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日本の古代都市の城壁

noname#118466の回答

noname#118466
noname#118466
回答No.3

西洋と日本古代の一番の差は、外敵の種類ではないでしょうか。即ち、飛鳥時代以降の日本の館は(今日いうところのお城は古代には存在せず、14世紀以降です。)異民族を想定した防御ではなく、同族の反乱に備えたものと思われます。西洋でも 時代が下れば同族の争いも盛んになりますが、ローマ、ギリシャ、中国などの古代城砦都市は異民族の襲撃に備えて作られていたようです。もう一点考慮すべきは 攻める側の武器の発達と馬の関係もあるかも知れません。騎乗の異民族が、いつどこから攻め込んでくるか分からない時代にあっては、普段から城壁に囲まれた居住地が必要とされたのでしょう。その点日本では周囲の海が城壁の役を果たしたと思われます。

pepsi5000
質問者

お礼

ありがとうございました。島国の日本では突然騎馬民族が襲ってくるなんてことはないですよね。大変参考になりました。

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