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どちらが不幸かな
今年になってあまりよいことがありません。 実の父親が胃癌になり胃の全摘出手術をしました。 幸いにも手術は成功し元気とは言わないけれどまあまあの状態です。術後の管理が大変で食べ物がほとんど食べられなくなりました。 そうしているうちに2ヶ月ほどで家内の父親がなくなりました。 入院生活中はまったく食べ物もとれず、水も飲めない状態でした。 実の父親が家内の前で食べ物が食べられないと平気で言います。 後から家内は、生きているだけで幸せでしょうと私に言います。 こんなときはどのような考えを持って対応したらよいのでしょうか よろしくお願いします。
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- toturenzu
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なんだか最近、夫婦で白黒つけてください、ジャッジしてください、どっちが悪いか的な質問を多く見かけるのですが…私事ですいません。 実の父親が闘病中にしても、急逝されたにしても悲しいに決まってます。 心の中の悲しさを定規や秤にかけて数値で表せますか? 確かに "生きているだけで幸せでしょう" 亡くした人は帰ってきません。手に触れることも、声を聞くこともできません。 でも、ご家族に病気や不幸がおこって普段と変わりない人はいません。 余程憎んでいるような間柄なら別ですけどね。 人って、あんまり悲しいと心が荒んでしまうのです。 とてつもないストレスです。 だから、いつもなら言わないような言葉の刃が口から出てしまう。 質問者様にしても同じです。 いくら生きていたって、食べたくても食べられない辛さを目の前で見せられると、なんとかしてやりたいのにできない無力感を抱えます。 頑張って少しでも前進するのと違って、どんなに頑張っても相手のためにならないことを知るのは辛い。 気づいて欲しいのは、ご夫婦お二人がとてもとても悲しい状態に晒され、疲れ切っているという事実です。 これほどの悲しみは簡単に消えてなくなりはしません。 日本の風習は、昔からの人の知恵が詰まっていると思うのです。 お葬式はできれば身近に起こって欲しくないものだけど、死者を弔うのと同時に、大切な人を亡くした大勢の人の心を祈りによって癒してくれます。 悲しいと一つの場所に気持ちが留まってしまって、動けなくなってしまう。 辛くても葬儀の一つ一つの作業をしていくことで時間の経過を身をもって知るのです。 バラバラな二人でなく、ともに暮らす二人です。 どちらの親も結婚すれば親ですね。 血の繋がり云々なんて細かいことは、この際無しです。 二人で悲しい気持ちを治していってください。 お墓参りに行くのも良し、病気が少しでも良くなるように神社にお守りをもらいに行くのも良し。 病人の看護で周りがヘトヘトになっては、何のための看護がわかりませんから、病院を一歩出たらできるだけ自分の心と身体の栄養になるような生活をしてみる。 共に手をとり、一つの不幸を二人で分かち合って乗り越えるために一緒にいるのです。 一人なら心が潰れてしまうけど、側に誰かがいてくれるから先に進めます。 支えあう大切さを学んでくださいね。
- mi-tan7
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一児の母です。 心中お察しいたします。 お辛いですね。 確かにはたからみれば 亡くなった奥様のお父様に比べたら 生きているだけでも幸せなのかもしれませんが。 食べられないってかなりお辛いはずですよ。 人間の三大欲求の一つなんですから。 そういう物言い(生きているだけで幸せ)は ちょっと冷たいなぁと思いますね。 実の父が亡くなって辛い気持ちは分かりますが 今必死に闘病生活をしているお父様の息子である あなたにそれを言っていいものでしょうか? 病気で亡くなった父親がいるからこそ その気持ちが分かると思うのですが。 私の父もガンで水も食事もとれませんでした。 そういう状態が半年ほど続き亡くなりました。 亡くなるまで何度も苦しく先生に「殺して」って言ってました。 生きていて幸せかどうかは本人が決める事であって 他の人が決める事ではありません。 私がもしあなたの立場でしたら 「もっと優しい思いやりの心を持って」と言うでしょう。 思ってる事は意外と顔に出ちゃったりするものですよ。 それではお父様のご回復お祈りいたします。
- hyakkinman
- ベストアンサー率16% (738/4426)
家の中に【妖怪:わがまま】が、巣くってますね・・・。 お父様の「食べられない」嘆き それを見ての、奥様の「グチ」 そして「どちらが不幸かな」なんて言っているあなた・・・ 「なくしたものを、カバーする方法」を一緒に考えるのが「家族」っていうものです。 なぜ、こんな時に「ひとりでやろうとするのか」・・・ 「食べられなくったって、明るく生きている人はいます」 「ただ生きているだけでは、幸せじゃありません」 「どうしたら幸せになれるか」・・・家族の「頭」と「思いやり」で、よく考えて「妖怪」を退治してください。
- nanana2200
- ベストアンサー率14% (36/245)
2カ月の入院生活中、 まったく飲まず食わずとなってしまったお義父さまも、 術後の管理で苦労なさっているお父さまも、 どちらも不幸だとは思いません。 わたしたちもいずれ行く道ですから。 ただ、お義父さまは大変辛かったろうな、 お父さまはとっても大変なんだろうなと思います。 夫の父は植物状態になって9年目。 わたしの母は昨年、半年の余命宣告を受けてから1カ月で逝きました。 やはり、どちらも不幸だとは思いません。 ただ、1カ月で逝った母のほうが周りも本人もラクだったと思います。 わたしは夫に「生きているだけで幸せでしょう」などと、 言う気には到底なれません。 奥さまは今、実父の死に動揺し、 自分のことしか考えられなくなっているのではないでしょうか。 また、お父さまも同様に、思うようにならない身体に戸惑い、 自分のことしか考えられない状況だと思います。 ですから、相談者さまは「どちらが不幸か」を考えるのではなく、 どちらの話にも「うん、うん、分かるよ。辛いよね」と、 共感してあげるしかないのではないでしょうか。 ある意味、今、一番大変なのは相談者さまかもしれません。 無理をなさらない程度に、がんばってください。
- acchipoo
- ベストアンサー率44% (175/394)
医療従事者をやっていました。 今現在は育児中なので現場にはいませんが、年若くしてやめる方々と共に 歩んでいくことを決めた身です。 その上で思うのですが、どちらのつらさも全然別物であって比べる対象にないですよね? あなたのお父様のつらさはあなたのお父様自身のつらさです。 そのつらい気持ちを聞いてあげることや緩和するように家族みんなで 協力することはできてもつらさ自体を理解することはできません。 さらに最悪なのはご本人のつらさは現在進行形で続くのに、周りの人は お父様のつらい状態に徐々になれてしまい、それを軽く見てしまいがちになってしまうことです。 これってご本人からしてみたら、それこそ泣きたくなってしまう気持ちになりませんか? 奥様がお父様を亡くされた悲しみは未だ癒えなくて当然です。 そして、その悲しみを夫婦は分かち合わなければならないと思います。 志半ばで旅立ってしまったお父様のことを思うと、あなたのお父様は 生きているだけで幸せよね・・と言う気持ちも、わかりますよね。 一方、食べ物を食べるという大きな楽しみを失ってまで必死になって生きなければならない あなたのお父様の苦しみも相当なものだと思います。 (しゃべれない、食べられないというハンデは相当なストレスだと学校で習いました) とても比べることのできないものです。 今のあなたにできるのは、「そうだね」って言ってあげることと、 お二人の痛みを感じてあげることだと思います。 時がたてば必ずお二人の気持ちも落ち着いてきます。 そのときがくるまで少しでも心が安まるようにすることが家族としての 大切な役割だと思いますよ。 質問者様自身も大変だと思いますが、どうかお二人を支えてあげてください。
- yukiinu
- ベストアンサー率42% (172/409)
お父様のご病気,奥様のお父様がお亡くなりになったなど 今年に入ってからとのことでご心中お察しいたします。 お父様のこと,ご心配ですね。 はやくお元気になられるようお祈ります。 奥様のことですが、まだご自身の血のつながったお父様が亡くなって間もないのですね。 質問者さまのお父様はもちろんご心配なのでしょうが、ご自身のお父様の闘病生活や その末に亡くなってしまったショックのまっただ中にいらっしゃるのでしょう。 「生きてるだけで幸せ」とは本心なのでしょう。お父様に生きていて欲しかったのです。 悲しみが癒えるのは時間が必要です。 もしも私が奥様の立場だったらそんな時は話を合わせて 「ほんとだよな。もっと生きていて欲しかったよね」とだけ言ってもらえれば それだけでいいです。 そして,思い切り泣かせて欲しいかなと思います。
- suekun
- ベストアンサー率25% (369/1454)
幸せなんて個人が自分の主観を元に決める物ですから 第三者が比べる物でもないと思いますよ。 お父様にしてみたら、食べられないくらいなら、いっそ・・・ と思われるかもしれないし ただ、奥様の「生きているだけで幸せでしょ」って言葉は 頂けませんね。 自分の価値観を押し付けてはいけないと思います。 その言葉は貴方達夫婦が感じる内容について、 「貴方はお父様がまだ生きているだけ幸せじゃない? 私はもう父親が亡くなってしまったのよ」って事だと理解できますけどね。 この内容を直接、当事者に向けるのは少し違うかな?