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先日、古い大河ドラマのビデオ見てふと思いました。 背景は、秀吉が太閤時代です。 部屋で前田利家と秀吉の妻おねが二人で話をしてました。 そこに徳川家康が入ってきて、おねが上座に座ってましたけど その席を家康に譲りました。 太閤殿下の妻であるおねよりも家康の方が偉いということでしょうか?
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秀吉の在世中の位階は 北政所(おね) 従一位【1588年】 家康 従二位【1587年】正二位【1596年】 です。(秀吉の死は1598年) No1さんが言われるように、位階では北政所が家康を上回っていますので、「公式の場」では、北政所が家康より上座に着いたのは間違いありません。 ただ、質問者様が指摘されたような「部屋で前田利家と秀吉の妻おねが二人で話をしてました」という、公式でない場ではどうでしょうか。 その場合、 「天下人たる秀吉も一目置く男。妹を嫁入らせ、母を人質に送って上洛と臣従を実現させねばならなかった男。秀吉の旧主である信長の唯一の同盟者であった男」 である家康に、北政所が「徳川殿、良く来られました」と上座(秀吉に近い座)を譲るのは、私にはごく自然なことに思えますが。 そもそも、家康が秀吉夫妻の居間を訪ねたのは、秀吉と内輪の話をしたいからです。北政所が上座にいては内輪の話をしにくくて困ります。賢明な人であったとされる北政所が、「非公式の場」で位階に拘って内輪の話の邪魔をするとは思えません。 実際問題としては、「公式でない場での席次」などは記録に残りようがないので立証は不可能ですが、当該大河ドラマの時代考証はおかしくないと思います。 なお、この場合、家康は一度は「自分より位階が上の北政所『様』(おね『様』)に座を譲られるのは恐れ多い」と遠慮して見せないといけません。その演出もあれば完璧です。
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百姓が関白になった時点で想像以上に複雑な構図なんです。 藤原前久の猶予となり、関白職を頂いた後、 藤原前久の娘前子を入内させた結果、 秀吉は天皇の義理の兄弟と名目上はなります。 結果的には、おねは、天皇の兄弟の嫁と言う立場になります。 でなければ従一位は授かる事は難しい物です。 ここで、身分の決定的な違いが生じます。 席を立つのは分かりますが、上座を譲ってすんなり行く物とも思えないのが実情です。 従一位はもらった物で、従二位は実力の物ですから遠慮無くとは言っても、「そうですか」とすんなりとは行かない家柄と格式があります。 官位の皮肉にも受け止められます。 また、座れば実際には関白でなく百姓だと思っている内心を見られてしまいます。 軍略的にもこの上座はまず頂けない物です。 元百姓、1武将。ここは頂かない「得が多い」です。 また、敵をすんなり旦那様に近づけるのも疑問が生じます。 相当気の強い所があったらしいです。 おねに対してのイメージは、創作の部分が多いと思います。 また、徳川、伊達、北条連合軍とと豊臣軍の数は互角。 一角を崩して勝つ。 とは秀吉の知略でもあります。 伊達は母親に毒を盛られ、北条は見ての通りです。 その後、関東八州へ改易させていますので、 史実や資料に記載の無い小説家の創作部分より、 実際には秀吉は家康をどう見ていたのか? こう言う部分に興味があります。
前田利家も、家康も秀吉に臣下の礼をした家来です。 でも、おねの家来ではありませんね。 官位的には、天正15年、家康は従二位権大納言に任命されています。 おねは従三位です。 でも、すぐに従一位になってしまいます。 家康が従一位になるのは関ヶ原以降なんで、怪しい時代考証とも受け止められます。 太閤時代なら、おねは従一位(女性としては最高の官位) 女性の頂点に立っています。 おねが譲ったとて、身分の低い家康が卑しく上座に座れるのかどうかがまず疑問です。 専門家様の意見と食い違うとは思いますが、 時代考証を研究すべきで、完璧に間違っていると「思います。」