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【魚心】
Yahoo辞書 うお‐ごころ〔うを‐〕【魚心】 《「魚、心あれば」が誤って一語になったもの》相手に対する好意。 Yahoo辞書の「《「魚、心あれば」が誤って一語になったもの》」の意味が理解できません。どういうことですか?
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「魚心あれば水心」という成句があります。本来は、 「魚、心あらば水、心あり」で、魚に心(思い)があればそれに対して水も心(思い)を返す、という意味合いでした。それが、 「魚心があれば、水心がある」と解されるようになり、相手に対しての配慮ないし好意のことを「魚心」、それに対して返される配慮ないし好意のことを「水心」というのだ、という誤った理解が一般的となってしまいました。 そのことを表現しているのでしょうが、ちと舌足らずですね。
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- alpha123
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辞書の説明は編纂者(編集者)によって違う。 質問の言い方は「魚心あれば水心」=「魚、心あれば、水、心(あり)」 魚に水と親しむ気持ちがあれば、水も魚と親しむ、、子供に説明するときは「仲良くしたいと思えば相手もそう思う」と教えるでしょう。好意と訳せばまぁいい辞書です。 いまどきの下品な辞書なら相手の対応によって態度変えることとなっていたりするが(おいおい)、それでは意味が狭くなる。 情けは人のためならず、、親切にすれば回りまわって自分にもいいことがある(暮らしやすくなる)などと同じでいまは違う意味になっていることもある言葉の1つ。(親切にするなの意味もあるでしょう?) もともとの言葉は「水心あれば魚心」ともいう。 魚、心あれば>魚心 誤ってというか時代の変化と受止めるかは編集者の見解です。 日本ではラジオ放送始まったころから放送局(NHKで渋谷だが)近辺の言葉を「標準語」と言い出した。(共通語というのがふさわしい) じとぢ、ずとづの区別出来ないのが標準語。 江戸の言葉そのまま採用すれば「ちゃん」「おっかあ」だが「ちち」「はは」、、のちにおとうさんおかあさん(皇室に習えばまた違う言い方だったが) 薩摩弁と津軽弁では会話にならないから(文字で書けば意味は通る)明治以前には江戸留守居役(通訳兼渉外担当)いたほど、明治以後は各自治体の東京事務所。 魚心水心は小学校の教育で四字熟語として教えたのでしょう。 いまでは読む人もいない軍医で軍幹部の森鴎外が(当時の)大作家だったのは軍の新聞雑誌に連載し「言語の共通化」はかった副産物です。指揮命令が伝わらないことには組織は機能しない。
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ご回答ありがとうございました。
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