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ドイツの人口増加
ドイツは元来寒冷で土地はやせ農業生産に向かず、ローマ時代はみかいの土地でした。人口密度はきわめて小さかったのです。そして17Cには三十年戦争が起こり人口が激減しました。 しかし、第一次大戦時人口はフランスを上回り、現代日本と同程度の国土に8千万もの人が住み、欧州で有数の人口を抱えています。 いったいいつごろから人口は増えたのでしょうか?また原因は何でしょうか?産業革命が原因でしょうか?
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ドイツの人口増加は、三十年戦争直後から18C初旬にかけて 始まっています。 原因は、食料事情の大幅な改善にありました。 1、新大陸から持ち込まれたじゃがいも・とうもろこしが、寒冷地や やせた土地でも栽培できた。 2、小麦の栽培は難しくても、ライ麦・大麦の栽培はドイツの土地でも 十分可能だった。 3、余剰穀物は、牛豚などの牧畜業にまわすことにより やせた土地でも牧畜業が行われ土地の有効活用がすすめられた。 4、三十年戦争後のドイツは分裂国家ではあったが 各国は、「ミニ富国強兵」をさかんに行い、農地開拓を国是として 押し進めた。 上記以外に、ドイツ人は昔から家族単位で生産活動をすることが 伝統的に行われていたため、非常に「多産」だった事も要素として あります。 (現在もそうですが)ドイツの農業は家族単位の零細農家がほとんどで 生産力をあげるには、労働力となる子供をいっぱい産む必要も あったこともあり、18Cは国内で大きな戦争や疫病が少なかった事も あって、人口はうなぎのぼりに上昇しました。 そのため、余剰人口が増え、それが農業以外の産業への人口流入を 生み出し「産業革命」を発生させることになります。 よって、「産業革命で人口増加が起きた」ではなく「人口増加により 産業革命がおきた」が正確な表現になります。 人口増加により、国外への移住や植民も行われアメリカやバルト海沿岸 やロシア奥地等へ多くのドイツ人が渡っていきました。 母国でのやせた土地の開拓技術に長け、勤勉で多産のドイツ人は 移民先でも人口増加を発生させます。 現在、アメリカの農村や農業地帯のほとんどがドイツ系であることが その証しと言えます。 ただし、18C以降の人口増加は、ドイツだけでなく ヨーロッパ全体で起きていたことなので、ドイツだけが特別だったわけ ではありません。じゃがいも・とうもろこし以外に、 イギリス・フランス・オランダ等の植民地からの豊富な物資・食料の 流入も大きな要因と言えます。 科学的な要素目線で見れば、長い間のペストによる大量死で 「免疫力の高い頑強な体を備えていた人間が生き残った」事も あるのかもしれません。 また、「どうせまた、疫病で人がいっぱい死ぬんだから産めるうちに いっぱい産んでおこう」という心理もあったのかも。 フランスは、18C後半から植民地経営や戦争ビジネス、ドイツよりも 早い産業革命により、人口増加は緩やかにドイツよりも下がって行き ます。 元々、ドイツよりも大規模農業が行われていたし、肥沃な土地で栄養価 の高い小麦を栽培していたので、それほど多くの人口を必要としなか ったのも理由なのかもしれません。 ナポレオン戦争後には、フランスでは早くも人口増加に歯止めがかかり 19C後半には、ドイツが人口増加が継続状態だったのに対し 早くも少子化の兆候が現れはじめています。 ドイツよりも民主化が進んでいた国情があった事も要因でしょう。
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- tanuki4u
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ジャガイモです。 ご指摘のように、ドイツ平原は氷河によって表土を削り取られているので、南欧と違って土地が肥沃ではありません。 しかしジャガイモは土地がやせていても生産できます。また、平原であるために耕作面積はたくさんあります。
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北欧でも芋が主食ですものね
お礼
すごいの一言です。模範解答です なるほどそういう事情だったのですか 技術革新がキーですね