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何故、ジョークやお笑いが面白いのか? 

「ジョークはカエルと同じであり、何故かと言うと解剖すると死んでしまう」 とは言われますが、あえて解剖したいと思っています。 何故、ジョークやお笑いが面白いのでしょうか?  哲学は素人なのですが、私にも分かる形で解説して頂ける方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。

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noname#82286
noname#82286
回答No.12

意外性が原因です。人間は意外な現象を間のあたりにするとやや殺気を帯びます。そのあとになんら問題ない内容だったりするとほっとした勢いで面白わけです。ただ1979年~19XX年生まれの人にはジョークは通用しません、もちろん僕の偏見ですが、この時代の人間は仮想有能感丸出しの人間がある程度いますので、ジョークを警戒します、ですからジョークを言ったとたん高圧的な態度をとるはずです。あと内容が考えられる現象としては中身が単純でなければいけないということも在ると思います単純であればほっとするのです、ですから心地よいわけです、ただたまに受けて側で安易に相手に対していじめを働く人を最近よく見かけます、これは良くないですね。 ジョーク→親和→笑顔 という経路を辿れない受け手側と辿れる受け手側がいるということでしょうけど ジョーク→安心→相手をオモチャ扱いする このようになっては人間味に掛けます

その他の回答 (15)

noname#82286
noname#82286
回答No.16

no15さんの意見は非常に良い意見ですね、群集から外れる不安から笑い出すという現象に至っているのではないかと僕も思いますね、no12の意見はジョークをジョークとして受け止めていた場合の話すのであしからず。

javawater
質問者

補足

御礼が遅れて申し訳ありません。 まとめた形になってしまいますが、お礼申し上げます。 自分なりにまとめると、 ・日常とのズレ ・皮肉 で笑いが起きるのであり、それにはしばしば ・タブーへの言及 が伴う(これはまた別途解析します)。また、 ・周りが笑っている事に対する安堵感 ・空いた時間を埋める 事を提供する為に最近のお笑いは存在し、またそれを求める客層もある。 ・本当に面白い芸の提供 というものは、芸というものはここを目指すべきだが、劇場にわざわざ足を運んで見ようとするものから、付けっ放しにしたテレビから流れる芸など存在する。 という所でしょうか。まだ、本質・核心という頂の部分には辿り着けておらず、登山の1合目にも登れていないように思いますが、今の所はこんな感じですね。

回答No.15

ちなみにうちの子が1歳の頃、 TVでアメリカのコメディーを見て、観客の笑い声が出るとそれに合わせてケタケタ楽しそうに笑っておりました。 もちろん言葉がわかるわけではないし、動作が面白いわけでもない。 その姿を見て、私は笑いの本質を見たような気がしました。 「見たような気がした」だけですが。

  • zenzen_w
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回答No.14

能天気な馬鹿話ってのは ジョークのうちに入ってるのかな 楽しい行こーよっていっても ほとんど支離滅裂な文章で それって 寂しさの裏返しだろ しかも何も心に響くものもなかったりした日には 哀れをさそう 素直なジョークでいきたいね 皮肉を込めたジョークはどっちかというと願いさげだし。。。

回答No.13

こんばんは、javawaterさん。 ************************************************************************************ 何故、ジョークやお笑いが面白いのか?  「ジョークはカエルと同じであり、何故かと言うと解剖すると死んでしまう」 とは言われますが、あえて解剖したいと思っています。 ************************************************************************************ ↑ 『笑う大天使』 /上野樹里(「のだめカンタービレ」)主演 http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD7402/story.html 「…カエルと同じであり…云々」←で、ココがすでにジョーク (上の句転じて神の苦) なのではないですか? 「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」 たとえば試験、「やったー!書けた!ふー、おわったー。ほっー」 「〇カエル」と「ミカエル」 そそ、テストの答案書けたら見返してね、といわれていても誤字脱字あるもんです。 一文字書き抜かすと 「X」 おまけにそれが氏名だった日にゃ、あーた失格!!! 「□」 まっさかさーまーにー落ちて…奈落です。ドボン 「●」 気分は天国から地獄 笑えない いやいや、それはそれで落ちるところまで落ちるとなぜだか笑みこぼれます。はははあ…嗚呼 ある意味、完全燃焼 墓場に行くと青白い炎を目にしたと、彷徨える魂の如くいわれもしましょうが無害です。 幽霊の正体見たり枯れ尾花 「秋の野の尾花が末の生い靡き心は妹に寄りにけるかも」- 柿本人麻呂 【炎チェック】 http://www.kiryu-gas.co.jp/gall/voice-01honoo.htm http://www.nagoyapropane.co.jp/html/oplib07.html http://www.kyusan.co.jp/toshihoan.htm 面が白い…白紙…He looks pale. 左利きのあなたの手紙、右手でナゾってまねてみる いくらかいても書き尽くせない、白紙の行がそこにあるー秋止符よりー 悲観することはありません、末は博士か大臣か…何の? 【カムイ伝】 http://journal.mycom.co.jp/articles/2006/01/10/camui/index.html

noname#80116
noname#80116
回答No.11

 ジョークは いちいち 話しに耳を傾けなければなりません。その場で面白いけれど また聞きたいとは思いません。  日本のお笑いは タモリ型とたけし型に分けられるのではないでしょうか。  言いたい放題で 国民のかなりの部分からの要請を受けて さらにその言いたい放題を もともとの知恵によって抑制しながら かつ 自分の位置づけを一歩は低く置いたかたちで 続けて行った。ビートたけし。  タモリは ユーモアだと思います。何か人を笑わせようとする部分(ネタ)もあるのですが それよりは どこか軽くでも窮地に陥ったときに ひとこと そこから 何の毒もなく(もしくは 一部分の人には毒となる場合 容易に癒やせるかたちで) しかも 話題(その窮地の問題)から 適当に ずれて ものを言うとき そのユーモアは発揮されます。これは なかなかの知恵だと思います。ながく持ちます。  ジョークの話しでなくてごめんなさい。

noname#52670
noname#52670
回答No.10

間違っているかもしれませんが…。 基本にあるのは アイロニー(皮肉)ではないでしょうか。 ただ、アイロニーの使い手ソクラテスは、相手と揉めて、 相手が怒ることがおおかったわけですが、 この怒りを和らげるて変化させるとユーモアになるのでは…と思います。 このとき上手くいくか、いかないかでお笑いの力量がわかるかと。 お笑いやジョークの達人ほど、その生涯が不幸だったりします。 悲劇の中に喜劇が潜むこと。喜劇の中に悲劇が潜むこと。 その隠された無知があらわになった時の驚き。これではないかと。 本質を共有しますが隠された無知を表現する形式として パロディや模倣、言葉の並び替え、モノマネも成立します。

  • ruehas
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回答No.9

こんにちは。 ジョークが面白いのは、それは結果を予測することができないからです。この「結果が予測できない」というのが全てのユーモアの条件になります。従いまして、解剖をすれば必ず死んでしまいます。 「笑う」というのは「安全・安心」という報酬に対して発生する反応です。 予測できないものは理解することができません。ですが、結果が判明すれば全てを理解することができます。このため、ジョークには必ず「落ち」があります。 誰かさんが躓いて転びそうになると何故おかしいのでしょうか。それは予測ができないからです。そして、転びそうになって慌てた姿に笑うのは全ての結果が判明したあとです。 これにより、我々の脳内には「安全・安心」という報酬が発生します。「笑う」というのはこの報酬に従って選択される身体反応です。ですから、我々人類は見知らぬ相手とコミュニケーションを取るときは必ず笑顔を使いました。これにより、まず安全であることを相手に伝えることができます。これは、それが全ての人類に共通の反応であるからです。

回答No.8

顔で笑って心で泣いて 人情話で泣き笑い ボロは着てても心の錦 俺の人生ままならぬ

noname#194289
noname#194289
回答No.7

案外自分の優位さを誇れる場を提供してくれることと関係があるのかなと思いました。面白い話を笑っていると、案外自分のことを笑っているのかもしれないと思うと、愚者の幸せのようなものにも関係しているように思います。新聞の死亡欄を見て自分も死ぬのだなと思う人は案外少ないのではないでしょうか。ジョークや笑い話というのは裏側には結構深刻なものが潜んでいるように思います。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.6

言葉遊びで、仕掛けがあり、その仕掛けがわかると、愉快だと人間は思うからじゃないでしょうか。 例えばあるバーで、非常に小さなピアノを弾く小人がいて、その所有者に「どうやって手に入れたのか」と聞いたところ、魔法のランプ的なストーリーを話してくれ、そのランプを是非譲って欲しいと言ったら、いとも簡単に譲ってくれた。 それで早速ランプの精を呼び出して、「100万バックス出してくれ」と命令したら、沢山のアヒルがつぎつぎ出てきた。 (この段階でユーモアのわかる人は大笑いする。) 「おい こりゃ どうなっているんだ」と元に主人に聞いたところ、「私が小さなピアノと小人が欲しいとランプの精にお願いしたと思っているのか」って答えた。 大うけ。 ダックス(アヒル)とバックス(通貨)をひっかけているわけです。 この仕掛けがわからないと、笑えないが、仕掛けがわかると非常に面白い話だと笑えるわけです。 で、感情というものがあり、ある部分が壊れると、ダックスとバックスをひっかけて、聞き違いをするどこか抜けた魔法のランプの精のお茶目さ といいますか、、、そこいらのツボがわからず、オチを言われ説明されても、キョトンとするわけです。 もう一度「ダックス バックス ね?」って説明してもキョトン。 「つまり 魔法の精は耳が悪くて、100万バックスって言ったのに、100万のダックスが欲しいとご主人様は言われたと思い、100万匹のアヒルを出したというわけで」ってそこまで説明しても、キョトン。 だから前の人はこんなランプを早く手放したくて、すぐにくれたわけです。 普通の人は、100万のアヒルが出てきた といった段階で、ウハハハハ!とこの話の面白さがわかるんですが、、、、、 ツボが壊れていると、オチを説明しても、わからない。 機能が壊れて動かないから。 ユーモアは緊張関係を緩和する効果もあるので、人間に備わっている能力のようです。 日本にも言葉遊びの文化があり、勘違いする話をして笑いを取る漫才とかありますよね。

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