• 締切済み

人間は弱っている者を助けたくなるのでしょうか?それとも、頑張っている者を応援したくなるのでしょうか?

事例を出します。 ※(1)・(2)それぞれ、理由を文章にして回答お願いします。 A 「僕(もしくは私)は、一人では頑張れない時・くじけそうになった時にでも横から支えてくれて、 一緒に頑張ってくれるような人を恋人にしたいのです」 B 『ん?  これは個人的な考えですが、人間て頑張ってる人を見た時  一緒になって応援したくなるものだと思うんですよ』 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  皆さんは、 (1)Aの望むような恋人は望んでも現れようが無いと思いますか?  (運や縁ではなく、「心理」面で考えた場合でお願いします)。  (2)【恋愛】においては、Bの言う事が最もだと思いますか?   

みんなの回答

回答No.4

A 現われる思います。   ・現われた方も、きっと頑張っている方だと思います。   B 思いません。   ・時と場合だと思います。    頑張っている自分が好きな人・かわいそうに思う人 そのことを    好印象に感じる人は応援したくなると思いますが、逆の印象であ    れば応援したくないと思います。

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.3

こんにちは。 我々の行動選択の動機は根本的には下記の二種類しかありません。 「報酬刺激に対する接近行動」 「嫌悪刺激に対する回避行動」 Aの場合、他人の不利益は通常「嫌悪刺激」として判定されます。逆にこれが報酬刺激と判定されますと、選択される行動は「いじめ」ということになります。 困っているひとを見ますと、それは嫌悪刺激として判定され「不安情動(不快情動)」が発生し、必ずや何らかの「回避行動」が選択されます。例えば、自分に同様の不利益が発生しないように警戒する、あるいは目を背けてそこから立ち去ってしまうということですね。そして、見るに見兼ねて助けて上げるというのは、これは問題解決のための「能動的回避行動」として選択することが可能です。 Bの場合は、がんばっていること、あるいはその結果に対して「利益」という判定が下されるならば、それが「接近行動」の動機となります。 Aと異なります点は、 Aの場合は、 「個人の価値観とは係わりなく」 「今現在の刺激入力に対して」 判定が下されており、問題が解決されなければ「動機(不安状態)」は継続するということです。 これに対しましてBでは、 「個人の価値観が大きく係わり」 「未来報酬の想定が必要です」 このため、当人が結果を予測しなければ、Aのように現在の入力情報だけで直ちに動機が発生するということにはならないです。 人間といいますのはどちらかに括れるわけではありませんよね。A,Bの何れにしましても、これは「状況に応じて選択される行動」以外の何者でもないです。 では、「【恋愛】においては」といいますのは、これは状況そのものではなく、情動反応の強さとして「状況判断」に影響を及ぼします。 「他人のことならば放っておく」 「自分の利益を優先する」 このように、情動に左右されない冷静な選択を「理性行動」と言います。 ですが、恋人や夫婦、家族となりますと、この情動を拒否することがしだいに困難となります。従いまして、Aさんの前に現れた恋人は、それが恋人である以上、Aさんに対する思いやりを動機として援助や支援など、必然的に様々な情動行動を選択することになります。「情が移る」というのは、正にこういうことですね。

  • mijinco
  • ベストアンサー率25% (87/346)
回答No.2

心理的なことを考えると、「私にとってその人が誰か」「相手がどういう関係の人か」ということを排除しては考えにくいと感じました。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.1

1) 依存体質の相手を捕まえれば、可能だと思います。 例えば世の中には不幸な人にしか興味を持たない人がいます。 成功した人 幸運な人には興味が無い。 不遇な人が好きな体質な人がいます。 共に泣き励ます自分にうっとりする人も結構います。 人を励まし力つける自分に自分の存在意義を見出す人もいます。 2) これ、防衛機構の中の同一視。 http://note.masm.jp/%CB%C9%B1%D2%B5%A1%C0%A9/ 例えば、スターのおっかけ。 鳴かず飛ばずの歌手をせっせと応援する人。 10年後にヒットしたら、我が事にように喜ぶ人。 自分の努力が実ってた? いえ、本人はあくまでファン止まりです。 売れる歌手には本人はなっていない。 でも同一視するから、自分が努力の末に売れる歌手になったと錯覚する。 例えば、医者になりたかったが諸事情によりなれなかった親が、子供に医者になれー 勉強をしろー とかせっつく。 子供が親に質問しても、親は分数すらわからないレベル。 でも 医者になりたかったんだってさ。 で、親がせっついた結果、いや本人の能力があったからでしょうけど、ともかく子供が医大に入った。 すると、近所中に聞かれもしないのに、「うちの子供は医大に受かったんです」と言ってまわる。 果ては百貨店のレジで品物を置きざまに、「うちの子供は医大に受かったんです」といきなり言う。 店員は一瞬 ぽかんとするが、自慢したいんだろうと「よかったですね」と讃える。 気を良くした親は、さらにその店で買って、レジに品物を置くと「うちの子供は医大に受かったんです」と感極まった顔で数時間 つぎつぎレジにかけこみ吹聴する。 同一視ですよね。 そんな奴はいない? いえ リアルでいました。 自慢しているのだと思って「あんたが受かったんじゃねーよ。 自分の後押しだと誉めてもらいたいのか」と眺めていましたが、これ同一視だとわかると行動が理解できる。

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