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盟神探湯(くかたち)について

日本史で盟神探湯について習ったのですが 日本史の先生が盟神探湯を回避する方法があったと おっしゃってたので 質問してみたのですが教えてもらえなかったので もし知っている方がいたら教えて頂きたいです

みんなの回答

回答No.2

 これについては、むしろ盟神探湯がどうおこなわれたかを、或いは後世にはどう伝承されたかをおしらべになっていくこともいいと存じます。  一例としてhttp://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2003_04_06.htmをご参考にしてください。  またこれは一つの信仰の現れですし、盟神探湯というキーワードで検索するのも言いと存じます。  盟神探湯の実施にいくまでに、どう関係者が関り、対処していったか。そこらも重要ではないでしょうか。  実施する側で、神聖な行事の回避をどのようにしたか。  実施される側はどう対処したか。  いざ実施となれば、それはどのように行われたか。  判断や決定を確定する上での一定の儀式であったかも知れません。  古代人は素朴でもあったでしょうが、賢明でもありましたでしょう。  古代人の精神性、心性、生活と心理を思うことが重要かもしれません。  神道を置いている大学の先生ならご研究されていると存じます。  私は、回避するのが常道であったと思料しております。  そこにいたることを避けるという意味です。    だから先生もお応えにはならなかったのだと存じます。  やはり常識と思い馳せは大事ではないでしょうか。  制度はある、そういう伝来の宝刀にものを言わせるのか。  そこまでことが判らない人たちであったか。  それはないでしょう。武内宿禰ですか、彼が正しかったかどうか。  正しいとするためにはどうするか。そんなところも一面あったのでしょう。  古代人の賢さかも知れません。或いは生きる智恵や要領であったかもしれません。

noname#68928
noname#68928
回答No.1

想像ですが、痛い思いをするくらいなら「自白」するか、わいろを送るとか、奴隷になるとか、下手に出る態度を取ったのではないでしょうか。

littbus
質問者

補足

自分もそう思って先生に聞いたのですが 違うそうなんです

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