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認知スタイル・個性・知能について
認知スタイル・個性・知能とはそれぞれどういったものなのか教えてください。
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こんにちは。 我々の行動の選択結果には必ずや様々な個人差がありますが、「認知スタイル」といいますのは主に大脳皮質で行われる「認知作業の違い」をそのひとの「個性」として分類しようとする概念です。 まず、 「認知」とは、学習結果を「判定材料」とする「行動選択の過程」であり、 「個性」とは、学習結果を「判定規準」とする「行動選択の個人差」です。 そして「知能」とは、本能行動に対する「学習行動の比率」によって評価されるものであり、それは上記二つによる「学習結果に基づく行動の複雑さ」として現れます。 「個性」といいますのは「大脳辺縁系の情動反応」として獲得されるものであり、ここでは生後体験に基づいて学習された「判定規準」に従って「情動反応」が発生し、この判定に従って選択されるのが「情動行動」です。ですから、大脳辺縁系に学習される「情動反応の判定規準」といいますのはそのひとの生後体験から獲得されるものでありますから、これによって選択される行動には必ずや「個性」というものが反映します。 これに対しまして、大脳皮質で行われる「認知」といいますのは学習結果を判定規準ではなく、「判定材料」として用いる作業です。このため、選択される行動といいますのはそのひとの「学習量」や「学習内容」によって必然的に異なるわけですが、「学習量の多い少ない」といいますのは、これは個性ではなく、飽くまで「個人差」です。 では、上記のような情動や学習内容などによる「個人差」を排除した上で尚且つ思考結果に違いが現れるということは、そこには「学習記憶の使い方」や「処理水準」など、「認知作業の過程」に違いがあるということです。このようなものをそのひとの「個性」として分類しようというのが「認知スタイル」という概念です。そして、このスタイルの違いにより「学習行動の正確さや複雑さ」が変わりますので、これによって現れた結果をそのひとの「知能」として評価するというのも特に不可能ではないということになります。 回答は以上です。 但し、これによって知性の指標をそのひとの「個性」と結び付けてしまうというのは基本的にはできません。 何故かと言いますと、この「認知スタイル」といいますのは古典心理学における従来的な分類法を用いた飽くまで概念であり、果たしてそれは我々の脳の生理学的構造と一致する科学的な解釈ではないからです。 大脳皮質の認知作業が高度であるならばそれに応じた結果が現れますから、これを知能と評価することに全くの問題はありません。「認知スタイル」といいますのはこのような結果の違いを外観的に分類するための概念です。 ですが、それが知能の指標であるというのは間違いのないことなのですが、もし学習訓練の積み重ねによって良い結果が出るというのでありますならば、これはそのひとの個性ではなく、飽くまで「個人差」ということになります。そして、果たして現時点では、それが「認知スタイルの違い」によるものなのか「個人の学習訓練」によるものなのかを科学的に証明する手段がありません。 では、どのように調べたら良いかと言いますと、情動判定などのノイズが一切入らない数学計算といった認知課題において良い成績が得られるならばそのひとは「高度な認知スタイル」を持っているということになります。ですが、ここにひとつ問題があります。それは、逆にこの成績が反復学習によって向上するものであるならばその知能の高さを個性とすることはできないということです。そして現在、果たして脳科学の研究では、このような「計算問題の手順」といったものは反復訓練によって小脳に熟練学習されると考えられています。 つまり、このように思考結果に対して分類される認知スタイルといいますのは現時点で既に「反復学習によって向上する」という証拠の方がひとつ先に見付かってしまっているわけです。従いまして、このような脳科学の知見に基づくならば、我々の知能の高さといいますのは飽くまで学習訓練の積み重ねによって裏付けられるものであり、認知スタイルの概念からこれを直ちに個性と結び付けてしまうことはできない、ということになります。