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概念が存在する条件に定義の有無は在りますか?

概念が存在する条件に「その定義の有無」は在りますか?

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回答No.2

簡単に書きます。 ひとつのものについて何かを言うということは、そのものの定義となるような本質的属性xを賦すということです。つまりある概念が「存在する」ということは、すでにそこに定義がなされているということです。 本質存在と事実存在とかミュトスのこととか、もう少し説明が必要でしたら補足してください。

Youmi327
質問者

補足

>本質存在と事実存在とかミュトスのこととか、もう少し説明が必要でしたら補足してください。 もう少し分かりません。我々の認識が事物の存在の前提に関わっているかどうかということでしょうか?

その他の回答 (3)

noname#91529
noname#91529
回答No.4

定義がないが、概念が存在する例 意外と多いようですが・・・ レッテル張りのレッテルによくあります。 帝国主義 非国民 プロレタリア ブルジョアとか  あと 科学的には、無意識とか、 原則的に 自己顕示欲の強い人の発言の中によくあります。

回答No.3

> 我々の認識が事物の存在の前提に関わっているかどうかということでしょうか? いやいや、そういうことではありません。認識論的問いと存在論的問いはごっちゃにしてはいけません。 存在を問うている問題に関しては、あくまで存在論から考えていくことが必要です。 これはプラトンの『メノン』に出てきます。 まずソクラテスは「徳とは何か」とメノンに問う。するとメノンは、男の徳、女の徳、というふうに、個別の徳を答えます。 それに対してソクラテスは、君は、ミツバチとは何か、という問いに対して、これもミツバチ、あれもミツバチと答えている。ミツバチとは蜜を集めるハチと答えるのが本当ではないか。 ここでソクラテスが求めるのは、ある概念の規定です。 メノンは、X(この場合は徳)とは何か、と聞かれたことに対して、AはXである、BはXである……と、その概念に属する種々の個物を例示しました。 それに対してソクラテスは、「Xとは何か」という問いに答えることは、その概念Xの定義を答えるということなのです。 他方、問われている当のものは「Xである」と呼ばれる個々の行為や自称のすべてのなかに内在しているか、それらの事例はすべてXという同じひとつの相を持っていて、それによってこそ、それらの事例が「Xである」と呼ばれることになります。 それが「定義」となる本質的属性ということになります。 少し、整理がつきましたか?

Youmi327
質問者

お礼

少し、整理がつきました。 しかし、認識論的問いや存在論的問いといった専門用語について詳しく知らなくて、興味が沸いたので、詳しく調べてみようと思います。

回答No.1

何らかの定義がなければあるかないか分からないのでは。

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