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共依存とは?役割と特性について
- 共依存について教えて下さい。共依存についてですが、私が日常生活で見るかぎり、人に甘えて依存する人と、依存されて人に振り回されている人という役割が常にできているように感じます。
- 人に甘えて依存する人は、相手が変わっても常に誰かに依存し、他人から依存されて振り回されている人は、相手が変わっても常に誰かに振り回されているように感じました。
- 共依存の特性や対人関係について、私が不思議に思っている性質が共依存の特性ではなく、相手が話す趣旨をきちんと聞いたり受け止めることができなかったり&対処できない人の特性は、どんな心理や生育環境から生じたものなのかを知りたいです。
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「依存」は別の見方をすれば「逃避」じゃないでしょうか。 依存の根底には不安や恐怖からの逃避があるのではないでしょうか。 もし、恋人に依存する人がいれば、その人は同時に相手に依存されることを望むのではないでしょうか。 なぜなら孤独が依存の原因だからです。 そして希望の相手を見つけて共にに依存しあう。 そういう意味では同じ穴の狢であり、共依存といえるかもしれません。
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- noname002
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No.3です。 >すんなりと理解できず ということですので私も、ちょっと考えていたんですが No.4様やNo.5様へのお礼欄を拝見しますと、御社受付のかたたちには >会社へ訪ねてきた人以外でも、ビル1階に受付がある以上、道を聞く人もいるし携帯の充電が切れた人がビル内にある公衆電話の場所を聞く人もいる。ビル内のトイレの場所を聞く人もいる。 …なるほど、直接の業務以外の事も、こまごま入ってくるわけですね。しかし一つひとつの事は他愛もない事なので、ちょっとガマンして対応してあげることで、よほどスムーズに早く処理できるのですよね? ところが、くだんの警官といい、どうも彼ら彼女らは被害意識めいていて、少しの余裕あるところがみえない、それは何故なのかという御相談だったのでしょうか。 前回の投稿でも申し上げましたが、どんな業務でも、ウンザリしてしまうような事は何かしら付きものだと思いますが、何事にもあまりに融通がきかないというのは、やはり精神的にゆとりが欠けているからではないかということは言えると思います。 しかし、それは御社受付の派遣社員のかたたちに限らず、いまの社会全体に蔓延している風潮であるとも言えるのかもしれません。 また、とくに派遣社員というのは正社員と違い、最初から業務内容の範囲がハッキリ明示されているのが普通のようですから、御社の直接の業務外の事で何度もコマゴマ手間を取らされるということに納得行かないという気持ちもあるのではないかと思えます。 こうした状態が、これまで頻繁にみられていたようでしたら、このへんで派遣社員の受付業務に関し、改めて彼女たちの言い分も聞き、そのうえで何らかのくふうや実際的な対策を講じる必要があるかもしれませんね。心理的な対策として云々よりも、そちらを先に進めたほうが現実的かもしれないです。 或いは、これから先、受付業務を担当してもらう派遣社員を配置するにあたっては、事前に、御社の直接業務以外にも、コレコレこうした状態になるであろうが、それも業務のうちに入るというくらいの心構えで当たってもらいたい、受付の印象は世間の我が社への印象に直結するものであるから、といったぐあいに最初期の段階で申し渡し、納得させておくことだと思います。 それから、依存心が強いということが確かに観察されますなら、依存心が強い人が、自分に依存的に接してくる人に対し激しく反発するというのは 「投影」 (自分の好ましくない感情や性質を他人の性質にしてしまう投射) 作用が働いているとも考えられます。
お礼
複数回もご意見をお聞かせくださり、ありがとうございます。 >事前に、御社の直接業務以外にも、コレコレこうした状態になる >であろうが、それも業務のうちに入るというくらいの心構えで >当たってもらいたい、受付の印象は世間の我が社への印象に直結 >するものであるから、といったぐあいに最初期の段階で申し渡し、 >納得させておくことだと思います。 (1)派遣会社が求人をだして応募があった時点で、 派遣会社のコーディネーターか営業から説明してもらい、 (2)弊社での面談の席でも説明&派遣さんの意識確認をし、 (3)就業初日も、再度、説明&派遣さんの意識確認をしています。 >改めて彼女たちの言い分も聞き、そのうえで何らかのくふうや >実際的な対策を講じる必要があるかもしれませんね。 これも何度も行ってのことです。 近くの駅まで、頻繁に聞かれる事象については、 ルートが書いてある地図を用意し、手渡しできるようにしていますし、 ビル内についても、地図を用意し、説明が容易な準備もしてあります。 様々な御話を伺う機会の中で、 社内に密接する付随業務以外が、「うざい」と言うようになりました。 また、「子供の頃から、何でも人に聞けば良いという人たちが嫌いで、 意地悪して、嘘をいって、教えたことを素直に信じる方がおかしいという現実を教えてやったことがある」 あるいは、「何でも人を当てにして聞く同級生を苛めたことがある」という体験談が大多数から聞くことになりました。 また彼女らの依存癖というのも見聞きしております。 同様に、ある警官の方とコンビニで遭ったときなどに世間話をした際、 やはり同様の子供時代から感じる話を聞き、甘いものを手放せない状態のご様子なので、似たようなタイプだなと考えるようになりました。 それで、noname002さまがご指摘くださる【精神的にゆとりが欠けているから】とは思えずにいて、質問を続けていました。 >「投影」 少し調べてみます。新しい視点をご指摘頂き、ありがとうございます。
- precog
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No.1です。 回答しようと思って共依存関係を色々見てたんですが、エセ科学ですね。攻撃的/批判的で、ある特定の性格や価値観を否定するものでしかないです。あんまりまともに受け取らないほうがいいと思いますが、、、 これを勉強しても、ラベリングにしかならないし、狭小な偏見を助長するだけのように思います。偏見は争いしか生みません。 態度が悪い警官に対して「おまえは育ちが悪いのだ。お前の親は病気だ。」と言ってみたところでなんの解決にもならないのは明白です。
お礼
>ラベリングにしかならないし、狭小な偏見を助長 >態度が悪い警官に対して >「おまえは育ちが悪いのだ。お前の親は病気だ。」 ラベリングをするためではないですよ。 ちなみに、勉強会をするのは弊社の受付担当の派遣社員さんたちです。 派遣さんたちの依存症の内容は書いていないですが どうも、話が聞けない習性のある人たちの共通点のように感じたので ココで聞いているだけです。 警察官へ文句を言うためではなく、 仕事で受け付けに来た方の御話を聞く姿勢を取り戻すため、 彼女らの心の憂さなのか感情の整理なのかを したほうがイイかなと思っているのです。 会社へ訪ねてきた人以外でも、ビル1階に受付がある以上、 道を聞く人もいるし 携帯の充電が切れた人が、ビル内にある公衆電話の場所を 聞く人もいる。 ビル内のトイレの場所を聞く人もいる。 弊社内の誰かを訪ねてきたという業務以外の 受付としての業務が発生したとき、 来客者の話をきいてるとムカムカするといって聞けない。 そういうのは受付の仕事でなく、産業カウンセラーや 庶務・衛生委員を呼び出して対応させれば良い。 という発想では困るんですね。 そのために、どうして人に甘えて依存する傾向にある人が 話が聞けないのか?ということが分かる心理の専門家がいれば 教えて欲しいなと思って質問しています。 彼女らだって、今のままでは、心が苦しいだろうなと思うからです。 でも、どうして話が聞けないのか? 幼少期の影響(アダルトチルドレン)の部分もあるのでしょうが、 そういう風に話を聞くことに酷く抵抗する心持ちで 育ってしまった背景みたいなものから解きほぐさないと 人の心って、本当の意味で変化を受け入れない。 だからココで教えて欲しいなと思って質問しました。 ラベリングだ、偏見だとご意見を仰られていますが、 そういう価値観がないので、逆に仰ってる意味が分かりません。 precogさんは経験者とのことですが、心理の専門家ではないのですか?
- noname002
- ベストアンサー率36% (97/264)
リンク先の御質問に参加させていただきまして、再度の御要望に応えるつもりをしていたのですが、昨日は時間のつごうがつかないままに締め切られておりましたので、こちらの御質問のほうにて改めて参加させていただきます。 まず誤解があってはいけませんので、お断りを申し述べておきますが私は心理学の専門書等、殆んど読んだことはなく、もっぱら自分の実体験をもとに考察した意見を申し上げているに過ぎません。ですから今回の投稿も飽くまで御参考の一端に留め置きください。 さて先回の御質問で挙がった「共依存」というコトバですが、これは、くだんの警官が該当するということで述べたものではありません。飽くまでも >人や物に依存する習性のある人は他人から依存されることを激しい拒絶をする傾向があるのでしょうか? >依存してくる人に、ある程度の対応ができる人は依存傾向が高いのですか?あるいは依存傾向が少ないのでしょうか? このお尋ねに対して申し上げたことです。 確かに「共依存」関係においては表面上、仰るとおりハッキリと「役割ができている」かのように見えますが、実は依存されるほうの役割を演じている側も、「依存される」ということに依存しているわけです。 その意味では依存する側も依存することによって相手の「依存されることに依存する」手伝いをしているわけで、両者の役割は底のほうで錯綜しております。 「共依存」というものには、根底に自己評価の低さというものがあり、そのため他者に認められることで満足を得ようとして自己犠牲的な献身を強迫的なまでに行う傾向があるということ(その「献身」が相手のためになるということではない)、その評価や好意を得たいという欲求のために、その欲求を向ける相手をコントロールしようとして策略的つまり利用しようとしたり自己中心的になる、そうした関係性から離脱できなくなるということですね。 ですから「共依存症」の人には根底に他者をコントロール、操作したいという欲求が隠れているものと見受けられます。 ところで私が不思議に思ったのは >今回のトラブルで不思議に思ったのは、交番の警察官も弊社の受付さんも「財布を落として困ったので、どこに相談に行ったら良いか?」 という趣旨で相談をしてくる方のお話が聞けず、他人の話が聞けないゆえにトラブルが大きくなることです。 >話の聞けない方の傾向として「感情や気持ちを表す言葉を話さず、事実だけ話せ!」と話し手に求めます。 そして「なんで、そんなことになった」と、話し手を非難します。 その後「話を聞かされて迷惑だ」と話し手を怒鳴りつけます。 「事実だけ話せ」というのは、「財布を落として困った」このことが、すでに事実として話されていることですよね? どうやら御質問で本当に仰りたかったことは、或るトラブルに直面した人の、「困った」という気持ち、感情に対応する姿勢が全く見られないのは何故なのか、ということのようですね。 前回の御質問では「財布を落とした」事自体に、まともに対応しようとしない警官の姿勢を問題にしておられるものと受け止めておりました。 そこで、「甘い食べ物に依存している」らしい、くだんの警官ですが、前回の御質問においても、そのあたりのことに少し触れましたが、食物というものは、一方的に食べるもの、つまり「完全な支配下に置けるもの」です。 くだんの警官の場合で考えると、容易に自分の支配下に置くことができない対象、逆に自分が相手の要求(この御質問で言いますと、老婦人のトラブルに関する困惑の心情に耳を傾けること)を受け入れなければならない立場に立たされるような相手は拒絶の対象になる、ということになりましょうか。 要するに自分の依存のために利用することができない相手はメリットが望めないので拒む、ということです。 ですから、こうした人物にとって >人に甘えて依存する人が、他人の相談にのれるのか?人の話を聞けるのか? 人を受け入れたり満たしてあげたり、人を尊重できるような対人関係を行えるだけの大らかさがあるのかな? これが難しいことは容易に想像できますでしょう。 自分のことが精一杯で、人をまるごと受け入れて、めんどうをみる余裕などはないということだと思います。 >★あるいは私が不思議に思っている性質が共依存の特性ではなく、相手が話す趣旨をきちんと聞いたり受け止めることができなかったり&対処できない人の特性は、どんな心理や生育環境から生じたものなのか もちろん、御質問で挙げられた警官の場合に「共依存症」が当てはまらないであろうのは先に申し上げたとおりです。 相手の話、それも自分が必ずしも対応するべき事柄でない内容のものとか関心のない内容、ましてやハッキリと聞きたくもない、という拒絶感を催すような内容の話を、心身ともに余裕のない人が、受け止めることも対処もしようとしないのは至極当たり前のことかと思います。 ただ、その余裕のなさが何に由来しているかは、これは各人の背景により様々ですし、当人の背景に関する情報を持っていない第三者が見当をつけようとしても無理なことです。遺伝的なものかもしれないし性格的なものかもしれないし、何かのトラブルを抱えているためかもしれないです。 極端な話、トイレに行きたくて焦っている人に他人の悩み相談に落ち着いて耳を傾けよ、と言っても無理ですものね。この「トイレに行きたくて焦っている」ことに該当する事柄が何であるか、それを第三者が見当をつけるのは難しいということです。もしかしたら本人自身にだって分かっていないかもしれません。 ただ辛うじて言えるとしたら、当人が今現在、何らかの理由によって或いは原因となるものが明らかになっているかいないかに関わらず、余裕がない状態にいるらしいということ、それだけです。 それと、考えかたとして損得計算重視的な価値観の人でしたら、自分の最低限の義務からそれた事や、自分側にとってメリットがないことには無関心、冷酷な対応をするであろうということも不思議なことではありません。 お年寄りには、昔の日本人気質を残している面を持つかたも、まだまだ多いですから、良くも悪くも他人についての関心が強過ぎたり、また心身の弱りから来る不安感の強さでしょうか、いわゆる繰言が多くなったりして、それが気持ちに余裕のない人にとっては、うっとうしいと感じさせるというようなことも、日常、比較的よくみられることと思われます。 私個人も親が明らかに「共依存」傾向がみられる支配欲の強い人でしたし、私自身、親の愚痴や不満のはけ口になりながら育った面があります。親自身は自分を良い親と信じていましたが。。。それでいて親からは、私の、親に対する対応振りがじゅうぶんなものでないとの不服を示され続けてきましたので、私自身、妙な罪悪感を持っている部分があり、一歩間違うと「共依存症」的になりかねないということに気づいております。 実際このサイトにおいても、かつて特定の会員に「依存の気持ちを拒否された」として恨みを買い非常に難儀したことがありました。他のネットサイトでも似たようなことが起きました。 それを自覚してからは対人的にも、ある一線を越えてしまわないよう注意しながらやっているつもりですが、なかなか難しいものがあります。 先の投稿でも触れましたが、本当の親切というものは決して相手の「依存を助長するもの」にはならないはずと思います。 相手の言い分や心情に向き合ってあげる余裕と背中合わせになることですが、自分側の言い分や心情を相手に押し付けるばかりで相手の状況を考慮しないというのも、一個のおとなとして自戒したいものと思いました。 それにしても近ごろは精神的に余裕のない人が増えたということなのでしょうか殺伐とした時代などと、よく言われるようですね。
お礼
丁寧なご回答ありがとうございます。 一度、読んだだけでは、すんなりと理解できず、 何度か読み直して、ご意見を参考にしていきたいと思っています。 こちらの質問をするために、先日の質問を閉じてしまい ご迷惑をおかけしました。
私も共依存ではないと思っています。 人間は、感情動物です。 聞いてあげると落ち着き、理性が働きます。 反対に強制されると、不安になり、黙ってみたり、逆切れになってしまいます。 依存者が相談に乗れるかどうかは、乗れますよ。 聞けるだけの余裕があるとき、相談者の気持ちが分かります。 生育環境は関係ないですが、現在の充実感が関係しているかと思います。(不安があれば依存したくなります。)
お礼
ご回答ありがとうございました。
- precog
- ベストアンサー率22% (966/4314)
リンク先を見ましたけど、共依存とは全然違う話でしょう。 >人に甘えて依存する人が、他人の相談にのれるのか?、 相手に親身になってやれるかどうかは、ストレス状態にあるかどうかでしょう。自分のことに精一杯なら他人の面倒を見るのは「理にかなってない」と考える可能性が高いです。 >人の話を聞けるのか? 人の話を聞くのはエネルギーが必要なので同じですね。 >人を受け入れたり、満たしてあげたり、人を尊重できるような対人関係を行えるだけの大らかさがあるのかな?という疑問がわき、質問させて頂きました。 全部一緒のものですね。そこに心理的なエネルギーを注げるかどうかです。 >★あるいは、私が不思議に思っている性質が共依存の特性ではなく、 相手が話す趣旨をきちんと聞いたり受け止めることができなかったり &対処できない人の特性は、どんな心理や生育環境から生じたものなのかなど、ご存じでしたら、教えて頂けませんか?よろしくお願いいたします。 あんまり、育ちがどうとか考えないほうが良いと思いますよ (偏見の兆候です)。人間追い込まれれば誰だって他人のことを思いやる気持ちは薄くなるものです。 逆に親切にされれば、誰かに親切にしたくなるものです。 共依存は、過干渉→鬱の話なので、全く関係ないと思います。
お礼
ご意見ありがとうございました。 >あんまり、育ちがどうとか考えないほうが良いと思いますよ 発達心理学というのでしょうか、 生育過程で取得した感情や性格などで(エニアグラム8の特性など)、 話が聞けない人&他人の相談や弱みを、こけおろさずにいられない性格形成の起因が分かれば、 それを克服して、業務に支障がないように話を聞けるよう感情などを整理する勉強会をしようと思ったので、こういう質問をしました。 >共依存は、過干渉→鬱の話なので、全く関係ないと思います。 共依存の過干渉というのは、依存される役割の方のことですよね。 では、人に甘えて依存する側にいる方も、役割変換して、 依存される役割を担うことがあるのでしょうか? 人に甘えて依存する側にいる方がエスカレートすると、 食べ物や物への依存、依存症や人格障害の発症と学んだことがあります。 人に甘えて依存する側がウツ病になるというのを知らなくて。 この点が分かりにくかったので、もう一度、教えて頂けませんか?
お礼
ご回答ありがとうございました。 なるほど。 他人へ甘えて依存する人の業務で支障を来たすケースとして 話を聞いて欲しい、でも相手の話は聞きたくない 自分を満たして欲しい、でも自分は相手を満たすような面倒はゴメン 他人に求めて当然という価値観さえある。 自分が他人の弱音や悩みを聞かなくとも、 他人から話を聞いてもらって当然。 自分が何もしなくても、他人に満たされて当然。 ・・・他人が自分のために無償で、 都合の良い癒し役をやってくれることを当然のように求める。 そのためか、応じる側(他人に尽くす側)を他人から求められると トイレの場所を聞かれる。 道を聞かれる。公衆電話の位置を聞かれる。 他人の困惑を解消する側:癒し役・尽くす側・応じる側を求められる と、ヒステリックな言動をしてしまう。 「そんな話は聞きたくない。 ここで、そんな話しないで下さい」 ご回答を拝見しながら考えてみたのですが、 ご指摘の孤独というより、 本来の愛情の飢餓状態のような気がしてきました。 人に尽くすことで、自分が役に立っていると自信を感じる人は ご指摘のように、 他人に甘えて依存する人にとっては、希望の相手。 仰るとおり、こういう相手とは依存しあっています。 過剰に尽くさないと、人に愛されないという錯覚してるような素振り 依存する側も、依存されることを受け入れ過剰に奉仕する側も 良い人に出会ってきた機会が少なかったり、 他人から適切に優しくされ&自分も他人へ適切に優しくする機会が 少なく、愛に飢えた孤独さんたちなのかな・・・。