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山手線と赤羽線について

  • 質問No.4440438
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お礼率 69% (219/315)

現在、池袋~赤羽間の赤羽線は、埼京線の一部ですよね。

その赤羽線の起点駅である池袋駅では、現在山手線ホームと赤羽線(埼京線)ホームは別ですが、30年程前までは、山手線と同一ホーム発着だったそうですが、今でも山手線ホームから赤羽線の赤羽方面へ線路は繋がっていますか?

また赤羽線の出発ホームは、山手線外回りホームの3・4番線(現:7・8番線)だったそうですが、到着ホームは山手線内回りホームの1・2番線(現:5・6番線)ですか?それともやっぱり外回りホームですか?

また、赤羽線は元々山手線の一部(本線)で、当初は品川線(品川~赤羽間(一方、池袋~田端間は豊島線))と呼ばれていて、環状運転をする際に、これらと田端~東京間の東北本線の電車線、東京~品川間の東海道本線の電車線を「山手線」と称するようになったと、某関連書籍で知りました。こうした歴史を見ると、今の埼京線がかつての品川線みたいな感じなのかもしれませんね(大崎~品川間は通りませんが…)。

ということは「赤羽線」は、「山手線」の環状運転には必要ない区間となりますよね。でも池袋~赤羽間が「赤羽線」という路線名になったのは1972年で、それまでは「山手線」だったそうですが、やはり赤羽方面に行ってしまうとそこで折り返して池袋方面へ行かなければなりませんね。「赤羽線」になってからは、池袋~赤羽間を行ったり来たりしていたそうですが、「山手線」と呼ばれていた頃は、池袋以南(新宿・渋谷方面)へも運行されていたんですか?少なくとも「品川線」と呼ばれていた頃は品川まで走っていたとは思いますが。

回答御願します。

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.5
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ベストアンサー率 78% (145/184)

池袋駅の赤羽線の発着ホームは、1983年(昭和58年)10月に10両化と合わせて新1・2番線(現3・4番線)に切り替えられましたが、それまでは東武東上線隣接の4番線(現8番線)1本のみで発着を行なっていました。
ちなみに、当時は3番線が山手外回り、2番線が山手内回り、1番線が山手内回り池袋始発終着となっています。
また、山手外回りは池袋駅ホーム大塚方すぐ先から下り勾配となっていますので、「赤チョン」(赤羽チョン行:赤羽線短区間運転)の頃でも3番線から赤羽方向への発車は出来ない構造となってました。

現在も、池袋駅8番線から池袋-板橋間にある池袋運転区池袋派出(当時は池袋電車区といい、山手線・赤羽線車両の基地だった)への出入庫線が埼京線(赤羽線)と交差していますが、この箇所はあくまで「交差」の機能しかなく、「渡り」の機能はありませんので、1983年10月以前のような池袋駅8番線から赤羽方向への進行は出来ない構造になっています。
また、信号方式も、山手線がデジタルATC、埼京線がアナログATCと異なっており、双方の線を走る電車もその線区のATCしか積んでいませんので、信号方式の面からも乗り入れは不可能ですね。

なお、品川線赤羽-品川間が豊島線池袋-田端間、大崎 - 大井聯絡所間貨物支線(軍用線)と共に「山手線」となったのが1909年(明治42年)10月12日。
この年の12月16日に山手線赤羽-品川間、田端-池袋間が電化された際には、後に赤羽線となる赤羽-池袋間の分離運転が行なわれているようですから、山手線として赤羽から池袋以南へ運転されていたのはわずか2ヶ月のようです。
お礼コメント
13A

お礼率 69% (219/315)

詳しい回答ありがとうございます。
 
赤羽線は4番線(現:8番線)発着のみですか。てっきり、池袋行きは1番線(現:5番線)に到着して、目白寄りの留置線に入って、再び4番線に入って、赤羽行きになっていたのだと思っていたら、とんだ間違いでしたね。じゃあ、新宿方面→池袋→赤羽へ行く人はともかく、赤羽→池袋→新宿方面へ行く人はホームを移動しなければならないから、大変でしたでしょうね。

線路は、繋がっていても通行はできない上に、車両はそれぞれのATCしか積んでいないんじゃあ、昔みたいなことはできないんですね(あまり、する必要はないと思いますが・・・)。
投稿日時:2008/11/03 15:36

その他の回答 (全7件)

  • 回答No.8

ベストアンサー率 35% (7/20)

以前、埼京線で通勤し、池袋を通っていました。
池袋電留線(旧池袋電車区)は、山手線のほかに、埼京線や成田エクスプレスの車両も停泊しています。よって、池袋電留線を介して、山手線と埼京線(赤羽線)は今も繋がっているといっていいと思います。No.5さんの回答の通り、山手線の入出庫の電車は埼京線の上下線と平面交差しますが、そのポイントは「渡り」の機能しかありませんでした。やはり両線では信号方式も異なり、直通の必要性も薄いことも遠因かと思います。
 また、電留線から山手線池袋駅へのルートは、

池袋電留線--埼京線上下線と交差--山手5番・8番線への分岐--(二手に分かれて)11両編成長の停止ができる区間(内・外回り入出区用に各々ある)--5番・8番ホーム

と、出庫からホーム据付までの間に待機できる区間があるので、早めに出区し、埼京線上下線をうまくぐり、ホーム手前で一旦停止し時間調整をして池袋駅ホームに据付…ということも出来るようです。
 以上のように、池袋電留線からは、池袋5番・8番、ともに山手線本線を支障せず出入庫できます。しかしながら池袋の目白方、山手線本線の間に引上げ線が現存しているのは、昔の赤羽線時代の名残かな…?と考えています。
お礼コメント
13A

お礼率 69% (219/315)

詳しい回答ありがとうございます。

池袋電留線には、たくさんの列車がいるんですね。また線路は繋がっていても通行はできないんですね。
投稿日時:2008/11/03 15:47
  • 回答No.7

ベストアンサー率 36% (56/153)

こんばんは。

 山手線が現在の環状運転となったのは大正14年(1924年)11月1日とのことです。したがって営業(客扱い)運転では赤羽線が支線、いわゆる山手線部分が環状線とわけた形態です。昭和5年(1935年)10月号・日本旅行協会発行時刻表では直通運転の表記がありませんので、赤羽線から山手線への直通はなかったのだと思います。
 私が子供のころは板橋駅に都内では珍しくも蒸気機関車が貨物を引いて顔をだしていました。また赤羽線も101系化直前で吊りかけ駆動の旧型国電が17M車を交えいきかっていました。カナリヤ色の101系8連にかわると、ときおり、中央快速色、オレンジ101系がなぜか(検査の都合?)走るのが目撃され子供心にドキドキしたものです。(8両です)また低窓タイプの103系も時々走るすがたがありました。埼京線前の「赤羽線」時代は池袋・赤羽ともホームは一線のみ二線ではありません。昼間は3本の電車が忙しく駆けずり回っていました。
質問者さまへの回答から脱線してしまいました。ゴメンなさい。
お礼コメント
13A

お礼率 69% (219/315)

詳しい回答ありがとうございます。

正式に「赤羽線」になる前から、池袋で折り返してたんですね。その池袋どころか、赤羽も1線だけだったとは。それなら1時間に3本もしょうがないですね。

それにしても都心で蒸気機関車ですか、スゴイですね。今では考えられません。最近の都心の蒸気機関車といえば、1999年に品川駅臨時ホームに、C62-2号機が999号として展示されていたことぐらいですかね。・・・話がずれて、すいませんでした。
投稿日時:2008/11/03 15:44
  • 回答No.6

ベストアンサー率 27% (741/2672)

池袋車庫 の回送電車の本数

出庫が 外回り 3本程度  内回り 7本程度
入庫が 外回り 7本程度  内回り 3本程度

片方は引き上げ線に入線するため、少ないと思う。
お礼コメント
13A

お礼率 69% (219/315)

回答ありがとうございます。

外回り入庫と内回り出庫、内回り入庫と外回り出庫が同じ本数ですね。
投稿日時:2008/11/03 15:38
  • 回答No.4

ベストアンサー率 36% (1982/5385)

3番線か4番線か定かではありませんが、#3のご回答が正当ですね。

#2にある、貨物列車の直通が多かったというのは田端操車場が出来る前の話なので戦前の話になります。武蔵野南線が出来る前の山手貨物線は、今の湘南新宿ラインと同じ線路で田端に向かうか、大宮方面直行は駒込~田端の連絡線で東北貨物線へ向かってました。当時の山手貨物線には撮影に行ってましたので確実です。
お礼コメント
13A

お礼率 69% (219/315)

回答ありがとうございます。

ということは、駒込~田端間に山手貨物線の線路があったんですね。今は駒込を過ぎると、山手線の下を潜って、東北貨物線へ入ってしまいますが。
投稿日時:2008/11/03 15:30
  • 回答No.3

ベストアンサー率 37% (7872/20995)

他カテゴリのカテゴリマスター
黄色い電車の「赤チョン」時代の発車ホームは、現8番線(当時は4番線)
の田端方面ホームの東武線側でした。ここで折り返していたんですね。
wikipediaにあるような3番線発はほとんどなかったはずです。

ちなみに使用している電車も赤チョンは8両、山手線は10両と違っており
直通運転はやって無かったです。直通運転があったのは山手線が電化する
以前の話じゃないかと。

ちなみに、山手線の池袋電留線(元の池袋電車区)には、山手線から
線路が繋がっているはずですので、今でも線路自体は繋がってるはず
です。ただ、埼京線本線を横断しなくちゃいけないので、通過列車は
かなり少ないはずですが・・・。
http://ef63.ld.infoseek.co.jp/TRAIN/RAIL/JR/YAMANOTE/FRAME1.HTM
お礼コメント
13A

お礼率 69% (219/315)

回答ありがとうございます。

線路が今も(一応)繋がっているというと、時代の名残を感じますね。
投稿日時:2008/11/03 15:28
  • 回答No.2

ベストアンサー率 44% (3956/8946)

70年代の通称「赤チョン」時代の発車番線の記憶はありませんが、確かに、山手の対面するホームに到着して折り返していたと思います。

当時、通称赤羽線は、東京を東西に縦貫する貨物ルートとして非常に重要でした(武蔵野線などの東京外環状線の開通後、重要度は低下)、旅客は直通しませんでしたが、貨物列車や荷物列車は赤羽線から山手貨物線(現埼京線)を通って品鶴線(湘南新宿ライン)に直通して東京を通過していました。新宿から中央快速線に転線して飯田町の貨物駅に向かう列車もあったと思います。
当時は、いろいろな路線に貨物列車が走っていましたから、旅客電車の運行だけで解釈するには無理があります。飯田町、小名木川、越中島、隅田川などの23区内の貨物駅に対して貨物列車を運行する必要がありました。

なお、東京地区の線路の経緯については、官鉄と私鉄(後に国有化)の日本鉄道、甲武鉄道、総武鉄道などの関係を理解していないとちんぷんかんぷんだと思いますよ。
官有化後、電化される際には、日本鉄道の構想とは別構想で行われるし、東京駅の設置や「のの字運転」、環状運転の経緯も一言で言えるようなものではありません。
お礼コメント
13A

お礼率 69% (219/315)

詳しい回答ありがとうございます。

やっぱり当時は、池袋駅同一ホームで乗り換えができてたんですね。

また今は同じJR線でも、昔は路線によって建設した会社が違ってたんですね。
投稿日時:2008/11/03 15:24
  • 回答No.1

ベストアンサー率 37% (8364/22178)

>山手線ホームから赤羽線の赤羽方面へ線路は繋がっていますか?


のりばを見てください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E8%A2%8B%E9%A7%85#.E3.81.AE.E3.82.8A.E3.81.B0

(必要ない区間、とかがわからない)
お礼コメント
13A

お礼率 69% (219/315)

回答ありがとうございます。

「必要ない区間」→「環状運転をしない区間」という意味です。説明不足ですいませんでした。
投稿日時:2008/11/03 15:22
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