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どうしてH19/10/24は水曜日なのか?

「法律」のカテゴリーにするかどうかで迷ったのですが、とりあえず「天文学」で質問してみます。 暦について、明治6年に改暦が実施され、1年を365日とし、4年に一度閏年とし、大の月・小の月のほか、明治5年12月3日(旧暦)をもって明治6年1月1日とするなど、「日付」に関する法的な定義は存在し、現在も有効です。 ・改暦ノ布告(明治5年太政官布告第337号) ・閏年ニ関スル件(明治31年勅令第90号) しかし、「曜日」について、法的な定義はあるのでしょうか? 要するに、「H19/10/24」が「H19/10/24」であることは、遡っていくと、法的に説明できますが、この日が「水曜日」であるということについて、法的根拠はあるのでしょうか?

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  • DIooggooID
  • ベストアンサー率27% (1730/6405)
回答No.1

的がはずれているかもしれませんが。 http://www.jisc.go.jp/app/pager?id=113355 JISX0301 4.3.2.2 項で、「2000年1月1日を土曜日とする」と定義しています。

gootaroh
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございました。さすがJISですね。定義がしっかりしています。参考になりました。

その他の回答 (4)

  • Meowth
  • ベストアンサー率35% (130/362)
回答No.5

新しいものが正しいなら 「2000年1月1日を土曜日とする」 が一番新しく だだしのでは。 グレゴリオ暦が決まる前から ユリウス暦で曜日は決まっていたので 法的根拠はずっと昔になります。

gootaroh
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >グレゴリオ暦が決まる前からユリウス暦で曜日は決まっていたので、法的根拠はずっと昔になります。 ・う~ん、この「法的根拠」というのは、多分当時の外国のものでしょうから、日本の法令ではないでしょうね。やはりJISしかないか。参考になりました。

noname#58790
noname#58790
回答No.4

曜日はグレゴリオ暦の一部であり、切り離して論議する必要がありません。グレゴリオ暦で定められているからです。 グレゴリオ暦の定義内です。 改暦ノ布告 ユリウス暦を導入します。 断言するのは勝手ですが、これを、法的根拠と断言するのは問題があります。 これは法的根拠ではありません。主張と言います。 なぜならば、閏年ニ関スル件は不必要な条項となり、矛盾してしまいます。 改暦ノ布告の目的は、世界の標準な暦を取り入れるのが目的なのではないでしょうか? 上手く行かなかったので閏年ニ関スル件で修正を加えます。 既に出来上がったグレゴリオ暦を導入した。 この時点で曜日は決定されます。 また、グレゴリオ暦を導入している国家は、全て同じ曜日になります。

gootaroh
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >曜日はグレゴリオ暦の一部であり、切り離して論議する必要がありません。グレゴリオ暦で定められているからです。グレゴリオ暦の定義内です。 ・そうなんでしょうが、法令上では、そのグレゴリオ暦とはいったいどんなルールなのか、というのを規定する必要があります。 「改暦ノ布告」は、そのルールを説明しているものですが、そこには「曜日」の規定がなかったので、質問しました。 「閏年ニ関スル件」は「改暦ノ布告」には「西暦の年が100で割り切れてかつ400で割り切れない年は閏年としない」というルールが脱落していたことが判明し、その不備を補うため追加されたもので、この二つの法令をセットにして、現在日本における公式暦が決められています。 十干十二支も定義はありませんが、他の法令において十干十二支が影響するものはありませんので、特段不自由はありません。 しかし、「曜日」は他の法令で出てくるのですが、曜日を定義する法令が見当たらないのではないか、と思ったわけです。 >既に出来上がったグレゴリオ暦を導入した。この時点で曜日は決定されます。 ・法令上のどこにそのような規定があるのかを質問しました。 >これは法的根拠ではありません。主張と言います。 ・ん?ごめんなさい。ちょっと意味がよく分かりませんでした。

  • Meowth
  • ベストアンサー率35% (130/362)
回答No.3

Wikiでは 1582年2月24日に発布され、同年10月4日(木曜)の翌日を10月15日(金曜)とすることが決定した。 でグレゴリオ暦で曜日が決まりましたが、各国でのグレゴリオ暦の採用時期は いろいろです。 しかし、上でユリウス暦の木曜の次が金曜となっているように 曜日は継承されています。 すなわち、ユリウス暦からグレゴリウス暦への移行では曜日は変わらなかったことになります。 結局 ユダヤ教 ヘブライのころまでさかのぼってきまっていたことになります。 ヘブライ(イスラエル人)は7日刻みで安息日を決めずっと繰り返してきたので、間違えようがなく、BC数100年までもどるのではと思います。

gootaroh
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。曜日は十干十二支と同じく、どんなに改暦されても永久不変なんですね。参考になりました。

noname#64531
noname#64531
回答No.2

>「曜日」について、法的な定義はあるのでしょうか? 法律を「曜日」で検索すると、33法がヒットしました。 国会、政府、裁判所、銀行の休日として「日曜日」があげられたり 国民の祝日に第○月曜日とか。 そうなると日月火水…は、グレゴリオ暦やらなんやら 西欧の暦法が、明治に移植された慣習と言うことでしょう。

gootaroh
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。そうなんですよね。個別の法令では「日曜日の場合はどうする」などの規定はあるのですが、肝心の曜日の決め方については、探してもみつからないのです。やはり慣習なんですかね。

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