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自己犠牲?
「自分の大切な人が幸せなら、自分はどんなに辛くても幸せだ。」 って心の底から思っている人は居ると思いますか? 結婚している身近な男性の方が、 「奥さんと子供が幸せなら、自分がどんなに辛くても幸せだ。」 と言っていました。 本気で思っているように聞こえましたが、 自分の幸せよりも相手の幸せを本気で優先している人が居るのか? みなさんの意見を聞いてみたいなと思いました。
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- daijun8
- ベストアンサー率29% (7/24)
自分だけのためならがんばれなくても 大事な人のためならすごくがんばれたりますよね どんなに辛くても 大切な人の笑顔のためなら辛いことでもがんばれる そんな自分は幸せだ という意味でしょう 自分の幸せと人の幸せの優先順位の問題ではないように思います
- jyunhei
- ベストアンサー率15% (23/153)
これはね、「そうありたい」という決意を述べているだけですね。 誰だって、人の前ではちょっとええ格好をしてみたくなります。 あまり、家事を手伝っていなくても、ものすごく手伝っているかのように言う男は多いものです。 私も含めて、男は、その妻から言わせれば「あれしきのことで、えらそうに」って結構あるみたいですね。 でもうそつきとは言えませんね。望ましい方向で努力しようとしているのだから。口先だけの人もいますが。 どこまで本当か判りませんが、阪神大震災の時、家族思いだと思っていた夫が我先に逃げ出したことで、離婚話が多数発生したとのことです。 平時に決意を言うのはたやすいですが、重みがあるのは乗り越えてきた人の言葉です。
お礼
ありがとうございます。 阪神大震災の話は興味深いですね。 そうですね、言うだけの人と乗り越えた人では違いますよね。 まぁ決意だけでも、しないよりはする方がいいんでしょうね。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20265/40176)
つらいと言うのを特別犠牲だとも思ってないんでしょうね。 自然と相手の為に動ける、考えられるからこそ そういう状態でも幸せを感じられるんでしょうし☆
お礼
ありがとうございます。 自然とそういうことができる人は素晴らしいですね。
- rapisupyon
- ベストアンサー率39% (908/2278)
「自分の大切な人が幸せなら、自分はどんなに辛くても幸せだ。」という言葉のうわべだけを捉えていると、この言葉の真意は見えてこないと思います。 この言葉は、簡単に言うと、「大切な人のためになら、どんなことも頑張れる」「大切な人たちが笑顔を守るためなら、どんな大変なことも苦ではない。むしろ、大切な人を失うことの方が何ものにも代えがたい苦痛だ。」という意味だと思います。 つまり、「大切な人の幸せが自分の幸せだ」ということなので、自己犠牲ではなく、大切な人のためにがんばることが、自分の幸せであり、生き甲斐なのです。 私は、主人と子供のためなら、どんな辛いことでも、苦しいことでも、悔しいことでも何でも乗り越えていける自信があります。 実際に、悔しい思いをしたり、苦しい思いをしたり、辛くて泣き叫ぶような思いをしたりもしましたが、主人のことを想い、子供のことを想い、自分のこの幸せな家庭を守りたいという一心で、歯を食いしばって、血が滲むほどの努力もしましたし、プライドも何もかも捨ててでも耐えてきたこともあります。 そして、みんながまた笑顔で生活できているのを見たとき、心から「よかった・・私は幸せだ」と思えるのです。 主人と子供の幸せが私の幸せであり、主人と子供との生活が私の絶対に守り抜きたい幸せだからです。 別に、主人と子供を優先して、自分を犠牲にしているわけではありません。 ただ、主人と子供、私の幸せな生活を守りたいという私の自然な感情なのです。 完全な自己犠牲では、おそらく人間は生きていけないと思います。 我慢の限界がきてしまうでしょうからね。 その男性の方は、自己犠牲をしているのではなく、家族を何よりも大切にされているのだと思いますよ。
お礼
ありがとうございます。 彼は、家族の幸せのために、離婚しようとしています。 rapisupyonさんの言う、自然な感情は、誰もが当たり前ではないと思いますので、素晴らしいと思います。
- inakaeru
- ベストアンサー率29% (14/48)
自分の幸せがなんなのかによると思います。 仕事が辛くても、家族が笑顔なら幸せって人は 相手の幸せを自分の幸せにできる人でしょう? 自己犠牲とは言わない気がします。 が、端から見たら 自分の幸せより相手の幸せを優先しているように見えるのでは?
お礼
ありがとうございます。 そうですね、何に幸せを感じるかによりますね。 私が思っている不幸は、彼にとってはそんなに不幸じゃないかもしれないですしね。
- uniunix
- ベストアンサー率17% (51/293)
この場合の「辛い」とは過酷な労働や節約を指すのであって 「嫌な思いをする」ということではないと思います。 過酷な労働や節約によって子供や奥さんの笑顔が見られるなら 本来は嫌な思いをすることでも 幸せな気分で行なうとことができる。ということではないでしょうか 他人から見ると自己犠牲的な行動ですが 本人にしてみれば自分を犠牲にしているなんて感覚は殆どないと思います。 おそらくその男性は、奥さんや子供の笑顔を得るために 頑張るんだという目標を語ったのだと思います。 それが自己犠牲と表されるのかどうかわかりませんが そういう目標を持つことができるのは 生きていく上で素晴らしいことなんじゃないかなと思います。
お礼
ありがとうございます。 確かに、そういう意味で言っているのであれば、よくわかります。 ただ、それを言っていた彼は、「嫌な思い」をしようとしています。 ・・・説明不足で申し訳ありません。
- precog
- ベストアンサー率22% (966/4314)
あんまり突き詰めると、美徳という話からかけ離れていきますけどね。 >「自分の大切な人が幸せなら、自分はどんなに辛くても幸せだ。」 >って心の底から思っている人は居ると思いますか? 思ってるのと実際そうなのは違うけどなあ。 まぁ、思ってるだけなら居るんじゃないでしょうか。多分勘違いだとは思うけど。 >自分の幸せよりも相手の幸せを本気で優先している人が居るのか? もっと単純に、他人の笑顔が自分の幸せというのはありますよ。 それと、家族のためならしょうがないなぁと思って進んで自分が犠牲になる (我慢する) ということはしょっちゅうありますけど、程度問題です。 極端なのはちょっと、、、
お礼
ありがとうございます。 そうですね、そんな気がします。
お礼
ありがとうございます。 大切な人のために頑張って、笑顔を見ることのほかに自分に何も見返りがなくても、むしろ辛いことばっかりでも人は頑張れるのでしょうか。