• ベストアンサー

日蓮聖人の言った言葉

 「父母、子を産みて眼・耳有れども、物を教ゆる師なくば、畜生の眼・耳にてこそあらましか」という文言をあるパンフレットで目にしたのですが、これは果たして、日蓮聖人の言葉を完全引用しているのか、それとも勝手に意訳しているのか。またどこの部分にそういうことが書いているかがわかりません。それが分かる、文献、サイトを教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • nobor3
  • ベストアンサー率16% (68/404)
回答No.1

「日女御前御返事」から引用したようです。

参考URL:
http://www.fujimon.or.jp/bak/koto_981201.html
sawachann
質問者

お礼

どうもありがとうございました。大変参考になりました。宗教家でも良いこと言ってる人がいるんですね

関連するQ&A

  • 日蓮聖人の言葉の根拠について教えてください。

    日蓮聖人の言葉の根拠について教えてください。 日蓮聖人は中国天台宗の六祖・妙楽大師が華厳宗の賢首大師法蔵や国涼大師澄観は「才能ある畜生」と痛烈に批判したと云う旨の事を言ったと仰せですが、具体的には妙楽大師のどの著作の何処に書かれているのかを教えてください。 また、日蓮聖人は国涼大師澄観が天台の一念三千の法門を盗んだと主張していますが、その確かな資料はあるのでしょうか?

  • 日蓮宗と創価学会

    自分は日蓮宗の寺の長男です。そして彼女は創価学会の親を持つ二世。活動はしていませんが親はかなり熱心と聞いています。彼女は親の考えに疑問を抱くことはあるそうですが、親を悲しませたくないと考えてます。私の親は私の気持ちを尊重してくれますが自分も寺を継ぎ、檀家さんを裏切るわけにはいきません。 とても残酷な話しです。 純粋にお互い愛し合えているのに我慢しなくてはいけない日が来る、手放さなくてはいけない日が来ることは理屈ではわかってるんです。ですが納得はできていません。 自分は創価学会には偏見はありません。いくら自分が信じる日蓮宗と教学が交わらないとしても、人が宗教を信じ、潜在意識を自覚し、活力を持つこと、または同じ宗教を信じる者が集まり支え合うことは素敵なことと思います。 それは正法、邪法という概念を越えて、存在し得る幸せの形だと思います。 しかし、なぜ二人の幸せを壊さなければいけないのでしょうか。 方法、教学は違えど、同じく日蓮聖人を信じ、大枠では世の中を良くするという目的を共通にして持ってるはずなのに、目の前にある一つの幸せを叶えることができない。 その一人一人の幸せの積み重ねが平和であるはずなのに。 創価学会の方々は恋愛についてどう思われてるのですか? 寛容な学会員もいれば、過激で偏見に満ちた学会員もいるという情報はよく耳にします、それは僧侶でも残念ながら同じことが言えます。僧侶の質は大変な問題だと私も実感してます。 幸せを純粋に追い求め柔和に受け入れることは考えようとはなさらないのでしょうか?

  • 日蓮聖人について~

     日蓮聖人について、どちらさまかご存知の方がおられましたら、 是非とも教えていただきたく思っております。 以前本を購入したのですが、少し難しく感じました。 どうかよろしくお願い致します…

  • 「すわ」「はしょる」という言葉

     調べてもなかなかリアルな答えに行き着かなかったので、ここで質問させていただきます。  私は幼い頃の家庭の事情での引越し・進学・就職などで方言が混ざっています。各地域に友人もいますが、今は中国地方にすんでいます。  そこで・・。  「はしょる」・・いつの頃からか普通に使っています、「省く」「簡単に言うと」などより方言的な感じもしますが、何も意識していませんでした。が、ここ最近不思議な感じで受け取られます。私の使用まで生まれてから一度も聞いたことが無かった!とまで言われたり。  「すわ」・・・私はこれまでこの言葉は「方言」或いは「古語」と勝手に思い込んでいました。「すわ!一大事」との言葉は知っていますが、何か文献の引用・・かとも。それが在京キー局のアナウンサーが情報番組で使用しているのを聞きました。調べてみたところ「方言・古語」ではないと。しかし、私の周囲での反応は皆無です。「なにその言葉?」年齢にもよるのかもしれませんが。   この二つの言葉について、現状をご存知の方いらっしゃいましたら、ご存知のことをぜひご教授ください。不思議で不思議で仕方がないのです。

  • 引用って…?

    大学のレポートの際にテキストや参考文献を読み、書き上げますが、その著者の述べていることをそのまま1文字も変えずに使用するのは引用でありますが、文言(単語、自分ではでてきそうもない難しい言葉や表現)や一部の表現(1行の中の文章の三分の一をほぼそのまま使うなど)は、自分が書く文章のなかにまとめ入れ込んでもよいのでしょうか? やはり、「○○が述べている…。」というような引用となるのですか? 引用っいうこと(定義)がわかっていませんので教えて下さい。

  • 文献(引用・参考)の使い方など色々について

    初歩的な質問ですが、 ・大学でのレポート科目で「テキスト以外に引用文献を用いて書きなさい」とあり、様々な引用文献を駆使して作られた指定テキストのみでもレポートが書けると思うのですが、何故わざわざ他の文献を使わなくてはいけないのでしょうか? ・論文とかを見ていると引用文献だらけで、執筆者の考えが殆ど無くて論文のプレビューのみに感じてしまうのですが、レポートや卒論は引用文献のプレビューと割り切った方が良いのでしょうか? ・論文を書く時は、この世に存在する論文全てに目を通してそれらを引用しないと書けない(合格できない)物なのでしょうか? ・論文を書く際の文献の引用の仕方、引用文の載せかたや、文献の探し方が解りやすく解説されている本やHPがあったら教えて下さい。 よろしくお願いします。

  • 日蓮大聖人の教え。

    無知ですみません!創価学会で日蓮大聖人の御書や教えで男女関係について(恋愛や性的なものなど)説かれているものなど、あるのでしょうか? 例えば不倫や浮気や女性が体を武器にするなど、こういった事は良い悪いは勿論、どのように説かれているのか気になっています。 もしありましたら、すみませんが分かりやすく教えて頂けると助かります。

  • 日蓮大聖人の折伏について教えてください

    日蓮大聖人の折伏について教えてください 「妙法蓮華経」という経典は、南無妙法蓮華経の正法の極意が書かれた唯一究極の経典ですよね。 末法の世の予言や、その時の日蓮大聖人の受難、あるいは信徒たち対処、生き方の予言も書かれていますよね。 妙法蓮華経には「折伏」と「摂受」という二つの語は両方とも一切ありませんよね。 妙法蓮華経経典には折伏と考えられる行動、ふるまいは一切書いてありませんよね。 摂受と考えられる行動、ふるまいだけ書いてあり、それをせよと書いてありますよね。 では質問です。 妙法蓮華経には「折伏」「摂受」と一切書いてもないし、「折伏」「摂受」という語の概念すらないのに、 どういう根拠で日蓮大聖人は、妙法蓮華経よりも信頼性の低い下位の経典や一僧の文章からこの語をひっぱり出してきて、なおかつ末法の日本には「折伏」だ、と断言されたのでしょうか? なお、 妙法蓮華経で、折伏概念であると指摘される箇所は、(釈尊ではなく)羅刹女たちが言っているだけの箇所、すなわち「説法者を悩乱せば、頭破れて七分になること、阿梨樹の枝の如くならん」(説法者(他箇所では法師)を悩ませば七つに枝分かれするアリジュのように頭が七つに割れるバチを受けるでしょう)という箇所だけ。妖怪女たちが謗法のバチという現証、結果を想像している箇所だけであり、これは、いわゆる、「末法には折伏的な勧誘をせよ」という解釈にはいたりませんよね。 妙法蓮華経には、「考えの違う人を軽蔑するな、攻撃するな、短所を挙げるな」という考えを教えている箇所はありますが、折伏について教える箇所は皆無です。折伏という考え方から皆無です。ましてや、「妙法蓮華経の『考えの違う人を軽蔑するな』という箇所は摂受だから、末法の日本用の行動ではない」という考えにはなりませんよね。 教えてください。お願いします。

  • 釈迦と日蓮大聖人

    仏教は皆同じと思っていたのですが、 少し知り、宗派によってこうも違うのかと思いました。 あまりわかっておらず申し訳ないのですが、 日蓮大聖人は南無妙法蓮華経を唱えるという事の様なのですが、 釈迦は何を唱えているのですか? 解る方がいましたら教えてください。 よろしくお願いします。

  • 日蓮宗の聖人(お坊さん)を探したいです!

    我が家は長年、とてもお世話になっていたお坊さんがおりました。特に義母と主人は心から尊敬していました。 そのお坊さんがある人に訴えられ他のお寺に移動(というかわかりませんが)してしまいました。 代わりのお坊さんが来てくれますが、とても横柄な態度に困っています。もう一度前のお坊さんに「会いたい」から探してほしいと頼まれました。しかし名前はわかりますが千葉のお寺に行ったらしいとしか関係者は教えてくれません。何か日蓮宗の名簿か何か、探す方法はないのでしょうか。 今いるお寺がわかればいいのですが。 どうぞよろしくお願いします。