• ベストアンサー

利己的遺伝子から恋愛を考える

他のカテゴリーで、人間の行為に生物学的行為と社会的行為があるとの主張があった。人間にはミームがあると、R.ドーキンスは主張しています。人間も利己的遺伝子に操られる動物ですが、その行動はミームによって規制されていると思います。  人間が異性を選択する場合、利己的遺伝子論から見て、どう説明が出来るのでしょうか。利己的遺伝子のみで行動した場合、その後の関係に支障が出るのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • fummm
  • ベストアンサー率42% (3/7)
回答No.3

恋愛というものは専らミームによるものだと思います。 そこに遺伝子を持ち込むのは、不適切だと思います。 タイムスケールのレベルが全く違うのですから。 その点で、行動はミームによって規制されている、というvirulenceの意見に賛成です。 ヒトが異性を選択する場合の遺伝子の影響といえば、次のようなものだと思います。(「利己的遺伝子」か「延長された表現型」の内容によると・・・・) オスは、精子の生産は楽だし妊娠もしないので、自分の子孫(遺伝子)を繁殖させるコストはメス任せにしても問題ありません。下手な鉄砲数打ちゃ当たる、というように、多くのメスに自分の子を孕ませるという作戦を取ろうとします。 一方メスは、自分の子孫(遺伝子)を繁殖させるためには、どうしてもオスの援助が要ります。ヒトの妊娠期は長いし、子が自立するのにも時間がかかるので、オスが食料などを提供する必要があります。よってメスは、配偶者としてオスを選ぶのに、色々と焦らして忍耐強さを試そうとします。 このようなオスの戦略とメスの戦略が釣り合うところ(進化的に安定な戦略:ESP)を保っているのだと思います。 ただし、ヒトをはじめとした類人猿には、このような遺伝子による作用に対してあがらうだけのミームがあります。育った環境や学習によって、一途なオスもいっぱいいますよね。 >利己的遺伝子のみで行動した場合、その後の関係に支障が出るのでしょうか。 もし遺伝子の命令どおり、オスが浮気にかまけた場合、「もうオスは信じられない!」というミームが繁殖しかねないので、そのような遺伝子にとっては大問題かもしれませんね。(と、まぁ、これは言い出したらキリのない話です。)

その他の回答 (3)

  • fummm
  • ベストアンサー率42% (3/7)
回答No.4

ESP!? 入力ミスです。 ESSですね。 evolutionally stable strategyかな・・? 失礼しました。

  • dragon-2
  • ベストアンサー率48% (117/243)
回答No.2

 利己性と利他性は、心のメカニズムに関係する概念である。心のメカニズムは、心が生まれる進化的メカニズムとは全く異なるプロセスである。これを混同している点が第一の誤りである。  また、利己的遺伝子と命名することによって、遺伝子に意図があるかのような錯覚を与えてしまった。遺伝子に、心と対比できるような意図が全くないことは、余りにも明白である。  とあります。もし、利己的遺伝子があったとして考えると 1)異性の選択   より優れた(いろいろな要素がありますが)異性の選択   および、多数の異性の選択 2)行動による支障   同性間のトラブル(競争)の増加   力(金力をも含む)での支配の懸念   一夫一婦性の崩壊 などが考えられます。  が、利己的遺伝子の考え方は私は?です。  

参考URL:
http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms/future/IsHumanSelfish.html
  • nobor3
  • ベストアンサー率16% (68/404)
回答No.1

「その後の関係」に関する支障が「遺伝子の乗り物」の継続性にかかわる支障だった場合には、その遺伝子は自己複製ができなくなり、淘汰されていくでしょう。 夫婦関係がずっとラブラブだったとしても、子孫が繁栄しなければ遺伝子にとって無意味だし、仲が悪くても子孫が繁栄すればOKだし・・・。

関連するQ&A

  • リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」について

    リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んでいるのですが、第9章の雄と雌の争いの最後に人間の場合は他の動物と違って雌のほうが派手だとありますが、その理由について結論を出さないまま終わっています。私はその理由が気になって仕方ありません。誰が教えて下さい。

  • 利己的遺伝子のドーキンスに研究業績がない?

    利己的遺伝子説について調べようと検索していたら 「世の中には、ドーキンスが「利己的遺伝子理論」を創始した偉大な生物学者だと思っている人も多いようだが、彼はハミルトンの血縁淘汰理論をわかりやすく解説したサイエンス・ライターにすぎない。」 http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/5713bcb84850ccfe5b15c36b42d98b9a という文章を見つけました。 確かに言われてみると、ドーキンス自体の論文ってあまり知りません。 ドーキンスの研究業績はないのでしょうか?

  • 進化論は人間の行動を説明できるか

    「進化論は人間の行動を説明できるか」という問題に関して、ドーキンスの利己的な遺伝子という本では、人間の行動を利己と利他で分類し、遺伝子選択という観点から人間の行動を説明しようとしています。しかし、人間の行動は利己と利他だけでは説明できませんし、そもそも我々日常で使っている利己・利他という言葉はドーキンスが使っている意味とはまるで違います。なぜ第一次産業から第三次産業へ大規模な人の移動が起こっているのかも利己的な遺伝子の考えでは全く説明不可能でしょう。その意味で進化生物学は全く不完全だと考えますがいかがですか。

  • 利己的な遺伝子

    何かの本で読んだ動物の行動の話です。 子ザルの世話をしているメスは発情しないので、群れのオスザルがそのメスを発情させるために(自分の遺伝子を残すために)、子ザルを殺すことがある。 何の動物か忘れましたが、自分の複数の子どもの生命が同時に脅かされた場合(生命の危機に遭遇した場合)、早く成体になれるほうの個体(つまり年長の方)を優先して助ける。 どの本で読んだのか忘れてしまいましたが、「自分の遺伝子を残すため」という説明がされていたような気がします。理論として納得はできるのですが、あまりにも理が勝ちすぎていて「本当なのだろうか?」という思いを持っています。 このような事例は一般化して考えることができるのでしょうか?

  • なぜ優秀な遺伝子だけが残されないのでしょうか?

    動物にも人間にも、生きていく上で有利なタイプ、不利なタイプがあると思います。(反論をよびそうですが、、。) 親から子へ遺伝情報がすばらしいものだけ伝わっていきそうなものですが、現実は優秀な遺伝子ばかりが受け継がれているわけではなさそうです。 なぜでしょうか? 自然淘汰とはそういうものではないのでしょうか? 生物学、動物学の世界ではどのように考えられているのでしょうか?

  • 《自己の精神的充足》は 《利己》ではないですか?

     ( あ ) 《自己の精神的充足》は どうして《利己》ではないのですか?   (あー1) 長い目で見てにしろ・わざとではないにしろ 自己の精神的充足が自己の利益をおもんぱかることとは無縁だという場合 その事例や根拠はありますか?  (い)  《他人の喜びをみづからの喜びとする》のは 自己満足という利己ではないですか?   (いー1) それとも 自己が欲しいものを手に入れて満足するというコトは いけないことなのですか?    (いー2) 《利己》がなくて 人間の社会的行為は成り立ちますか?  (う)  《助け合い》は  《利己》ではないですか? 相互利己ではないですか?   (うー1) もし利己だけではなく 《利他》もあると言おうと思うなら それは わづかにその手助けの行為について相手に おこなってもよいかと問うて その同意や了解を得ているときに 自己の満足(自己のよろこび)とともに味わう共同作業のよろこびのことではないですか?   (う-2) すなわち 困ったときはお互いさまということであって それが 基本であると考えられます。つまりそのとき――利己だけではないとしても――ことさら 《利他》を《主張》しうる事態でもないでしょう。   (うー3) 仮りに利己心のほかに人には 利他心があるとします。そうしますと それにしても 利己心としての満足(よろこび)と利他心が満たされたという満足(よろこび)とで どういう違いがありますか?      (うー4) どちらも《主観》というつねに自己閉鎖的になりがちな意志と心との思いであって どこかに《利他の神による報いに浴することが出来た》とでも言うような・特別の――利己心とは別の――栄光がありますか?   (うー5) もし仮りにその利他心の充足には 特別なかたちで満ちたりて行く心の思いとその栄光があるとしたら それは 《自己満足を得て 利己心が満たされたこと》とどう違いますか?   (うー6) つまり ワタシの利己心からおこなう社会的行為――経済活動など――によって社会がわづかにでも利益を得るように成ること これはあると考えられますが そのときの《心のよろこび》とどう違いますか?

  • 例えば、ドーキンスの考え

    ドーキンスの名前は「利己的な遺伝子」で、生物学の部外者(私もそう)から広く知られていると思います。 生物は命を落として、なぜ利他的な行動をとるのか。  という疑問に答えるためなのでしょうか、随分無理のある(自己矛盾であって強引なこじつけだが、思い切った)説を展開したし、実際に世間に受け入れられ・知られるようになりました。 教えていただきたい事ですが、 (1)なぜこのような”考え”が門外漢の間で広まるのでしょうか。 やはり進化論とは社会科学感想文の範囲内のものであって、生物学的な観察事実と科学検証には耐えられない”はやりの”事例報告でしかないのでしょうか? (2)自然淘汰とは必ず「ある品種・又は種目が滅んだのは必然」であって、だから目的論的に人類種が創作された。 という様な自己矛盾した無茶な考えでしかないのでしょうか。 それとも科学的に真といえるだけの理由があるのでしょうか? 尚、私は一般的(かもしれない)な日本人であって特定の宗教に熱心な者ではありません。 生物学の難しい用語はわかりませんので、宜しくお願い致します。

  • 遺伝子の情報量について

    以前から気になっているんですが、遺伝子は生物の設計図ですよね? ということは、動物の遺伝子の中には、その動物身体が作れるだけの情報量があるということですよね。 それなら、動物の生まれながらに持っている本能、例えばウミガメが産まれてすぐに海に向かって泳いでいくとか、そういった情報に関しても遺伝子の中に納まっているということなのでしょうか? そのようなことまで含めると、遺伝子の情報量は果てしなく多くなりそうですし、身体の設計図ならともかく、行動の設計図(?)っていうのはどうやって納められているのかいまいちピンときません。 よければ、この辺のしくみを素人にもわかるように説明をしていただけたらうれしいです。 よろしくお願いします。

  • 遺伝子組換えについて

    異種DNAの由来生物が動物や植物の場合には、大腸菌では目的遺伝子がうまく発現しない、あるいは発現してタンパクがつくられても酵素の活性が得られないといったことがしばしば起こる。その場合、一般的に考えられる原因として何があるか調べて述べよ。 これについて、少しでもわかることがあれば教えてください! お願いいたします!

  • 同姓愛は遺伝子により制御されるのか?

    私は生物学を専攻しているわけでもないただの学生です。 先日とある講義でタイトルにあるような内容の話を聞きました。 講義をしていた教授によると、ラットで、ある性染色体の一部を改変すると、同姓愛になるそうです。 人間の場合にも、同様のことがあると想像されるそうです。 実際、同姓愛者の性染色体のある特定部位が相同組み換え(?)かなにかで変化している場合が多いそうです。 またこの変化により、名前は忘れましたが、ある遺伝病に発祥する率が高いそうです。 この講義ではこの「同姓愛は遺伝子により制御されるのか?」という問題から始まって、「人間の行動はどのくらい遺伝子による制御を受けるのか?」という議題を議論するないようでした。 例えば、同性愛は国や宗教によっては迫害の対象とされます。もし、遺伝子によって制御されているのだとすれば、これを迫害するのは何か問題があるように思えます。(もともと問題があるというのは当然としてという意味です。) 私はこの話を聞いて非常に感銘を受けました。しかし考えてみれば、生殖活動という「雌雄を持つ生物にとってこれ以上ない重要な行為」が、遺伝子による制御を受けないと考える方がおかしいのかもしれません。 教授を信じないわけではありませんが、この「同姓愛は遺伝子による制御をうける」は、生物学的に見て真実といえるのでしょうか? あまりこういう話も聞きませんが、これは当たり前すぎて議論もされないからなのでしょうか? また、遺伝子によって人間の行動のどの領域まで制御されるもんなのでしょうか? もし、なにか参考例などをご存知の方がいれば、紹介していただけないでしょうか? よろしくお願いします