ドイツ軍の第2装甲軍について質問です。
第二次大戦中のドイツ軍第2装甲軍について質問です。
当該軍は1941年バルバロッサ作戦時中央軍集団隷下において第2装甲集団として編成、
1941年10月に装甲軍に改編されたものと承知しております。
そしてその後1942年にバルカン半島に送られ、1943年F軍集団として再び改編され引き続きバルカン半島で活動したとウィキペディアに記載されています。
しかし、1943年7月のドイツ軍によるツィタデレ作戦(クルスクの戦い)時には
中央軍集団に属しモーデル将軍の第9軍左翼に陣取っていると各種資料の地図で確認できます。
さらにウィキペディアのクルスクの戦いのページにある部隊配置地図では
指揮官部分に"SHIMIDT"と記載、おそらくルドルフ・シュミット上級大将のことでしょうが
彼は1943年4月に第2装甲軍司令官を更迭されているはずです。
クルスクの戦いの起こった7月に彼が指揮官なのは時系列が合いません。
F軍集団の編成はウィキペディアでは8月12日とありますが、
第2装甲軍が参加していたはずのクルスクの戦いは8月22日まで続いたはずです。
ウィキペディアの情報をそのままたどると、
第2装甲軍は1941年バルバロッサ作戦においてモスクワに向けて進撃し
その後1942年にははるか1500km南方のバルカン半島に派遣、
さらに1943年夏に再び1500km北でクルスクの戦いに参加し、
激戦のさなかもう一度1500km南下してバルカン半島に戻ってきたということでしょうか?
いくらなんでもむちゃくちゃすぎると思うのですが、これは事実ですか?
それともウィキペディアの情報が間違っているのでしょうか。
お礼
いやぁそうなんですか!長年の疑問が晴れました。後に7,8軍はできましたっけ?