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亡くなった母の供養について

数年前に母を病で亡くしました。 家庭事情が複雑で、どこの宗派で葬儀をすればいいか、ということで、ひと悶着ありましたが、母方の実家の曹洞宗で弔うことにしました。 葬儀はつつがなく終わりましたが、しばらくたって、親戚からこんな事を言われました。 「亡くなった人の魂は、供養すればするほど、天国で位(?)が上がって幸せになれるんだよ」 …供養すればするほど、って、要はお布施等を僧侶や寺に払うことになりますよね? その時は「地獄の沙汰もカネ次第」かよ、と、ものすごく気分が悪くなりました。 そういうと、祈ったり念仏を上げるのに金は掛からない、と反論されましたが、カネは掛からなくても時間は掛かるし、お経も本を「買わない」とわかるわけありません。(読み方を教わるのにもお金は掛かるでしょうし) もともと、宗教に対して批判的ではありましたが、この件で、一気に不信感を煽られました。 仮に天国なり地獄なりがあったとしても、そこでどう扱われるか、など、亡くなった本人の生前の行いが問題であって、なんで親子とはいえ他人の所業で扱いが変わるのか、理解に苦しみます。 宗教とはいえ「慈善事業」では無いのでしょうから、おカネを集めるのに色々算段しなくてはいけないことは理解しますが、前述の母の件はあまりに酷すぎます。 本当に日本の宗教の実態は、ここまでアコギなのでしょうか。

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  • nana0120
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回答No.5

私は父を小学生の頃亡くしました、 人生で初めての「死」と言うものでした。 母の悲しみに比べれば子供の私はのん気な者でしたが、 ある意味人の死と言うものに対しては冷静な自分がいます。 他の方の質問にも書いたのですが、 私は父の仏壇に向かって手は合わせてはいません。 父の仏壇の前で父の事を出して母と笑い、 私なりに母を大切に思っていれば父も満足なんじゃ…と勝手に解釈しています。 付き合いの浅い天邪鬼な娘でしたから実父なら分かってくれるでしょう。 さすがに田舎に帰り墓の前では手を合わせますが、 フラフラ出歩くのが好きだった父の事ですから一箇所に止まる事はないと思われます。(笑) 私も「金次第」と言うのが好きではありません、 大金を出せば立派な戒名がもらえるなど弱みに付け込んでいるとしか思えません。 昨年は父の33回忌でした。 初めの頃は父の兄弟がまだ元気と言う事もあり普通に行いましたが、 母と私だけで田舎に帰り墓参りをしただけです。 お坊さんを呼べばいいんでしょうが、 知りもしない人からお経を上げてもらったって嬉しくはないだろうし、 母と私が顔を出す以上に父にとって嬉しい事はないと思います。 よく言いますよね、 墓を建てないとバチが当たるとか供養しないと成仏しないとか。 邪険にせず親を大切にし自分なりに出来る事をしていれば 実の親がバチなんて当てる訳ないって思っています。 お金を出さないからって 実の子を地獄にたたき落とす親がいるのなら見てみたいものですよ。 今年老いた母1人になりましたが、 母を大切にし心配をかけない様にするのが 思いを一杯残して死んでいった父に対する一番の供養かな?と思っています。 周りから見ると親不孝な子供でしょうけど…。 これで父が満足しているのかどうかは聞けないので分かりませんが…。 >「法事を営まないのは先祖を軽んじているからだ」 そう言う人間にはそう思わせておけばいいんですよ、 法事に呼ばれて飲んで食って騒いだりしたい人もいるでしょうし。 供養の行い方など人それぞれだと思います。

D_nougt
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >大金を出せば立派な戒名がもらえるなど弱みに付け込んでいるとしか思えません。 全く、その通りですね。 私の祖父が亡くなったとき、戒名に「徳」の字を入れて欲しい、と要望したところ、10万円の「お布施」を要求されました。 今から35年以上前(私が生まれる前)のことなので、当時の10万円というのは、どれだけの金額なのか、想像もできません。 生前の私の母が苦境に立たされたとき、不治の病に侵されたとき、呻く様に言ったものです。 「いくら拝んだって祈ったって、救われやしない」と。 母は、それなりに敬虔に信仰心を抱いていましたが、私が「現実の行動」をもってして母を助けたこと、いくら祈ってもカネを吸い取るばかりの宗教のやり方にどれだけ怒りを抱いていたか、母が亡くなった今は、私ですら想像が付きません。 今では、私も墓を立てたこと自体、後悔しています。 親類が一切居ないので、墓など、私が死ぬときにでも立てて母と一緒に納骨してもらえばそれでよかったのに、「苦しむ心」につけこまれて、400万円もの大金をつぎ込んで、一銭のの見返りも無い石の塊を立てたところで、それがなんの意味に値するでしょう。 その「400万円」が、今私の手元にあったら、どれだけの力になるか、計り知れません。 つくづく度がしがたい、連中だ、と、思います。 >そう言う人間にはそう思わせておけばいいんですよ、 そうかもしれませんが、そういう連中が「宗教法人」の名の元に、どれだけ度がしがたい事を行っている事を、常に意識するべきでは無いか、と、昨今では思います。 無視さえすれば無害な存在なら許容できますが、有害ときては、遇する法を知りません。 まとまりの無い文章となり申し訳ないですが、御礼を申し上げます。

その他の回答 (5)

  • teinen
  • ベストアンサー率38% (824/2140)
回答No.6

 ご返答ありがとうございます。   >極論を言うなら、収入の1割を寄付する事を強いられてもかまいません。 >ただし、きちんと寄付した金の使い道と、それがどういう形で具体的に信者に還元されるのか明確にしてもらえばいいのです。 そこに、支払う費用と、自分の心を託すものを見出せば、私だって信者になるかもしれません。 >僧侶・寺・教会を「政府」、寄付を「税金」、施設の増改築を「公共事業」に置き換えると、分かりやすい話だと思いますが。  質問者の方がお世話になった寺院では,収支報告が公開されていないのですか。  うちの菩提寺では,護持会(檀家の組織)の役員会(檀家総代会)で予算・決算の審議をしますから,収支報告書が出されます。役員ではない私ども一般檀家は,それら書類を寺の寺務所で閲覧することができ,その旨も周知されています。  氏子になっている神社も同様です。  ですので,どこの寺院でも同じだと思いこんでおりました。 >>寺を維持するだけでも相当のお金が必要 >批判をすると必ずといっていいほどこの答えが返ってきます。    収支報告を見ているからこそ,寺院維持費が支出の多くを占めているのを知っているので,左様に申し上げたわけですが。  うちの菩提寺の坊さんは,高級外車に乗っている訳でもなく,うちに来るときは自転車でやってくるし,贅沢をしている様子もありません。  というようなことで,質問者の方がお世話になった寺院と,うちの菩提寺ではかなりの違いがあるようですので,私の回答は参考にならないみたいですね。失礼しました。

D_nougt
質問者

お礼

>質問者の方がお世話になった寺院では,収支報告が公開されていないのですか。 そんなものがあるとは、全く、知りませんでした。 過半数の寺院・神社・教会がその様な事を行っていれば、そういうお話は、世間にもっと認知されていると思うのですが…? よほど立派な僧侶が居らっしゃるお寺なのですね。 >私の回答は参考にならないみたいですね。失礼しました。 まるで、「誠意」というものが感じられない謝罪、非常にお見事です。 自分が正しい見解をもっている、と信じていても、他人を傷つけてしまった、と感じれば、誠意の在る言葉が自然に出るものです。 よほど世間や社会というものを知らないか、「仏教を信じないものなど愚か者だ」と木で鼻をくくる態度と、価値観が染み付いてしまっているのでしょう。 これでは、如何に貴方が正しい事を言っても、誰も信じてくれないでしょうね。 >高級外車に乗っている訳でもなく,うちに来るときは自転車で >やってくるし,贅沢をしている様子もありません。 それはそうでしょう。見た目ですぐ贅沢をしているとばれてしまえば、ありがたみがなくなるのですから。 そういう外車をもっている僧侶等は、複数台、車を所有しており、檀家さん・信者さんを巡る際は、軽自動車とか、スクーターとか目立たない車を使うのは常識ですよ。 >うちの菩提寺ではかなりの違いがあるようですので 「かなりの違いがある」寺院・神社等のほうが多い事を認識され、危機感を持ったほうがよろしいかと思います。 貴方の言葉を信じるのは、同門の信者だけでしょう。 本当に信仰や信頼を得るのには、その信仰を否定している人を信じさせるだけの器量と努力と実績をもって、初めて実現されるものです。 もう少し、社会に揉まれた方がいいように思います。

  • teinen
  • ベストアンサー率38% (824/2140)
回答No.4

 No.3の回答者です。  回答の文中に誤りがありましたので,訂正します。  東南アジアの仏教国では,坊さんを敬い,布施する文化があり,そのような国では,坊さんは多くの信徒に衣食住を支えてもらい,自らは仏道修行に専念できるのですが,日本においてはそのような状況にありません。寺を維持するだけでも相当のお金が必要となります。仏道修行に専念できる状況ではないわけです。

D_nougt
質問者

お礼

仏教の実態です。 「坊主丸儲け」でGoogleで検索すると、でるわでるわ…。 http://219.121.16.30/blog/archives/000068.html 特に必見↑ http://www.venus.dti.ne.jp/~bouzu893/iitai/it01_20/iitai03.html 他の宗教を批判するのもかまわないですが、まず自分が模範になったら? http://black.no-blog.jp/hone0625fk/2004/06/post_11.html これには私も異見がありますが、世間からの目というのは、大体こういうものかと。 http://www3.ocn.ne.jp/~xyz/hoby/es/es/temple.htm これが日本の宗教の実態。ちっとは反省しろ。切腹級です。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?queId=6964261 外国ではどうなのか?明朗会計で、「気持ち次第」という心の間隙につけこむ余地はありません。

  • teinen
  • ベストアンサー率38% (824/2140)
回答No.3

 我が国日本は,神道も儒教も道教も仏教もごちゃごちゃになった習俗の国です。  そもそも,仏教の教えに「天国」はありません。「天国」はキリスト教の教義に出てきます。仏教では「浄土」です。浄土真宗などの教義では,亡くなられた方は,阿弥陀様がいらっしゃる西方極楽浄土に往生すると説かれています。ところが,曹洞宗の教義にはその「浄土」すらないのです。  平たく言えば,曹洞宗をはじめ,禅宗では,亡くなられた方を僧に仕立て,僧としての名「戒名」と授け,この世との未練・因縁を断ち切り引導を渡し,亡くなられた方は仏道修行に励むということになっています。  突き詰めて言えば,いくらお金を積んだところで,仏道修行をしなければなんにもならないという教義です。    先祖崇拝は儒教や土着宗教に依拠し,仏教などに取り込まれ,「先祖供養」「追善供養」という習俗が生まれました。  仏教で言うところの「供養」とは,坊さんに読経してもらうことではありません。そもそもは「他の人々に振る舞う」ことを言います。  中国で創作されたのではないかと言われている仏教教典には,「神通力に非常に秀でているお釈迦様のお弟子さんが,自分の母が地獄で苦しんでいるのを見て,どうしたら良いかとお釈迦様に相談したところ,『供養しなさい』と言われ,お坊さん方に食事を振る舞ったところ,善行を積んだその功徳で地獄にいたお母さんが救われて,地獄から脱出した。」というような話があります。  また,達磨さんの話の中で,中国の王様が達磨さんを招いた時に,王様は「私は寺をたくさん建てたり,尼僧に施したりしてきた。なので,私にはどんな報い(利益)がありますでしょうか?」と達磨さんに尋ねたら,達磨さんは即座に「無功徳!(利益なんてないよ)」と返答されたという話が伝わっています。  古来,日本は自分の利益のためだけに何かをするというのは恥ずかしいことだとされてきました。ですので,仏教が日本文化に溶け込む過程で,良いことをすれば,そのポイントが自分自身ではなく,御先祖様のポイントに上乗せされるという説が生み出され,受け入れられた訳です。  ですので,ご親戚の方がおっしゃったのは,日本的宗教観に基づくものであると言えます。仏教の本来的教義に基づくものではないことをご理解ください。    宗教には,教義と寺院の維持という2つの側面があります。  日本は,東南アジアの仏教国のように,坊さんを敬い,布施する文化があり,坊さんは多くの信徒に衣食住を支えてもらい,自らは仏道修行に専念できる状況にありません。寺を維持するだけでも相当のお金が必要となります。仏道修行に専念できる状況ではないわけです。  中には,アコギな坊主もおりますが。  日頃から仏教に帰依し,寺院・坊さんとの交流がある人もいれば,葬式や法事の時だけ寺院・坊さんに頼むという人も居ます。おおむね,後者の方が多いかと思います。そのような方々が「葬式仏教」だの,「坊主丸儲け」などと言っている訳です。 >本当に日本の宗教の実態は、ここまでアコギなのでしょうか。  坊さんではなく,親戚が言ったことで宗教を批判されるのはいかがなものかと思いますが。  キリスト教では,聖書に「収入の10%を教会に寄付しなさい。」と書かれています。これに比べれば,お寺に納める御布施はまだ少ない方だとは思います。  

D_nougt
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 仏教だろうが何だろうが、関係ないのです。 要は、「供養」とか「死後の世界」とか、人智の及ばぬものを持って、人に出費や時間を強いらせて、必要以上に利益を上げようとすることに、非常に不信感を抱いているのです。 >東南アジアの仏教国のように,坊さんを敬い,布施する文化があり さるドキュメンタリー番組で、東南アジアのとある寺院が、「困窮して行き詰った人にお金を貸す」という“美談”が紹介されていました。 そこでは、「いたずらに金を借りることに安直になってはいけない」という意味を込めて、年率200%の利子で貸し付けられているそうです。 日本の「アコギな」サラ金ですら、上限は年率15~20%です。 新興国なので、インフレの問題もあるでしょうが、それでも、許される数字ではありません。 私の親戚の見解が「純粋な仏教では無い」と指摘されていますが、では、日本で「適切且つ正しい仏教」というのは、どこにあるのでしょう? 外国の「美談の僧侶」ですら前述の状態です。 >坊さんではなく,親戚が言ったことで宗教を批判されるのはいかがなものかと思いますが。 僧侶と話したことも勿論あり、その上での批判です。話せば話すほど、わけがわからなくなります。 キリスト教のことは詳しくないので、批判の仕様が無いですが、仏教と比べて、どっちが良いか悪いかなど、論じるつもりもありません。 >寺を維持するだけでも相当のお金が必要 批判をすると必ずといっていいほどこの答えが返ってきます。 しかし、現実に近所の寺の多くは、ものすごいサイクルで改修・改築され、式典場(?)まで増築されて行きます。 有名どころのお寺の住職は、とんでもなく高額な外国車を所有しているともよく言われます。 統計に基づいたお答えならともかく、そうでは無いお話と、目の前の現実の、どちらを信じればよいのでしょうか。 極論を言うなら、収入の1割を寄付する事を強いられてもかまいません。 ただし、きちんと寄付した金の使い道と、それがどういう形で具体的に信者に還元されるのか明確にしてもらえばいいのです。 そこに、支払う費用と、自分の心を託すものを見出せば、私だって信者になるかもしれません。 僧侶・寺・教会を「政府」、寄付を「税金」、施設の増改築を「公共事業」に置き換えると、分かりやすい話だと思いますが。

回答No.2

お布施をすれば救われるとか お金を出さないと地獄に落ちるなど そういうようなことを言って恐怖心みたいなものを煽る坊主もいますよ。 葬式仏教と言って葬儀やあとの年忌にお金を出させよyとやっきになる坊主なんてたくさん居ます。 もちろんなかには真っ当なお坊さんもおられますけども。 供養ってなんでしょう? 私はあなたがお母様の位牌や遺影などの前でお線香をあげて手を合わせて「今日も見守ってくれてありがとう。今日も元気で仕事行ってきますね」とか朝に夕に個人を偲んで個人に感謝していくことが供養になるのではないかと思いますが。 お経をあげるだけが供養ではないと思います。 まして坊主にお経あげてもらうことだけが供養ではないと思いますよ 坊主にやってもらわないと成仏しないとかはないと思います

D_nougt
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >お母様の位牌や遺影などの前でお線香をあげて手を合わせて「今日も見守ってくれてありがとう。 >今日も元気で仕事行ってきますね」とか朝に夕に個人を偲んで個人に感謝していくことが >供養になるのではないかと思いますが。 そうですよね。生きている人間がしっかりする事が、供養になると私も思っていました。 しかし、某仏教系サイトで問い合わせたら、そうではない、と、自称僧侶を語る輩に、こっぴどっく罵られ、いい晒し者にされてしまいました。 恐怖心を煽る様な坊主は論外としても、「祈れば祈るほど報われる」という見解を持って、生きている人間を責め立てる僧侶が大半のような気がします…。なんともやるせない話で、胸が焦げるような思いをします…。

  • mat983
  • ベストアンサー率39% (10265/25670)
回答No.1

あこぎな僧侶もいます。 大事な事は先祖を大切にすることです。 お墓に手を合わせる、 綺麗にするなど基本的な事をすれば良いのです。 また法事を行うのです。 http://www.houjinavi-saika.com/knowledge/what.html

D_nougt
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 アコギな僧侶…そう問うと、「そういった僧侶はごく一部だ、過疎地ではまっとうにやっているのに貧乏な僧侶は居る」という 答えが必ず返ってくるのですが、それは逆に言えば、多数の都市圏に居る僧侶は、信用できない、という風に取れるのですが… 。 >大事な事は先祖を大切にすることです。 >また法事を行うのです。 これこそが、まさに法事を行うたびに、僧侶を呼んだり、お経を読んでもらうことになり、結局は負担を強いられる事になると 思っているのですが…。 ここで「法事を営まないのは先祖を軽んじているからだ」と気にし始めると、際限がありません。 そういう心につけこまれるのが、許し難い、と思う次第なのです。

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    四十九日まで、初七日や逮夜以外の日に、家族はどのように供養すればよいか教えてください。 数日前、喪主として母の葬儀を終えました。 (ちなみに父はずいぶん昔に亡くなっています) 今のところわからないまま、家族で毎夜般若心経を3回唱えています。 (般若心経の本がたまたま家にあったので、なんとなく3回です) 宗教は、私自身は信仰はありません。 私の実家(母の婚家)は浄土真宗です。 亡くなった母の実家は真言宗です。 葬儀は音楽葬という形でお坊さんはお願いしませんでした。 引っ越しを期に(浄土真宗)の檀家ではなくなり、仏壇は置いていません。 お盆やお彼岸はお墓参りだけで、自宅で祀ることはしていません。 現在、遺骨はローボードの上で、写真とろうそく立て・線香立て・花入れを並べています。 これもわからないまま、なんとなくです。 (住宅事情で後飾り壇・中陰壇というものを設置できません。) 仏壇があった頃は平常、仏飯器と華瓶を仏壇に供えていました。 この時期も同じようにしてもよいのかどうか。 故人の好物などを供えてもよいのかもわかりません。 お参りに来られる方も呼ぶべき人もいませんので、対面を気にする必要はありません。 信仰している宗教はないのだから好きなようにしていいのじゃないかと思いつつ、腑に落ちないまま日が過ぎています。 最初に初七日・逮夜・四十九日といった言葉を使いましたが、法要や、お骨やお墓をどうするかもまだ考えていません。 十分に悲しんで母との別れを納得したいです。 含めて助言をいただけたらと思います。 よろしくお願いします。

  • 母の宗教活動およびその思想について、悩んでいます

    ※新興宗教に傾倒している方の回答は受付しませんので、宜しくお願いします。 また、多少混乱している部分もあり長文で読みにくいですが、ご了承下さい。 周りに相談できる適当な人がいないので、是非ともアドバイスを頂きたいです。 私の母ですが、私が産まれる前から仕事に一生懸命で、いつも言うことや行動は正しく、少し抜けてるところはありますが親として人格面ではとても信頼していて、親子関係は良好でした。 私が20歳を過ぎたぐらいだったかと思いますが、人生におけるいわゆる失敗と言いますか、辛い事があり(夫婦や家族間の拗れではないです)それ以来新興宗教にのめり込んで行きました。(先祖供養が大事だとかよく言っていて、一度集会?に連れて行かれましたが、おそらく霊〇会だと思います) 家に仏壇はあるのに、それとは別に宗教から購入したであろう仏壇の様なものに向かって、朝晩と謎のお経を欠かさずに唱えています。 私からしたら、先祖供養と言いながら何に祈っているのかわけが分かりません。 母としては、救いを求めてより良い状態になるように宗教に従い先祖供養としてその活動をしていると思うのですが、その考えには一切ついていけません。 先祖供養はその家々で既にしているものですし、必死に供養をして御先祖様に助けてもらおうなんて考えが酷く傲慢で腹立たしいですし、命に感謝をし、現世を精一杯生きるのが御先祖様への供養と言いますか、私はそういう考えです。 母のしている事は、宗教での先祖供養という頑張る場所を自分で作って満足している様であり、なにも生み出さないし身勝手に願をかけられて御先祖様も迷惑だと思います。 とは思いつつも、辞めさせる訳にもいかずに母には今はそれが必要ならば、取り敢えずそのままにしておこうと思い、あまり口は出さずにいました。家族も私と同じ考えで見守っているのだと思います。 何人かの同級生から家に母が来て勧誘かなにかをしていたと報告がありましたが、その度に心底申し訳なく思い頭を下げていました。 母が宗教に入ってから数年後に私は家を出て、更に数年が経ちました。 私は結婚をして、今妊娠中です。 母にとっては初孫になります。 相変わらず宗教を続けている母には嫌気はありますが、その点はずっと関わらないようにしていますし、母も自分の活動が周りに理解されにくいものであることは分かっているようで、今までは特に問題ありませんでした。 しかし私の子供の事で、母に物凄い嫌悪感を感じ始めています。 結婚してから、孫は楽しみにしていたようで私の仕事を気にしたり育休がうんたら言っていたり、それはいいのですが、電話が来る度に節約節約と言うのが本当にうるさく嫌でした。 言われなくても結婚前からずっと節約はしてますし、親の援助などなく後悔しないように結婚式を挙げ、ハネムーンへいき、新居を購入と計画的に夫婦で頑張っているのです。 そしてやっと子供を考える事が出来た結婚1年後すぎに、電話で子供は?と聞かれたのがとても嫌でした。 母が宗教なんて無意味なものに努力している間、私たち夫婦は将来の為に一つ一つと努力しているのに、口を開けば節約と言ってきた母が子供は?と聞いてきた身勝手さに本気で腹が立ったのです。理解して貰えるか分かりませんが… 母としては計画したり努力せずとも楽しみにしている孫ができるのだから、せめて黙っといて欲しいと思いました。 ちなみに首都圏に住んでいますが、今時まともな企業に共働きで勤めていても、経済的な理由で子供を1人までにしたりというのはよくある話です。 それと、その電話の少し前に、母がお友達と会う(宗教の集金です)との事で近くに来ていたので、食事に誘われた時があったのですが、やけに会いたがってるなと思い出向きましたが、帰りに母が祈ってきた御札?を貰ってくれとしつこく言われました。 その際、私達夫婦に変な子供が産まれないようにだとか、いい子が出来るようにと言われ、その時は御札を断る事で頭がいっぱいでしたが、帰ってから冷静に考えて子供に対しての発言に物凄く腹がたちました。 実はその時私は妊娠初期で、私達のもとに小さな命がきてくれた事だけでも嬉しくて、神様に感謝しているときに母の傲慢さが信じられなかったのです。 もうすぐ妊娠中期に入ります。子供は?と聞かれた時に妊娠の報告をしてから、私の心配をしてかちょくちょく電話がありますが、あまり話したくありません。 体調悪いと言ってごまかしてきた部分はありますが、変な子が産まれないようにとか言ってたじゃんと母に言ってみると、健康な子供が産まれるようにって意味だよとは言っていましたが、絶対に納得出来ません。 私の態度を察してか、先日の電話で、宗教に関しては押し付けたり話したりはしないようにするからさ、と言ってきました。 ですがその後、でも言っとくからね、御札いらないとかそうやって逆らった考えをしていたら怖いからね、子供が産まれるって事は先祖が出てくるんだから、と言われ唖然としました。 正直、子供が産まれても母に会わせたくありません。 母の頭では宗教的な考えで私の赤ちゃんを見るでしょうし、上手く言えませんがそういうのが凄く嫌です。でも家族みんなで見に来るでしょうし、それは難しいと思います。 せっかく子供が産まれるのに、こんなにやり切れない気持ちがある事が悲しいです。 もう気持ち的に母を頼れないと思うのも悲しいです。今の母は嫌いです。 宗教を辞めないと子供に会わせないと言いたいです。が、そんな事をいっても状況が好転するとは思えません。 宗教を辞めさせたいですが、骨が折れる事でしょうし妊婦の私にはそんな体力も気力もありません。 なにかいい手はないでしょうか? 母は仕事をしているので、1週間ぐらいでも山寺に籠らせようかと思っています。

  • なぜ大川隆法は自殺者は地獄に行くとシンプルに言わないのでしょうか?

    自殺者は地獄に行く者も多いが、自分が自殺したことに気づかず自殺行動を繰り返したり、地縛霊になったりもすると言っています。 自殺者が天国に行けるということになれば、世の艱難辛苦から逃れるために自殺者が増えるため、地獄に行くと宗教者がいうことは理解できます。 ですが、地縛霊うんぬんは理解に苦しみます。 なぜ自殺に関して、そのような複雑な独自の見解を取っているのでしょうか。 ご回答よろしくお願いします。

  • 墓参り等で手を合わせる際、どう拝むのか?

    お墓参りや葬儀の際に合唱して目を閉じそのまま数秒じっとしますがその間、何を考えたり拝んだりするのでしょうか? 私は今まで親から教わったことはなく、また人に聞いたこともなく、どうするのかよくわからなかったため、近況報告とか、「安らかにお眠りください」とか、時にはその年の抱負や願い事をしたりしていました。 しかし、さすがに願い事は違うだろうと思い、正式なものもしくは一般的なものあるいはどんな人がいるのか知りたくて質問をしてみることにしました。 質問をする前にとりあえず少しは自分でも調べてみようと思いネットで検索したところ、そのような情報は少なかったのですが、少ないながら見つけた情報では「ナンマンダブ」「ナムアミダブツ」と念仏を3回ほど唱えると書いてありました。 仏事相談Q&A - 作法編 合掌・礼拝 : 浄土真宗本願寺派 教念寺 http://www.kyonenji.jp/butuji/001.html 焼香・礼拝の作法 http://5go.biz/kankon/r10_3.htm しかしさらに調べると、「南無阿弥陀仏」という念仏は浄土宗だけのものらしいということや、日蓮宗系では「念仏を唱えると地獄に堕ちる」と考えているらしいということなども分かり、「ナンマンダブ」「ナムアミダブツ」と念仏を唱えるのは浄土宗限定のものであり一般的ではないのかなぁとよくわからなくなってきました。 そこで質問です お墓参り等では何を考えたり唱えたりしますか? 無心でしょうか、念仏などを唱えたりするのでしょうか?…。 特定の宗教・宗派の儀式、一般的なもの、個人的なもの どれでもかまいません。どれであるかの明記はお願いしたいです。 また可能であれば、信仰されている宗教・宗派の名称も教えていただきたいです。 さらに、お墓参りと葬儀の際では違うよという場合には、どう違うのかも教えていただきたいです。 よろしくお願いします。

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