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村上春樹がアンダーグラウンドを書いた本当の理由は?

  • 暇なときにでも
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お礼率 100% (47/47)

村上春樹が地下鉄サリン事件の被害者にインタビューしたノンフィクション作品『アンダーグラウンド』(1997年)を書いた本当の理由は、田中康夫氏によればノーベル文学賞対策だそうです。
ノーベル文学賞の受賞条件は、小説だけでなくノンフィクション作品も書いている事だからだそうです。
私はこの田中氏の意見は非常に鋭い指摘だと思うのですが、村上春樹ファンの人たちはどう思いますか?

回答 (全14件)

  • 回答No.1

ベストアンサー率 17% (35/203)

もう一つのサリン事件が発生した長野県の元知事の言葉とは思えないですね、いろんな意味で。そのことの方がよほど興味深いと思います。そんな質問を平気でするあなたの人間性も含めてね。
お礼コメント
tukiji

お礼率 100% (47/47)

私の質問が言葉足らずで誤解を与えたかもしれませんが、アンダーグラウンドのような作品は本当はノンフィクション作家やルポルタージュ作家が書くべき仕事であり、村上春樹が書く必然性や必要性が私は感じられません。そして、田中氏の指摘のような理由がアンダーグラウンドという奇妙な作品が生れた本当の理由であれば、私は全ての疑問が氷解すると考えています。
投稿日時 - 2008-01-16 05:49:10
  • 回答No.2

ベストアンサー率 36% (886/2437)

今となってはかなり古い作品になってしまい、うろ覚えなのですが
当時、氏は、小説家というのは、一般に、
フィクション、想像、架空の世界を描くのが通例だけれど、
もっと社会とコミットメント(commitment)すべき点があってもいいのではないかうんぬん、とか言っていたような気がします。
(氏はコミットメントという言葉がけっこう好きですよね)(^^)
それで、氏にとってインパクトのあった、サリン事件の、
それも一般にはあまり報道されてない被害者個々の側面を
確か2年位かけて取材し、彼なりの思い入れを持って
書いたのではないでしょうか?
当時の彼の心情にそのような執筆意欲を抱かせる何かがあったのでは
ないかと私は感じています。
ちなみに「本当の戦争の話をしよう」という訳本もいいですよ~。(^^)

参考までに書いてみました
お礼コメント
tukiji

お礼率 100% (47/47)

「村上春樹はノーベル文学賞がほしいと思っていると思いますか?」という質問をしたら村上春樹ファンの人たちはどう答えるでしょうか?
私は「ほしいと思っているでしょう。喉から手が出るほど」と答えます。
私はノーベル文学賞に対する村上春樹の気持ちについて以上のように考えます。

もし仮にそうだとすると、ノーベル文学賞の受賞条件は小説だけでなくノンフィクション作品が必要である。しかも、軽い内容のノンフィクションではダメ。軽くなくても日本のローカルな題材を扱ったノンフィクションではダメ。大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』『沖縄ノート』のような世界的な関心を集められる題材のノンフィクションでないとダメ。
しかしそのような題材はそうあるものではない。これが自分で創れるフィクションと違うノンフィクションの一番難しいところ。
そこへ地下鉄サリン事件が起きた。
もし私が村上春樹だったら飛びつきます。
後にも先にもこんな題材二度とないでしょう。
私なら尻から火を噴いて『アンダーグラウンド』を書き上げますね。
投稿日時 - 2008-01-17 17:44:10
  • 回答No.3

ベストアンサー率 56% (712/1262)

私見ですが、
事件にかなりの衝撃を受けた。
そして自分なりにいろいろと考えた。
ただ、体験した人の話を、感想や意見などを
一切排除した記録として残しておかねばという思いが強くなった。
自分の名前にバリューがあり、たくさんの人が
読むであろう事も計算はした。
サリンのノンフィクションものに普段触れないであろう
世代などにも読んでほしいということから...

ということだとおもいます。
田中氏の意見ですが、ノンフィクションものは村上氏は
軽いものもふくめると山のように書いていますので、
それは違いそう。と、感じました。
お礼コメント
tukiji

お礼率 100% (47/47)

私は村上春樹のファンで村上にノーベル文学賞を受賞してほしいと思っています。
しかし、村上ファンの私にとってアンダーグラウンドはかなり違和感がありました。「なぜ村上はこんな作品を書くのだろう?」と思いました。そこで村上文学に批判的な田中康夫氏の指摘を読んで合点がいったという次第です。
田中氏は「村上春樹とプリンスホテルと同じ」とも言ってます。「洋風の雰囲気を漂わせながら舟底皿のカレーライスが出てくるのがプリンスホテル。女は顔じゃないと言っておきながら女を捨てるのが村上春樹」
要するに「村上春樹は超俗物、村上文学はニセモノ」ということでしょうが私はこの田中氏の指摘に目から鱗が落ちる思いがしたのです。
私は村上文学は小田和正やさだまさしの歌と同じような作品だと思います。両者とも「何でこんな作品が必要なんだ?」という作品ですが両者とも「物質の豊富な現代社会で、コミュニケーション能力の低下した現代の人々が深い人間関係を作り出せないことから感じている喪失感、孤独感を埋め合わせる役割を果している作品」だと思います。
ですから、村上ファンの私はインチキ宗教の教祖が俗物であるように村上がノーベル文学賞のためにアンダーグラウンドを書いたとしても矛盾を感じないのです。
投稿日時 - 2008-01-18 07:57:42
  • 回答No.4

ベストアンサー率 50% (13/26)

私も田中康夫の指摘は非常に鋭いと見ています。ただし、彼自信にとって。
差別は、それを糾弾する者の心にこそあるという真理を待つまでもなく、彼は賞が欲しいのでしょう。それこそ、喉から手が出るほど。
ここ数年、村上春樹の周辺にはノーベル賞がらみのウワサがたえず、かなり有力な候補と見られた時期もあります。
それを見た田中康夫は、村上春樹を「鏡」として利用したのでしょうね。

「ここに醜い男がいる」鏡を指差して男は叫びました。
その男は田中康夫であり、あなたでもあります。
わたしもそうかな。借りた三万円が返せぬと夜道を泣きながら歩いていた飲み屋の主人が、のちに作家となり、ノーベル賞の候補になったんです。
そりゃ嫉妬のひとつもしようってもんさ。
お礼コメント
tukiji

お礼率 100% (47/47)

どうもありがとうございます。
super32xさんのご意見に私も同感です。
田中康夫氏は村上春樹がノーベル賞候補になるほどの作家になったことに強いショックを受け激しく嫉妬しているのでしょうね。私も田中氏が1995年の阪神大震災でボランティア活動を始めた時から「作家として行き詰まって胡散臭い事を始めたな」と思いました。
しかし、田中氏の「村上春樹はノーベル文学賞がほしくてアンダーグラウンドを書いた」という指摘はその通りだと私は思います。
村上は地下鉄サリン事件の被害者と加害者にインタビューしただけで、その後オウム事件そのものを掘り下げて解明しようとはしない。その理由は、村上にとっては地下鉄サリン事件について書く事自体が目的だったからだと私は思います。だから、書き終えたら村上はオウム事件にもう何も用はないのです。

私自身も田中氏と同様に村上に嫉妬しているのかもしれません。
しかし「村上がしたことはやりすぎではないか?」と私は思います。自分の私欲のために事件の被害者をダシに使うというのはひどすぎるんじゃないかな?と私は思います。
そうした意味で、この問題が単に「それは村上に対する嫉妬」で片付けていい問題には私は思えないのです。
投稿日時 - 2008-01-25 03:07:32
  • 回答No.5

ベストアンサー率 50% (13/26)

アンダーグラウンド以前の村上春樹の周辺には、ノーベル賞の話題は皆無でした。
今まで全くおのれの人生にかかわりのなかった「ノーベル賞」なんてものの仕込みのためだけに、膨大な時間をかけて聞き込み、何百ページも書いたのだとしたら、そりゃ関係妄想の精神異常者です。

というところであなたのご質問を要約します。
「村上春樹は気違いですか?」
なんか斉藤美奈子さんが爆笑しそうなオチになってしまいました(笑)
お礼コメント
tukiji

お礼率 100% (47/47)

どうもありがとうございます。
私は1996年の段階で村上春樹は将来のノーベル文学賞について意識していたと私は思います。周辺でノーベル賞の話題が出始めてからノンフィクションを書き始めたら仕込みとしては手遅れでしょう。
また、私はアンダーグラウンドはページ数は多いですが他人へのインタビューの録音テープを文字に起しただけの作品だと思います。私は1997年にアンダーグラウンドを読んだ時に
「これは文学でもないし、評論でもないし、関係者に会ってインタビューしただけで自分で足を運んで取材したわけでもないという意味でドキュメンタリーでもルポルタージュでもない。何なんだこれは?」
とまるで鵺(ぬえ)のような非常に奇妙でとても醜悪な作品だと感じました。
しかし、このアンダーグラウンドが、地下鉄サリン事件ではなく村上春樹という人間の内面を「口開けてはらわた見せるザクロかな」というように開陳した作品であると考えれば、私は納得できると考えています。

私は村上はアンダーグラウンドを書く必要は全くなかったと思います。
ダマテンの方があがりやすかったのにリーチをかけてしまったような感じです。
私はアンダーグラウンド以後の村上作品はクオリティーが落ちてしまったと感じています。
投稿日時 - 2008-01-26 08:34:58
  • 回答No.6

ベストアンサー率 50% (13/26)

なるほど。あなたは村上春樹が気違いだと思ったわけですね。
気違いが形而下的な理由だけで醜悪な作品を書いたからやっつけようぜ、
と言われても、
「いや、別に醜悪でも無いし、気違いでもなさそうだから遠慮しときます」
と返答するしかないですねー。

おひとりでがんばってください。
お礼コメント
tukiji

お礼率 100% (47/47)

村上春樹が、たとえどのような形而下的な理由でノンフィクションを書いたとしても、そのノンフィクションが素晴らしい内容の作品だったら、私も何も文句はありませんし嬉しいのですが、アンダーグラウンドは村上でなくても書ける内容の作品だと思います。
極論すれば一般読者である私でも、時間や労力を投じれば、書けるような気がするくらいです。

村上が、小説を創作する時と同様に、ノンフィクションを手段ではなく目的として書いていたらこのような内容の作品には決してならなかっただろうと私は思います。
そうした意味で、村上の小説のファンである私はとても残念に思います。
投稿日時 - 2008-01-26 18:11:46
  • 回答No.7

ベストアンサー率 56% (712/1262)

前に回答したものです。こんにちは。
まずは、回答から。やはり「思わない」それだけです。
これは、いろんな人がいろんな考えを持つものだと思うので、
質問者様が「思う」と思われるのは別に間違ってはいないとおもいます。ただ、「思わない」人のほうが多い、それは
仕方ないでしょうね。
なんだか、中島みゆきさんが、昔のと違う曲を歌うようになって、
ビフォアアフターをきめて、ロック的、メジャー的になったのを
否定されるファンがいる、と語っていたのを思い出しました。
質問者様にはアンダーグラウンドがビフォアアフターの境目なのですね。と、感じたわけです。ちょっと関係ないですが。
筒井康隆さんの小説も「これなら俺も書ける」とおっしゃるかたが
けっこういたりしますが、じゃあ実際かけるかとか、
書いてみたかというと書いてみてないわけなので、
それは実行を伴わない以上「ただ思った」だけなのです。
時間、労力をつかえばひょっとしたら
だれでも出来たかもしれません、それは
みんな考えることかもしれないですが、しかし
あれほどのセールスをあげられるでしょうか?
村上春樹氏はご自分のネームバリューを使ってそれは
(たくさんの人に読んでもらうこと)考えられたとは思いますが、
質問者様が同じ内容のものを出版して、
はたしてどれくらいの人が読むでしょうか。
村上氏をこえる売り上げは難しいでしょう。

これは、個人的な意見ですが、アンダーグラウンドのあとの
作品がつまらなくなったとは思いません。

質問者様は、たぶん、質問したいのではなくてご自分の意見が云いたい、と感じましたが、違いますでしょうか。
回答よりもいつも長いお礼を書かれることや、
常にご自分の主張を述べられて、あまり回答の中身には
感銘や影響は受けられないような気がします。
絶対的に自分の考えを動かすことはなく、
それに共鳴してもらうために投稿している...と感じました。
もしそうなら、質問という形ではなく、ブログとかを
たちあげてご自分の思ったことをかかれたほうがよいかもしれないですね。人の意見を聞くより、ご自分の主張を述べるほうが中心の。
お礼コメント
tukiji

お礼率 100% (47/47)

私は司馬遼太郎のファンでもあります。
その司馬が1986年に「22才の自分への手紙」という発言を始めました。司馬は22才で敗戦を体験して「昔の日本人はまともだったのではないか?それが私が日本史に関心を持つきっかけになった」と発言しました。
私はこの司馬の発言を聞いて驚きました。すなわち、従来の敗戦の原因の考え方は「明治以後の近代化が不十分で日本の後進性を克服できなかったから」というものでしたが、司馬の考え方は「明治以後の近代化の過程で日本の特質が失われたから」という全く正反対の歴史観でした。そして司馬は「昭和前期の日本は非日本的な時代である」ということを証明するために歴史小説を書き始めたと語りました。
司馬作品が「戦後の日本人の日本史に対する自信を回復させた作品」と評される理由は、司馬作品が「第二次大戦の敗戦は日本史の非連続性の結果である」という歴史観の作品だからでしょう。つまり、司馬作品全体が『坂の上の雲』であるわけですが、実際『国盗り物語』『花神』でも昭和前期の日本人との比較を意識して書かれた箇所が見受けられます。

ところが、司馬夫人は司馬の発言は「事実ではない」と語りました。
私は夫人に反論の手紙を書き、事務所の方が謝意の電話を下さいました。
ところが、夫人の方が正しかったのです。

実は、司馬が1986年から始めた発言はウソだったのです。司馬は発言の通りの理由で作品を書いていたのではないのです。
もし、司馬が本当に発言の通りの理由で作品を書いていたならば、司馬の問題意識の核心である昭和前期の日本の非日本化の原因の解明という仕事に着手するはずですが司馬はそれをしなかった。その理由は何か?

恐らく司馬はそれを解明してしまったら自分の仕事がなくなってしまうと恐れたのでしょう。
私が思うに、性急な近代化は人間の大脳を非常に酷使する。近代化社会を構成する情報量は前近代化社会の百倍以上でしょう。
実はこの私の推論は司馬夫人宛の手紙の中で書いたのです。
私でもこのくらいの推論は立てられる。

司馬がしなかった理由は、司馬の創作活動の理由が自己顕示欲とか形而下的なものであったからとしか説明できません。
少なくとも、司馬は形而下的な理由の方を優先させた。

「作家という人種は凡人の理解を超えている」と私はこの司馬の件で思いました。
お答えになっていないかもしれませんが以上です。
投稿日時 - 2008-01-28 00:01:08
  • 回答No.8

ベストアンサー率 0% (0/0)

投稿されてから、かなりな時間が経ちますが失礼します。
まず初めに、私は村上春樹ファンです。

最近になって『アンダーグラウンド』『約束された場所』を読んでいますが、どうしても彼がノーベル賞対策に書いていると思えません。むしろそう思いたくない。
彼の小説の作品上、ノーベル文学賞や我々読者に自分の思いを分かって欲しいという欲求はあまり無いように思います。(完全に無いとは言えません人間ですし。。。)

書きたいから書いた。
うまく言えませんが、「食べたいから食べる。」「眠たいから寝る。」そういう根源的な欲求でこの作品を書いたように思います。
小説家ですし、もしかすると翻訳家っていうのも多少影響があるのではないでしょうか?

あとNo1の方の回答に
「長野県の元知事の言葉とは思えないです」
というのは私も同意見です。どういう経緯があったにせよ知事であった人としてあまりにも軽薄過ぎると思います。
他の人ならともかく、心の中に留めておく内容だと思います。
補足コメント
お礼コメント
tukiji

お礼率 100% (47/47)

ご回答頂きありがとうございます。
田中康夫氏の発言は長野県知事になる前の雑誌での発言です。

私も、shape_1981様が仰る通り、村上春樹は他人に自分の思いを分かって欲しいという欲求はあまりなく、自分が書きたいから書くという根源的な欲求で作品を書いている作家だと感じています。そして『アンダーグラウント』もその例外ではないと私も思います。

ただ、私はその『アンダーグラウンド』を書いた村上の根源的欲求が村上という作家の真の本質であると考えているのです。

幻冬社の見城徹社長は「作家は小説を書くことで辛うじて自殺を免れている。そのくらいでないと作家にはなれない」と言いましたが、私も作家という人種は「書くために書く」という方法以外に作品は書けないと思います。

その一方で、私は作家という人種の根源的欲求は形而上的なものも形而下的なものも常人以上だと思います。

美智子皇后が嫁いだ時に父の正田英三郎氏が「どんなに親しくなってもその人の中にはその人らしくない部分がある。そこに踏み込んではならない」と戒めたそうです。
この言葉の意味は「その人をその人らしくしているものはその人らしいものとは限らない」だと思います。

仏のように心の優しい人とは、虫も殺せない人ではなく普段はとても優しいが非常時には人を殺せる人だと思います。
例えば、果物には中心に種があります。種はその周りに実をつけるために存在するわけですが、種と実が全く違う物質でも不思議はない。

私は作家とは中心に種がある果物みたいな人だと思います。
そして、作家は自分の中心にある種の周りに美味しい実をつける事で精神のバランスを保っている人種だと思います。
そして、村上は『アンダーグラウンド』でそのバランスを崩して美味しい実をつけることに失敗したと私は感じています。なぜ崩したのかはわかりませんが。

私は映画『犬神家の一族』のラストシーンが理解できませんでした。事件を解決した金田一耕助が犬神家の人たちが自分を駅まで見送ると知って一つ前の汽車で逃げるように去っていく。
恐らく金田一は事件解決後に残された最大の謎「金田一耕助とは何者か?」を暴かれるのを恐れたのでしょう。これを暴かれたら今後新しい事件を解決する神通力を失う。
この映画が最後でなく、まだ金田一耕助シリーズに続編があるならこのラストシーン以外ありえないでしょう。
投稿日時 - 2008-04-18 02:00:52
  • 回答No.9

ベストアンサー率 0% (0/0)

No8で以前回答致した者です。
前回の続き、質問者への回答になってしまいますが、申し訳ありません。

さて、本題ですが、
今回の種(tukijiさんの言葉から)はおいしい実をつける為のものでなく、芽を出す為のものだったのではないでしょうか。
種まき。(我々の心の中への被害者62名の種まき)

中立的立場で、日本社会のゆがみの根源を見出したい。読者にも見つけて欲しい。つまり、村上春樹からの一種の問題提起の一つで、そこに村上の欲求があるように思えます。

実(うまみ?)を付けず、リアルな物語(←好ましくない表現ですが)。

しかも、小説でも一貫していますが、最終的な喪失の裏側にある思いの鎮め方は作者からではなく、自分自身で模索する。また、思いやそこからの発展性は個人個人の持ちようにあります。

もちろん作者はおいしい実をつけることも出来たでしょう。しかし、それをしてしまえばメディアと一緒で最初の欲求と矛盾してしまう。また、影響力のある作者は読者の考えが自分と同じ方向を向いてしまうのを避けた。

あくまで中立を保ちたい、今までの既成概念から判断したくない。して欲しくない。純粋な気持ちで何が本当の悪なのか、というのを冷静に判断したかったのではないでしょうか。

もしかすると、きっかけにノーベル賞はあったかもしれない。しかし、それはもはや関係ありません。彼もまた喪失の中で生きている一人の人間です。

もちろん、受賞すれば私としてはうれしいと思います。
しかし、それはゴールではなく一種の通過点、しかもゴールは一生見えない。そういうところに彼は生きているのでしょう。我々もそうです。

だとすると、本当の理由は村上自身に問い掛けてもわからない。

>「その人をその人らしくしているものはその人らしいものとは限らない」だと思います。
というtukijiさんの言葉やこれまでのやりとりで、私なりに解釈するとこの質問の結論は出ないと思います。
もはやtukijiさんの質問は哲学的で、例えば「何のために生きるのか?」という質問とあまり変わりません。

つまり、「本当の理由」を探ろうとするのはナンセンスではないでしょうか。理由は見つかりません。(ただ、「何のために生きるのか」等々の哲学的な答え・理由をお持ちでしたら私の言っている事は間違っているでしょう。)
ただ、tukijiさん自身、質問された時と今とでは何らかの変化があるように思いますが、tukijiさん自身の現状の結論がありましたら教えていただけませんか?
お礼コメント
tukiji

お礼率 100% (47/47)

私の文章を最初から読んで頂き誠にありがとうございます。
shape_1981様が仰る「種まき」という見方は一理あるお考えだと思います。
ただ、私は「好意的に見ればそういう見方も可能かもしれない」とは思いますが、個人的には心から納得はできません。
アンダーグラウンドが出版された時に「なぜ村上はこんな作品を書いたのか?」と疑問に思った人は私だけではないと思います。村上自身の執筆動機の説明を読んでも私の疑問は解消されませんでした。

確かに、shape_1981様が仰るように村上春樹が、たとえどのような理由でアンダーグラウンドを書いても良いと私も思います。
しかし「ノーベル賞欲しさに地下鉄サリン事件の被害者をダシに使った」としたらそれは批判されるべきだと私は思います。

私の現状の結論を申し上げますと、私はアンダーグラウンドを読んで以下の出来事を思い出しました。
1981年にさだまさしが「防人の歌」という反戦歌を発表した時に「なぜ反戦歌が歌われなくなったのか?」というコメントを出し、そのコメントにタモリが「みんな反戦歌を歌うなんて恥かしいと思ったからじゃないか」と激怒しました。

タモリが激怒した理由は、1981年当時すでに反戦歌は時代遅れだった、だから、本当は「なぜさだまさしは反戦歌を歌うのか?」とみんなが疑問に思っているのに、さだは「なぜ他の歌手は反戦歌を歌わないのか?」と「自分ではなく他人の方がおかしい」というような自分の行動を誤魔化す発言をした。それだけならまだしも、昔は反戦歌を歌って今は恥かしいと思っている歌手たちを侮辱した。
その事にタモリは激怒したのだと思います。
さだが時代遅れの反戦歌を歌った本当の理由は、反戦歌が時代を超えて歌われるべきだからではなく、さだ自身の創作の行きづまりとか全く個人的な事情でしょう。

私はアンダーグラウンドもこれと同じような作品だと思うのです。村上の場合はノーベル賞ですが。

でも、私は作家とはそういう人種だと思っていますので、村上の行動は賛成はできませんが理解はできます。
私はもう村上に「アンダーグラウンドの続編」は書かないでほしいのです。
これが私がこの質問を書いた真の動機です。

私は村上の理解者の端くれだと自負しています。
私は村上が本当にトルストイのような作家になりたいのならば、日本人の心配よりも自分自身の心配をしてほしいと思っています。
投稿日時 - 2008-04-23 18:58:55
  • 回答No.10

ベストアンサー率 0% (0/0)

回答の前にまず、わたしの村上春樹に対してのスタンスを書かせていただくと
「全作品の1/4くらいを読んだことがある。
ストーリーに引き込まれるのは毎度のことだけど、
読み終えた感想としてはいつも疑問がついてくるので
好きとも嫌いとも言えない」
というようなところです。
ストーリーテラーとしての力は評価していますが、
その作品が好きか、村上春樹は好きか、というと、まだ
結論が出せないということです。

今回の質問者さんの問題提起ですが、確かに上の質問文を読んだとき
「ええ~村上春樹ってそういうこと考えて本を書くのか」
と単純に驚き、そしてすこしがっかりしました。それは事実です。
でも冷静になって考えると、それが事実だったとしても、私の
この作品への評価ははあまり変わらないということに気付きました。

あるすばらしいボランティア活動(なんでもいいのですが)をしている人がいて、その活動に心を打たれた。でも、その人が活動を始めたきっかけは、実はニートとしての自分に言い訳をつけるためだった、、、ということが判明したとしますね。でも私はその人を、その動機ゆえに、さげずもうとは思いません。

動機が低俗だったり情けなかったり自己中だった場合、どんな偉業を行ってもそれはダメだと言い切れるものでしょうか。それを言い出したら、誰もがみな胸を張れないのではないでしょうか。私も、あなたも、誰でも。

と、まあこれはこれでおいて置きまして、これは村上春樹の「アンダーグラウンド」を、質問者さんが全く評価していないから出てきた問題だとも思えます。質問者さんは村上ファンの一人である。でもアンダーグラウンドにはひどく幻滅していた。そこに、田中康夫さんの指摘が追い討ちをかけて、ものすごく嫌な気持ちになってしまったのではないでしょうか。

でも私は逆です。ほかの村上作品には心の底から感服できないのですが、このアンダーグラウンドはとてもよい作品だと思っています。
だから回答ついでにひとことだけ言わせてください。

質問者さんは、アンダーグラウンドを「他人へのインタビューの録音テープを文字に起しただけの作品」といいましたね。でも、「他人へのインタビューを文字に起こしただけの作品」だからこそ、わたしは意味があると思います。村上さん自身も言っていたと思いますが、生の言葉を集めて、それと、その背景に見えるものから、読者にいろんなことを考えてほしかったのでしょう。今までの多くの報道との違いを出すために、村上さんが考え抜いて編み出した手法だと思います。この手法を真似するのは簡単かもしれませんが、この手法を思いつくのは、おそらく結構たいへんなことだと思います。
この手法をとったことで、shape1981さんが言ったことに近いですが、読者が、「読み取って、考えて、血肉にする」時間を作り出せたのではないでしょうか。

ちなみに私は各人のインタビューを読むことで、サリン事件が「被害者の立場で」どういうふうに起こったのか、会社に属する日本人がどういう人たちであるのか、ということを読み取りました。あと、予想以上の事故が起こったときに、どう行動するのがいいか、というのを深く考え、今後に備えることもできました。また、仕事への向き合い方も考えさせられました(地下鉄で働く社員、アルバイトの仕事ぶりや、被害者たちの仕事への向き合い方から)。また、村上春樹の書いた「あとがき」から、オウムと日本社会との相似点を知り、村上春樹と同じように、ではどこが違うのか??ということを考えたくなりました。

この作品の「あとがき」は、とても秀逸なものだと私は思います。もう一度、この「あとがき」だけでも読んで評価しなおしてほしいなあと身勝手ながら思います。
お礼コメント
tukiji

お礼率 100% (47/47)

「すばらしいボランティア活動をしている人がいてその活動の動機が低俗なものであったことが判明したとしてもその動機ゆえに蔑もうとは思わない」
というyakiniku21様のご意見は全くその通りだと私も思います。

ただ、私は村上の行為はボランティア活動のふりをして被害者を欺いた詐欺行為だったと思うのです。


以下のサイトの指摘は実に的確です。
http://www.venus.dti.ne.jp/~personap/under.htm

(1)後書きとインタビューの遊離が気になる。恐らくインタビューしなくても村上はこの結論を導き出せたに違いない。

(2)「本当に何が起こったのか?」という問いの答えについて後書きでは早々とこう書かれる「でも不思議なことに私が知りたいことは誰も教えてくれなかった」あれだけの労力を払ったインタビューの総論がこれだけに集約されてしまうのは残念だ。

(3)インタビューの手法が間違っていた。筆者の知りたかったことは筆者と被害者が討論でもしない限り得られないものだ。それは多数の人の証言から事件を再構成するという手法とは全く違い、一人に深くコミットメントすることで可能になったはずだ。筆者はコミットメントを避けニュートラルな位置でインタビューを取りまとめたに過ぎない。


なぜ村上はこのような手法を行ったのか?

実は、村上は最初から「本当に何が起こったのか?」などと思ってなかった、
だから村上はこのような手法を行ったのだと思います。

そして、その結果が「でも不思議なことに私が知りたいことは誰も教えてくれなかった」となったのは不思議ではありません。
なぜなら、最初から村上には知りたいことはなかったし、知りたいことがないのに相手と深くコミットメントする必要はないのですから。

もし、村上が後書きだけを書いていたら問題ありません。
しかし、それではノンフィクション作品にならないからインタビューを行ったのでしょう。

前書きの記述は凄いです。

「被害者が後遺症を理由に職場を解雇され二次被害を受けたことを知りどうしてこんな事が起こるのだろう?と驚いた」

これが被害者にインタビューをしようと思ったきっかけだったと書いているのですから。

確かに、後書きは秀逸だと私も思いますし、インタビューにも資料として読む価値があるとしても、被害者はボランティア活動だと思って応じたのですからこの作品は酷すぎると私は思います。
投稿日時 - 2008-11-15 06:23:55
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