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構成要件的故意、というものは主観面を類型化したものであります。

構成要件的故意、というものは主観面を類型化したものであります。 違法性の主観と責任の主観を類型化したものです。 しかしなぜ構成要件として類型化する際違法性の主観面のみでなく責任の主観面もヘッドハンティングしてきたんでしょうか? ただでさえ主観面を類型化するなんて難しいことなのに、 元々個別的様相がつよい責任から招きいれても構成要件の「社風」に馴染まないのは明白です。 なんだか場違いなところにきたみたいで居心地悪そうです。 だったらいっそ責任のところに留まってもらったらよかったのではないでしょうか?

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  • utama
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回答No.1

例えば、責任の主観を類型化したものの代表として「殺意」があります。 構成要件段階で、「殺意」の有無を検討しないとすると、「自分の行為により他人が死ぬ可能性を認識していた」だけが故意の内容となり、殺人罪なのか傷害致死なのか過失致死なのかが構成要件段階では区別できなくなってしまいます。 殺人罪なのか過失致死罪なのか区別できないというのでは、構成要件類型化の意味がありませんから、こういった基本的な責任要素も構成要件に含むのが妥当と考えられています。

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