- ベストアンサー
1970年前後の時代の空気って?
1970年前後の新宿は文化の発信基地のような役割を担っていたというのは本当でしょうか。 実家で親が買っていたらしい、当時の雑誌などが出てきていろいろと見ていたのですが、 70年前夜から初頭、いろいろな意味でパワーが溢れていた時代だなと思えて、とても興味が湧きました。 60年代も初頭になると、いかにもノスタルジックな感じのものが多く感じられ、いまいちピンとこなかったのですが、 これくらいの時代(それ以降、なのかもしれませんが…)のものは今見ても古さを感じさせず、前衛的なものも沢山あると思います。 ちなみに新宿から出た人物?としては赤塚不二夫、横尾忠則、唐十郎、横尾つながりで寺山修司…詳しくないので引用ですが。 実家の雑誌をみて疑問に思った事。 当時の「フーテン族」「ゲバルト族」は今なにをしているんでしょう。 フーテン族の説明がありましたので引用。「アメリカで当時頂点に達していたヒッピー・ムーブメント、サイケデリック・アートの衝撃が日本にも波及し、それに触発されて新宿にフーテン族がうまれる。…主に精神の解放とヒッピームーブメントのドロップアウト、コンミューンの思想や行動と密接に結びついて社会体制そのものと密接に結びついて大きくきしみあうものにまで発展していった。…」 本格派?のフーテン達はドラッグとして睡眠薬を愛用していたらしい。70年代に入ると「ツーテン」(=通勤フーテン)が増え、「ただのファッションと化していった」らしいですが。 フーテン、を今の若い人にあてはめると何なのでしょう。 あてはめるのは無理にしても、例えばフーテン、「ヤンキー」の様に足をあらったりするものなんでしょうか? 当時俺はフーテンだった!という方はおられますか? 70年前夜に、その時代のムーブメントにどっぷり漬かっていた!という方のお話も伺ってみたいです。暇でしたら解答お願いします。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
関連するQ&A
- 映画のタイトルが知りたいです
映画のタイトルが知りたいです Van McCoy「The Hustle」が映画の中で使われてました。洋画です。 かすかな記憶では、飛行機がたくさん出てきて、爆発シーンが多かったような気がします。 また色っぽいスチュワーデスも出てきたような気がします。 1990~1995年くらい、新宿のパークタワーで、確か、横尾忠則展だったと思いますが、 その展覧会場内で特別上映みたいなものとして見た記憶があります。 当時の印象では70年代くらいの映画だったと思います。 全てあいまいですが、「The Hustle」がかかっていたのは確かです。
- 締切済み
- その他(映画)
- 2000年前後の女性シンガーを思い出せない
どうしても思い出せない英語圏の女性シンガーがいます。ソロ名義です。 わかっているのは ・リリースは2000年前後(2005年以前であることは確実)。復刻ではなく当時の新録盤。おそらく1st。 ・国内盤はポニー・キャニオンから出た ・モデル出身、あるいはモデルと並行しての音楽活動 ・モデルだけあって、スラリとした長身。ケイト・モスを、もっとやわらかく少女っぽくした風貌で、ロング・ヘア(多分ブロンド) ・ジャケットの表面は本人の正面・肩から上のショット、裏面は本人の全身写真で屋外での撮影。青空の下で、何となく黄色が印象に残っています。 ・解説で「ヒッピー・ムーブメント」を引き合いに出してあった ・アルバム内でローリング・ストーンズの「ダンデライオン」をカヴァーしていた CDを所有していましたが、購入後まもなく知人に貸したら、それっきりとなりました・・・ 買い直そうかなと思ったものの、肝心のアーティスト名がどうしても思い出せません。 元々欲しくて探していたのではなく、たまたまCDショップで試聴して、良かったから購入したという経緯なので、アーティストに関する予備知識は無しでした。 ポニー・キャニオンのカタログからは既に落ちているようですし、 ”ダンデライオンのカヴァー”を手掛かりに動画サイトを検索しても、見当たりませんでした。 名前を忘れちゃうくらいだからこだわることもないかと思うのですが、どうにも気になっています。
- ベストアンサー
- 海外アーティスト
- 忘れえぬ昭和の雑誌とあなたの思い出
インターネットもメールもない昭和の時代。テレビもラジオもさることながら、一番の情報メディアは雑誌でした。 娯楽としてのマンガ雑誌の存在は言うに及ばず、芸能誌、グラフ雑誌、オピニオン誌、ファッション誌、文芸誌、そののちライフスタイル誌、カタログ誌など。友人の部屋を訪ねるとそこにある雑誌でその人の人となりがわかったりしたものです。映画好きはスクリーン、キネマ旬報。鉄道マニアは鉄道ファン・鉄道マガジンなど CGなどの自動車雑誌。そして平凡パンチ、週刊プレイボーイ、その後のポパイ、ホッドッグエキスプレス、各種ファッション誌。 さて、雑誌の百花繚乱ともいえる昭和の時代をふりかえって、あなたにとって最も印象に残っている雑誌を教えてください。 私は、「平凡パンチ」 東京オリンピックの開かれた1964年の創刊当時は私はまだ小学校5年生で、友達の家でお兄ちゃんが買ってきた平凡パンチの篠山紀信のグラビアや野坂昭如の過激なエッセイをまるで見てはいけないものを(たしかに小学生は見ないほうがいい)みたような興奮状態で体験したものです。 この雑誌が清水達夫・木滑良久・甘糟章・石川次郎・赤木洋一などの歴代編集長、や長澤節、堀内誠一 横尾忠則などの錚々たる社外スタッフが支えていたのはあとから知ることですが。
- ベストアンサー
- アンケート
- 1950年代のアメリカのティーンエイジャーが彼らの親の世代よりも人種統
1950年代のアメリカのティーンエイジャーが彼らの親の世代よりも人種統合に寛容であったことを今、レポートに書いています。なにか引用を出したいのですが、なかなかよい資料が見つかりません。たとえば、当時の雑誌とか、世論調査などがあったら使いたいです。 どなたかご存知の方がいらっしゃったら教えてください!
- ベストアンサー
- 歴史
- 「ポケベル」にまつわる思い出を教えてください!
「ポケベル」にまつわる思い出を教えてください! 二十年ほど前の1990年代初頭に 「ポケベル」が流行っていました。 当時私はまだ小学生でした。 その時代に二十代前後だった方へお伺いします。 「ポケベル」にまつわる思い出を教えてください。
- ベストアンサー
- アンケート
- ラルクとオケバン
90年代初頭のV系(オケバン)を聞いていた人の意見が聞きたいです。 昨日、十年ぶりぐらいになんとなくラルクのTierraを聞きました。 V系を詳しく知っている人ならラルクは当時黒を基調とした退廃的なバンドが多数の中に幻想的で淡い透明なイメージでV系の中の白系バンドに影響を与えたということは周知だと思います。 本当に今更過ぎですがラルクを本気でV系じゃないと思ってる人についてどう思いますか? ただここで言うV系とはあの当時V系というジャンルはなかったからということではありません。 XがV系を作ってその傘下にいたルナシー等をV系と呼ぶ、Xにレーベルに入るように促された黒夢とラルクはそれを断った、だから彼らはV系ではない。こういうのも理屈としてはわかるので、こういったことでもありません。(スギゾーはV系という言葉に否定的ですが) 聞きたいのはラルクは確実に今で言うV系というジャンルの元祖でそういったバンド達と共演して現在に至るわけですが、そういったことを無視して最初からV系じゃないと言っている人についてあの当時のバンドを知っている方がどう思っているかが知りたいです。 ラルクはBzやミスチルと一緒、さらに笑ってしまったのが、パンクロックとか言ってる人もいます。 hydeの顔が綺麗だからV系に間違われるとか、こういうのも笑ってしまいます。 当時のV系と呼ばれていた人達のムーブメントを知らなくても本当にラルクが好きで時代背景も掘り下げればこんな風な考えには普通至らないでしょう。 HONEYぐらいのラルクから入った人達は大概こんな感じがします。 ラルクがV系という意識でやってなかったというのもわかります。 確かにあの時代にV系という言葉はありませんでした。 あの当時のバンドはバウハウス、ミッション、キュアーなんかのポジパンや80年代メタル、グラムなんかに影響受けてて、でもそれはラルクに限ったことではなく、BUCK-TICKや黒夢やPlasticteeなんかも(ていうか90年代のバンドほとんど)V系という意識でやってたわけではないですよね。 テツヤはV系という言葉の後付けを嫌ってるというのはわかりますが、これもまたあの当時のバンド全体に言えることだと思います。 でもラルクが後にV系と呼ばれた人達と同じムーブメントにいたのは事実だし、そのムーブメントにいながらV系じゃないというのはいくらなんでも無理があると思うし自分はラルクはV系という言葉がなかった時代のV系の元祖だと思っています。 ただこれについては先程例を挙げたBUCK-TICKや黒夢やPlasticteeなんかも該当すると思います。 こういった時代背景を無視してラルクはV系のムーブメントにいない、最初からV系じゃないと言ってる人達についてどう思いますか? あの時代が好きだった自分は結構不愉快です。 現実的にこういった人達は多数いると思うので。 文章が乱雑でごめんなさい。
- 締切済み
- 国内アーティスト
- 【民営化25年】国鉄時代の思い出を教えてください!
当方は、1980年代初頭に生まれながら、 一度も旧日本国有鉄道を利用することなく、 五歳だった1987年4月1日に、 国鉄分割民営化を迎えてしまいました。 とても悔やまれます。 今年2012年4月1日、JRは発足25周年(四半世紀)を迎えます。 そこで旧国鉄(公社)時代の思い出を聞かせてください。 (1949年6月1日~1987年3月31日) 【1】 現在の駅の雰囲気との違いを教えてください。 (特に、東京駅、新宿駅、札幌駅、名古屋駅、新大阪駅。) 【2】 特に、鉄道公安室関連の思い出は歓迎です。 公共企業体職員(ほぼ国家公務員と同等)という身分であった 旧日本国有鉄道の職員の一部は、 司法警察権を持っていました。 (鉄道公安職員、駅長、助役、専務車掌など。) 現在のようにイチイチ警察を呼ばなくても、 自分達で国鉄敷地内の犯罪を検挙できました。 ※柔道の達人であった当方の旧友のオジサンは、 駅で因縁を付けてきた暴力団連中をフルボッコにして、 傷害容疑で鉄道公安室にパクられた。w (その後、警視庁へ引致された・・・。) 【3】 国鉄時代のキヨスクの思い出も歓迎です。 (当時は国鉄外郭団体の鉄道弘済会が直営。) どんなお店でしたか? ※分割民営化した現在では、キヨスクもJRと同様に分社化し、 同じ東京駅でも、 東海道新幹線(JR東海)の店は「キヨスク」、 他の新幹線と在来線(JR東日本)の店は「キオスク」と、 名前がバラバラになっている。 JR東日本傘下のKIOSKは、 2007年に原語読みに近い「キオスク」に変更したが、 JR東海傘下の東海キヨスクは、「キヨスク」のまま。 東海キヨスクは、自社のマスコットキャラ、 「キヨ子ちゃん」「キヨ美ちゃん」がいるので、 今さら「キオスク」には変更出来ないだろうな・・・。 (≧∇≦)(≧∇≦)(≧∇≦)(≧∇≦)
- ベストアンサー
- アンケート
- ヒッピー(米国)といえば?
あなたは何を思い浮かべますか? また彼ら彼女らに対し、どんな感情を持っていますか? 1960~70年代に日本で学生運動をした連中も、 米国のヒッピーも、現在20代の私は基本的には嫌いです。 特に日本の左翼エリート学生連中は その後の世代の若者(雇用慣行)に悪影響を残したから。 でも単なる理想文化としては、 ヒッピーは居心地はよかったのでしょうね。 当時の米国に住んでいた方とお話できました。 日本でも放映されたあのドラマの、あの時代そのものに、 米国で暮らしていた方のようです。 http://okwave.jp/qa/q5998003.html
- ベストアンサー
- アンケート
- 米国ドラマ『素晴らしき日々』~好きなシーンは?
NHK海外ドラマ(アメリカ合衆国) 『素晴らしき日々』〔原:The Wonder Years〕 についてのアンケートです。 思い出に残るシーン、自分と重なって見えるシーン、 懐かしく感じるシーンなど、色々と教えてください。 *** 【ドラマ概要】 時代背景は、1968~1973年の米国。 ヒッピームーブメントやら、ウッドストックのコンサートやら、 ベトナム戦争やら、ニクソン大統領の選挙など、 色々とあった時代。 20年後の1988~1993年(=米国放送期間)に、 大人になった主人公ケビンが、 ティーンエイジャー(12~17歳)の日々を ナレーション付きで振り返るという設定。 (いつの間にか、あれから更にまた20年が・・・。) 舞台は“どこにでもあるような”米国の架空の町と思われる。 ニューヨークのカウントダウン生中継を見ながら、 ケビンが恋人とキスをするシーンがある事から、 ニューヨークと時差のない米東岸かも知れないが、 作者にそういう意図があったとは思えない。 *** 日本では少し遅れて放送され、 1997年度の再放送(後半のみ)が最後。 当時は当方もケビンと同じ年頃で、 今でもビデオテープを大切に保管してある。 1980年代の初頭生まれで、日付変更線も超えた経験のない当方は、 昔も今も現実の米国を全く知らず、 メディアを通して見ただけ。 なのに不思議とドラマを見ると懐かしい気分になる。 笑えるのは、大人になったケビン(回想)の声が、 なんと現在の千葉県知事であること。 当時はあの声の主が千葉県知事になるとは、 夢にも思っていなかった。w 個人的にヒッピーは苦手だけどドラマは好き。 なお、このドラマの主題歌は、 1968年に収録されたジョー・コッカーのこの歌。 Woodstock: Joe Cocker - With A Little Help From My Friends - Misheard Lyrics http://www.youtube.com/watch?v=3xJWxPE8G2c このYouTube映像は、翌年1969年のウッドストックのコンサート。 (パロディ製作者が編集。ホントはもっと長い。) 〔注〕これを見るとドラマが興ざめするかも。 オイラも初めて見つけた時にコーヒー吹いた。ww
- ベストアンサー
- アンケート
- ミュージシャングループの復活
大事マンブラザーズや他のグループなど90年代初頭に活躍されていた人たちが復活するようですがこれも時代の流れでしょうか?今日のような不景気なご時世になって「ファイト!」って感じの歌を売り出すのでしょうか?あの当時はそういった歌が多くよし、頑張るぞ!って気持ちになったものですね。
- ベストアンサー
- 国内アーティスト
- PCからの印刷中に待機状態となって出力できなくなりました。
- 印刷トラブルの解決方法について相談したいです。
- お使いのブラザー製品でPCからの印刷ができなくなったため、サポートが必要です。
お礼
60年代後半というのは、時代としての転換期でもあったのでしょうね。 その時代の空気を体現していたような場所にいらした皆さんが、何かとても貴重な一瞬を過ごされていたように感じます。 だいたい、ジャズ喫茶、名店喫茶なんてものも今はないわけですし…カフェブームはまだ続いてますが。「喫茶店」というものの意味合いも、この30数年で随分変わったのですね。 >60年前半からフーテン系や全学連っぽいのが出入りし始めマイナス感も出てオーナーが閉店 オーナーが望んで集まってきていたわけではなかったのですね。少し意外。 喫茶店によって集まる人の種類も違ったなんて、当時の喫茶店には一体どんな魅力があったのだろう… 貴重なお話ありがとうございます。