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マンション駐輪場における「習慣」あるいは「既得権」というもの
マンションor団地の駐輪場に細かい規約が定められていないケースで、個人の習慣的な自転車or原付の置き場所(まあ、俗に言う「縄張り」ですね)の「既得権」は、どの程度尊重されるべきものなのでしょうか? 他人が自転車を出したすきに、自分の物をそこへ停めると、当然、トラブルとまではいかないにしても「しこり」が生じかねない訳ですが、私は、決まった停め方をしないので(空いてさえいれば自由に停める)、そうした「既得権」に対して、強い「反発」を感じます。 新参の既得権を持たない者や、習慣を作る気のない者に不利だからです。 腑に落ちるような説明を、切に希望いたします。
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法的には、お書きの「既得権」は保護されないでしょう。 というのも、お書きのケースでいえば、駐輪場の使用権は「その駐輪場のどこかに自転車・原付を駐輪・駐車できる」に留まり、具体的に「その駐輪場のこの場所に駐輪・駐車できる」ものとまではいえないと考えられるからです。 そうすると、「この場所」の使用権はないと解されますから、この意味での「既得権」も存在しません。 他方、習慣=慣習となっている点については、法律上、「法」といえるまでに当事者を拘束する慣習が確立しているときは、その慣習は法的に保護されます(民法92条)。これは、当事者を拘束しうる程度にまで昇華している必要があります。 しかし、お書きのケースではそこまで達しているとは考え難いものがあります。そうすると、その慣習は法的保護に値しません。 以上より、squashingさんは、法的には、既得権を無視して構わないといえます。 ただ、法的に違法と評価されない行為をしているからといって、人間関係が円滑になるとは限りません。 法律は、社会道徳のすべてをカバーしているものではなく、その場所に独特の慣習(法的には保護されない慣習)すべてをカバーするものでもないからです。 したがって、人間関係の円滑化を重視するときは、法的見解や法意識とは別の判断基準に基づいて判断する必要があります。 法律カテゴリーであることを鑑みて、以上の回答に留めたいと思います。
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- o24hi
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o24hiです。 今回ケースは,No.2さんも指摘されていますが,「既得権」には値しないと思いますから,法で保護されるまでの「習慣」であるかと言うことを考えればよいのではないかと思います。 ---------- ・法の適用に関する通則法 (法律と同一の効力を有する慣習) 第三条 公の秩序又は善良の風俗に反しない慣習は、法令の規定により認められたもの又は法令に規定されていない事項に関するものに限り、法律と同一の効力を有する。 http://law.e-gov.go.jp/announce/H18HO078.html ・上記の,法の適用に関する通則法第3条が,習慣の法的地位に関する一般原則を定めています。 ・ご質問のように,「マンションor団地の駐輪場に細かい規約が定められていないケース」の場合は,当該「マンションor団地」の居住者が公平に利用できると考えるのが合理的です。 つまり,「駐輪上の特定の場所に、目印をつけ、縄張り的に使用すること」が「公の秩序又は善良の風俗に反しない慣習」とはとても思えないですから,法の適用に関する通則法第3条の適用は受けないものと思われます。 「駐輪上の特定の場所に、目印をつけ、縄張り的に使用すること」は,同様に使用する権利がある他者を,根拠もなく排除するわけですから。 ------------------ >すると、法的保護に値しないような「既得権」(以前のもの?)は、「慣習」の範疇に入るんでしょうかね? 他方、「慣習」も法的保護に値する…… ・法律と同一の効力を有する「慣習」もあり得ますが,すべての「慣習」が該当するものではないです。 >問題の個人的習慣行為は、「慣習」になるまでには至っていない。 だから、基本的には無視してよい、ということでしょうか。 ・「慣習」になるまでに至っていないと言うか,「慣習」に値しないので,「慣習」という観点からは,無視しても良いと思われます。 >あるいは、せいぜい、モラルの問題。すると、駐輪上の特定の場所に、目印をつけ、縄張り的に使用すること自体が、モラルに反する、とも言えそうですね。 ・個人的にはそう思います。 ただし,squashingさんもお書きのようにトラブルが想定されますから,どこで折り合いをつけられるかと言うお話になると思われます。 ------------- (参考) 慣習に従う法律の例として有名なものは次のようなものがあります。 ・民法 (囲障の設置) 第225条 二棟の建物がその所有者を異にし、かつ、その間に空地があるときは、各所有者は、他の所有者と共同の費用で、その境界に囲障を設けることができる。 2 当事者間に協議が調わないときは、前項の囲障は、板塀又は竹垣その他これらに類する材料のものであって、かつ、高さ2メートルのものでなければならない。 (囲障の設置及び保存の費用) 第226条 前条の囲障の設置及び保存の費用は、相隣者が等しい割合で負担する。 (相隣者の一人による囲障の設置) 第227条 相隣者の一人は、第225条第2項に規定する材料より良好なものを用い、又は同項に規定する高さを増して囲障を設けることができる。ただし、これによって生ずる費用の増加額を負担しなければならない。 (囲障の設置等に関する慣習) 第228条 前3条の規定と異なる慣習があるときは、その慣習に従う。
お礼
ありがとうございます。 法的な意味での「慣習」は、日常感覚とは少し違いがあるわけですね。 それにしても、意地でも決まったところに自転車を停めつづけることは、若干モラルに反するといっても良さそうな気がするのに、逆に、こちらが遠慮してそこを避けるようにして停めるのは、居心地が悪いです。
- o24hi
- ベストアンサー率36% (2961/8168)
こんにちは。 まず,既得権全般の話から… ・既得権は,資本主義の基本といえます。 日本にも色々な既得権があります。憲法で定められた「財産権」,「教育を受ける権利」,もっと分かりやすいものでは「著作権」や「特許権」などもあります。 今回の例では… ・細かい規約がない場合は,習慣や既得権により駐輪場が正常に機能していることもあります。つまり,習慣や既得権を否定すると,乱雑な置き方になり,駐輪場として機能しなくなることもあり得ますので,一概に否定できない面はあると思います。 ・一番いいのは,その既得権を無意味にしてしまうような新たな活動を起こすことです。これは,大変なことかもしれませんが,誰かの既得権を否定するよりずっと建設的かつ効果的です。
お礼
さっそくの御回答に、心より感謝いたします。 たしかに「既得権」と日常呼んでいる事の中身は、大抵が、法的保護に値する「~権」なんでしょうね。 すると、法的保護に値しないような「既得権」(以前のもの?)は、「慣習」の範疇に入るんでしょうかね? 他方、「慣習」も法的保護に値する…… 問題の個人的習慣行為は、「慣習」になるまでには至っていない。 だから、基本的には無視してよい、ということでしょうか。 あるいは、せいぜい、モラルの問題。 すると、駐輪上の特定の場所に、目印をつけ、縄張り的に使用すること自体が、モラルに反する、とも言えそうですね。
お礼
ご回答に感謝いたします。 なるほど、民法の「慣習」が法的保護に値するとしても、問題のケースで、駐輪場の使用者全員が尊重するような「慣習」は自然に発生しそうにないですから、置き場所に関しては、つねに流動的であるのが当然だと考えてよさそうですね。 つまり、問題のケースで、個々人の「嗜好・くせ」のようなものを「既得権」と呼ぶのは言い過ぎで、むしろ、あくまで「たゆまない縄張りづくり」的な行為なんでしょう。 だから、それを私が否定しても(つまり、空いている時に割りこんでも)、非難される筋あいのものではない、と。 ただ、「そこには、いつもオレが置いているのに」といった恨みを買う可能性が大きくて、また、その恨みは、法の味方を得られない、一種の「私怨」ということになるのでしょうね。 「私怨」を恐れて、自由を放棄するのも癪ですが、人間関係の円滑を優先するかどうかの(コスト)問題ですね。