならないこととするならば、明らかにされるべき問題は、実は、どこに「不毛」の原因があるかということに他ならないのですが これにつきましては、なかなか越え難い深い問題が付きまとってきます。ことに心理的な問題です。 まず個々人の思索能力の深度、傾向性、解釈能力の問題ということもありますし特に心理的なものが根強く潜んでいる場合には対応に困難を極めることもあります。この場合、認知の歪みといったかたちが顕著に出てきます。それも、外的対象以前に、本人の自己に対する認知の問題です。 一見、対話をするようなポーズをとっていながら心底では自らそれを拒絶していることに自分で気づいていない、さらには気づいていないふりをするという事態があるということを珍しくもなく目の当たりにすることがあります。 こうした態度がとられる場合の当人の心理というものを考察してみますと、当人自身が、すでに怖れの感情や不都合を伴っていると感づいている何らかの対象についてマトモに向き合わされるような情況になりかねないと危惧したとき、(意図の有無は別として)そこに向かせようとするに至った相手を、自分に対して悪意ある攻撃を仕掛けていると解釈してしまう傾向の強い人がいることです。ですから、こうした人は不必要に攻撃的対応をします。迎撃してるつもりなのでしょうね(笑) あと、攻撃の変形とも言える支配欲。その裏は弱さです。 このような場合、時間と労力を費やしてでも無理に向き合わせ直視させることが、辛うじて立っている本人の知られざる脆さを暴露し、刺激し、かえって不測の事態を招きかねない、しかし、その結果に対して責任を負うことが不可能であるとき、かえって無関心が無難というようなことも、ままあります。 「無関心は愛の逆」という考えかたもありますが「強過ぎる関心が相手を殺す」こともあります。憎しみだって関心の一種です。そこにいることを許さないものは、抹殺しようと働きかけるでしょう。 敢えて「無関心」とは「そこにいてもいいよ」ということでもあります。 その無関心が「拒否」であると感じてしまう人は、自分を拒否されたくなければ、まずは自分自身の側に本質的無関心、拒否感が潜んでいないか、そもそも自分のなかに相手の拒否行動を招いている原因がないであろうか検討することも必要になってきます。 もしも自分自身の弱みを暴かれたくない、見逃してもらいたいなら、相手のことも、なるべく見逃してやることです。相手を徹底的に追及したいならば自分自身も大量の血を流す覚悟を持つべきです。前提として、それが許される場や関係であるかどうかも否応なく関わってきますが。 自分は言い逃れをして良いほうにまわり、あくまで高みからモノを言うようなことしかできないならば、そのような人に哲学は無用です。場違いな発言です。しかし哀しいことに、その「場違いさ」を理解することすら覚束ない。むしろ、こういう人ほど信念らしきものを堅持しておられるようなのですが、それが何ゆえかはさて置き、どうも恐怖心由来のものであるらしいと私は見受けております。 間主観と言いますけれど、これを持ち出しながらこれをどう解釈するかも、その個人の、あらゆる限界が顔を覗かせます。 そして、その限界をいかに指摘しようとも、受け入れることができるかどうかは本人しだいです。 いつでしたか私は、ある人への参考にと、一つの科学的分野におけるシステムのメカニズムを紹介してみたのですが、もう全く的のはずれた解釈をなさっておられ、再説明もむなしく、無視の構えでおられました。これが単に思考力、理解力の問題から来ていることなのであれば、これ以上の説明を繰り返しても無駄であろうかと思いましたし意図的なことだったのであれば、人柄の面で、相手をするのも無駄であろうかと思いました。しかも罵られましたのでね(笑) 「個性は拘束なくしてありえない。」これは、かの松下幸之助氏が仰ったそうですが、「個性」を「自由」に置き換えても同様なことかと思います。 自らくびきを望むことが自由である、いや、そうではなく実態としては、自ら設定した内なるくびきをもって守らねばならない不自由さを、自由であるとするタテマエに寄りすがって立っている人の、その後生大事なカンバンを、ただの他人が奪ってしまってよいものだろうか、そのカンバンが本当に取り払われるのは、本人が身をもって煮え湯を呑んだときではないのか?それを待つべきだろうか。そして、それを未然に防ごうとすることの意義。むなしさ。 「天は自ら助くる者を助く」と言うそうですが 私自身が「未然に防ごう」とするようなときの動機は至って単純で、自分にとっても不快が伴うであろうからに過ぎません。しかし自分にとって、さしたる不快が伴わないとき、どういう選択をするか。無理な選択をしたことが、どのような報いになって跳ね返ってくるか。 対話や助言といったもの或いは読書でもそうなのかもしれませんが、それらが目指す本懐、目的、それらにかなう効力の限界ということ。結局、本人自身が、ある日あるとき煮え湯を呑んだ、その体験なくして本当には届かないのではないだろうか。かつて私が身近の人間関係のなかで、はては、このサイト或いは別のサイトのなかで経験したことを思うと、最近つくづく、このように感じます。 「バカにつける薬はない」ということですか(笑)せめて、自分はバカかもしれないという最低限の自戒を持ちたいですね。悪性のナルシストは有害です。 リスクを冒しても、という働きかけを持続したい場合でも、やはりある程度の冷静な選択は必要です。あくまで共倒れを避けるためです。ですが基本的に感情優位で論理能力が乏しい人には、どうしても難しいみたいですね。冷静な判断とはどれか?が、そもそも理解できないみたいですし、それは選択しないほうがいい、と言われると、人格否定されたかのように感じてしまうみたいです。オール オア ナッシングというか。判断力乏しいうえ極端なわけですから実に始末悪いです。オマケに威張りたがる(笑) ボランティアについて言われることですが、本来はステイタスの証なのであり、自分の足もと不如意な者がすることではない。それを承知で強行するのも一つの見識かとは思いますが、結局「不毛」であった場合には救いようがありません。 これも一種のコミュニケーションではありましょうがケンカのようなことに伴う感情的なものは、その波が静まるまで、ふつうは大なり小なり時間を要します。(エライ坊さまや聖人は知りません笑)その波を静めるどころか、よりいっそう荒立てるようなことをしてしまう強迫的な人は「着信拒否」されても仕方ないことです。そのことを責める前に、何がそうさせたのかを考えましょう。 以前にも、どなたかへの投稿で述べたことですが「自分を棚上げにした哲学」「自分を不問に付す哲学」「他者を下げ降ろして自分を良いほうに置くための哲学」などはありません。それはナルシストの言い訳文学です。或いはロゴスを気取った一種の自慰活動です。こういうことをやり続けたあげく外部の人たちから「キ×××部落」なる評価を下され「マ×掻き猿」なる仇名を戴くに至った「文学男」もおりました。笑止千万のカテゴリー違いというものでしょう。 哲学、心理学、文学、はては数学に至るまで、その愛好やまないはずの学問を自らの手で汚していることに気づかない輩が多いことです。信仰でも宗教でも同様の事態なんじゃないかと思っています。これらのことについては私自身も今まで相当溜め込んでしまっているものがあります。そのせいで長い投稿文に(笑) ソクラテスは飽くまでも、頑なな者に「気づかせた」側だったはずですが、その対話術なるものは問えば問うほど他者の何かを奪い或いは、より過ちを促進させ(究極が毒をあおがせるという刑罰による殺人)そのことに自分で気づくこともできなかった愚者だったのでしょうか。だから毒をあおるにふさわしかったというのでしょうか。 自分についての認識も甚だ覚束ない頑ななナルシストが、敢えて毒をあおるどころか他者に毒をあおがせ、そして己は生き残ろうとする、このような者を「ソクラテスの再来」と呼べというなら泉下のソクラテスの思いは如何に、と呆れます。 コルベ神父は、その身と引き換えに一人の男の命を救ったそうですが、命を救われた側の人の思いもまた、いかがなものであったかと思います。これを思い出すとき、いつも共に思い出すのは、杉原千畝氏のことです。 >相手に悪意があったり、某反日国家のように相手が話を聞かないような状況なら対話なんて無理でしょうね。 仰るとおりです。まず自分の足元を顧みることです。それができないうちは本当の対話は不可能です。 しかし恐らく自分自身を省みるということは、ある種の人たちにとっては自殺行為に等しいのでしょうか。 単に適当な妥協点を探り合って「じゃ、とりあえず、そういうことで」というところに落ち着きたいのであれば、それでもいいと思いますが、それって哲学なんでしょうか?血を流すようなことでもないと思います。まして、その妥協点なるものが飽くまで一方の側に傾けるために、一方の側が無理をして譲歩することを、「対話」などと呼ぶ必要もないと思います。 そもそも何のための「妥協点」か、本当のところ、それを必要としているのは誰なのか?そこを問うべきでしょう。 個人の「マイルール」の押し付けなんてマッピラですね。 >対話せずにどうやって解決するんだろうと 解決すべき問題が、誰の問題なのかということ。その問題を解決しないと困るのは、はたして誰なのかということ。投影や同一視をやりがちな傾向が強い人は、ここを混同し易いです。 シンプルに考えれば、居直った態度のままで「対話」を要求(強要)したって、よくよく、ご奇特な人でもなければフラレるのが当然でしょう、相手は全く困っていないのだから。 困る、と思うほうが頭を下げればよいのです。それができないから要らぬ問題が膠着します。 また、重大な差し迫ったことでもないのでしたら距離を置くほうがよいこともあります。 もしも質問者さまが本当に解決しないと相手のためにも大変なことになると危ぶまれるのであれば、誠意をもって説得に努めてください。幼い子どもとか判断能力に問題が大きい人などは、保護者の責任が重いですから、相手が拒否しようが、有無を言わせず正さなければならないこともあるでしょう。 それが誰よりも自分自身のために必要なことであるのなら、自分が良いほうにまわって恩着せがましいことを言わないことです。恨まれるだけです。 その「対話」が誰にとって、何のため必要なことなのかを自覚すれば、自ずととるべき態度は知れるでしょう。 誰にとって何のため、このへんを明らかにすることが、かえって相手を追い詰めることになるのなら、私は敢えてしません。 問題の重要性、切迫度等を勘案したうえで本当の意味での「御自分のための」判断をなさってください。                     「解釈が目指すのは一致ではなく理解である」D.デイヴィッドソン あなた寄りの一致を焦るとき暴力が生じる。 解釈不可能となり理解は永遠にあり得ない。 無関心を恐れる人は、また無理解を恐れている。 このような人が自分寄りの一致を焦るあまり暴力へと走る。 解釈不可能となり理解は永遠にあり得ない。                    

noname#73004
質問者

お礼

話が出来るかだけでなく、どのように話すかも重要になってきますよね。上手な話し方とは何か。 個々人の思索能力の深度、傾向性、解釈能力の問題があるため、分かり合えない人というものがあるんですか。 またはデリカシーもかな。 相手の対話の態度を攻撃的だと解釈されるとどうしようもないですね。悲しいですが。 私は無関心が「拒否」であると感じてしまう人間ですが、やはり原因は追究します。 ここで相手に話を聞く気が無ければ、追求してもそれで終わってしまうのではないでしょうか。 あの言い方が不快だったんだな、じゃあ謝ろう、でも着信は拒否されてる、目を合わせてもそっぽを向かれる…という状況であれば。 相手とケンカになったのなら、何かしらの原因があります。それがお互いさまでなければ、どちらかが何か譲歩しなければならない気がします。 「この前のあの言い方は不快だった」「ごめん、今度から気をつける」という風に。 そこが理不尽であれば合わせる事はないでしょうね。 対話は誰の為かは、私はお互いのためだと思うのですが、相手がそれを望んでいないのなら自分のためだと言えると思います。 ありがとうございます。

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