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お釈迦様の解脱について

生物は輪廻転生を繰り返すが、お釈迦様は悟りをひらくことで、その輪廻の輪から解脱したのだというよなことが、ものの本に書かれていますが、一方で、お釈迦様は呪術や神秘的なものごとを一切禁じ、形而上的な質問には答えなかったとも言われます。 お釈迦様自身が輪廻転生を肯定したり、自身がそこから解脱したことについて語った記録はあるのでしょうか?それとも弟子や後世の創作なのでしょうか?

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回答No.3

釈尊が成道において何を悟ったかについて、『阿含経』には種々なる説明がありますが、その中で四禅三明により悟ったことが今日においては優勢であることを、インド仏教史の大家である平川彰先生が指摘されています(『インド仏教史』上巻49頁以下 春秋社)。四禅はダイナミカルな精神集中であり、そこに生み出された智慧は、神秘的な直感でなくして、自由にして理性的な如実知見であるとしています。禅から生み出された悟りの智慧は「法を見る」智慧であり、初禅から四禅に深まりゆく「心集中」の形式は、釈尊の長い修行の間に、その生まれつきの瞑想的な素質が、アーラーラやウッダカの指導や、あるいは苦行における正念の習得などを助けとして、自然に発揮されたものと見てよいと述べられています。三明とは、最初は、過去世をさかのぼって自分の生まれを計り知れない先まで見通しています。これが一つの明智です。に、未来を見通して多くの人々がその行為によってそれぞれの境涯をうるさまを知ります。これが二つめの明智です。最後に、煩悩を滅ぼす智を得ます。これが三つめの明智です。この四禅三明の悟りについては、今日、上座部仏教も固く保持している教えです。 阿含部経典においては、仏教学者の見解はさまざまですが、おおむね釈尊の前生譚以外の経文については、一部に禅定の修行の成果の反映等による変更はあるにしても釈尊の直説として信じてよいのではないかと思います。但し、増谷文雄先生が指摘されているように釈尊は対機説法で深遠な宗教的真理は智慧第一と言われたシャーリプトラに説いたのですが、シャーリプトラに説いた深遠な宗教的真理は、今日、阿含部経典にはほとんど残っていなくて、実際には阿含部経典よりも相当多かったに違いないという見解もあります。シャーリプトラは釈尊の入滅前にお亡くなりになっていますので、第一回経典結集の時にはいようはずもなく、おそらく釈尊もシャーリプトラにしか理解できないとした上での説法と思いますので、シャーリプトラ自身も他の修行僧に釈尊の教えを説いたかといいますと疑問の残るところだと思います。いずれにしましても、釈尊が説いた法とは何かを見る上では、まず阿含部経典を見ていかなくてはならないと思います。 釈尊の無記の形而上学的な問題に対する無記の態度は、弟子の修行の妨げになるので、そのような問題に関わることなく「最初の清浄行」という禅定の修行に弟子達を導くためのゆえであったことが、『マッジマ・ニカーヤ』第63経で明確に釈尊は述べられています。 http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/malunkya.html 釈尊はくどいくらいに形而上学的な問題に関わることが清浄行の妨げになることを語るのは、修行の浅い弟子であるマールンクヤプッタ尊者にこのことを自覚させるためです。修行の進んだ弟子についていえば何も語らなくとも釈尊の真意がわかるのです。また、これらの形而上学的な問題について釈尊は、その内容について自ら了解していることを『アングラッタラ・ニカーヤ』3.67.3で語っています。(石飛道子著『ブッダ論理学五つの難問』) 釈尊が涅槃の解脱の境地を得たことは、『マッジマ・ニカーヤ』の『聖求経』において説かれています。 「不老・不病・不死・不憂・不汚なる無上の安穏・安らぎを求めて、不老・不病・不死・不憂・不汚なる無上の安穏・安らぎを得た。そうしてわれに知と見が生じた、-「わが解脱は不動である。これは最後の生存である。もはや再び生存することはない」と。」とあります。ここでは解脱の自覚と、不生・不老・不病・不死・不憂・不汚なる無上の涅槃を得ることが、一つのこととして説かれています。また、原始経典の最古層である『スッタニパータ』にも「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、いま眼のあたりに体得されるこの理法を、私はそなたに説き明かすであろう。」と述べ、釈尊は古来の言い伝えではなく、「いま、眼のあたりに体得された法を語ろうとします。それは、同じくスッタニパータ』に、「心を統一されたサキヤムニは、(煩悩の)消滅・離欲・不死・勝れたものに到達された、-その理法と等しいものは何も存在しない。」と説かれ、不死の境地を獲得したことが述べられています。この不死の境地の体得は、他にも『スッタニパータ』635、514、500にも説かれています。 釈尊が説かれた輪廻転生の教えは、阿含部経典の大縁経に説かれ、この釈尊の輪廻転生の教えは龍樹により引き継がれています。釈尊は最古層に位置する『スッタニパータ』によるところによると、弟子達を導く修行にはニ段階あり、最初の清浄行の段階では、言葉による識別作用は残し、すべての煩悩を滅尽させる段階、次に、私たちがりんごと皿をみて、言葉の働きにより、それらを実体あるものとして執着するという、この言葉の働きを止滅させる無所有処という空の境地に導く階梯があったことを石飛道子先生が『ブッダと龍樹の論理学』で明かしています。この原始経典の最古層にある記述は、『マッジマ・ニカーヤ』第121経にある空の悟りの段階とも符号するものであり、釈尊の悟りの境地の深さは私たちの思議の及ばないものであることがわかります。釈尊の悟りの境地とは、言葉の識別作用が止滅した無所有処定の禅定の境地をはるかに超えた非想非非想処定、無相心三昧定の境地を超えるものと言えるかと思います。これらは自らの境地を説いたものではなく、弟子達の禅定の修行のマニュアルであるからです。このことは四禅三明の悟りを根拠づける経でもあると思います。 大乗経典について平川彰先生は『法華学報・第四号』において、次のように述べられています。 「私は大乗経典に殆ど例外なく附されている「如是我聞」(聞如是)の語に注目したい。これは第一結集のとき阿難が釈尊から聞いたことを述べたときの言葉とされる。故にこの場合の経典の作者は阿難であるが、その内容は釈尊の説法を主としているから、経の説者は釈尊と観ることができる。大乗経典が経の劈頭に「如是我聞」の語を置いたのは、無批判に阿含経を真似たというのではなく、彼等自身がその経の内容を仏陀から聞いたと信じていたからと考えるのである。それは大乗経典は、菩薩達が深い三昧に入って、その三昧の中で体験した宗教体験を三昧からで出てから記述したものと見られるからである。大乗経典が三昧の体験に基づいて説かれたものであることは多くの学者が認めているところである。そして三昧における「見仏」の体験が種々の経典に説かれている。例えば華厳経の「十地品」では、不動菩薩地の菩薩が三昧において、無辺の諸仏を見、これらの仏から教授を受けることが知られる。」 大乗仏教においては、その大乗の基本となる法理を説き明かした経典については、大乗の修行者の覚体験を信じるか否かにかかっていると思います。また阿含部経典においては、古代インド人の想像を超える記憶力等も鑑みると、直説と捉えてよいと思います。したがって、そこに説かれた輪廻転生の教えも釈尊の直説と捉えてよいと思います。もっとも大縁経にこだわらなくても原始経典に説かれた釈尊の涅槃の境地、禅定体験の信じられないほどの深さ等を考えれば、四禅三明の悟りが真実であることが導きだされると思います。

参考URL:
http://homepage1.nifty.com/manikana/essay/reincarnation.html,http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/sunna.html
soonmonk
質問者

お礼

詳しい解説と参考URLありがとうございます。 最近読んだ本に、輪廻転生・解脱の思想は仏教以前からインドでは広く信じられていたというようなことが書いてありました。 ですから、仏教の輪廻転生、解脱も仏弟子が方便として利用したものかと思ったんですが、お釈迦様自身がそれを肯定したとするなら、本人が社会常識に日和ったのか、固定観念から脱していなかったのか、そういうふうにも思えてしまいます。 私もお釈迦様の悟りを真実でないとは思っていません。 ただ教祖の常として、過度の神聖視、絶対視こそあれ、その逆はまずないのではないかとも思っています。

その他の回答 (17)

回答No.18

中阿含経  四洲経第三 尊者阿難は静かなところで座禅をしてこのように考えた。「世の中で欲望に満足する者は少なく、欲望を嫌って終命する者は少ない。世の中で欲望に満足して、欲望を嫌って終命する者は得難い。」と。阿難は夕方になって仏の所へ行き、仏にいった。「世尊、私はこのように考えました。『世の中で欲望に満足する者は少なく、欲望を嫌って終命する者は少ない。世の中で欲望に満足して、欲望を嫌って終命する者は得難い。』と。」 仏は阿難に告げられた。「その通りだ。世の中で欲望に満足する者は少なく、欲望を嫌って終命する者は少ない。阿難、世の中で欲望に満足して、欲望を嫌って終命する者は得難い。阿難、しかし、欲望に満足せず、欲望を嫌悪せずに終命する者は非常に多い。 阿難、昔、頂生という名の王がいた、転輪王となって智慧があり聡明であった。四種の軍をもち、天下を治めていた。また、七つの宝をもっていた。その七つとは輪転、象、馬、宝珠、女、居士、兵隊この七つである。千人の王子がおり皆端正で勇敢でありよく民衆を統制していた。王は天下を統領するのに武力によってではなく、法をもって統治し、人々を安楽にさせた。 阿難、頂生王は後にこのような考えを起こした。『私はこの地上世界(閻浮提)のすべてを手に入れた。大富豪であり多くの人民をもっている。そして。千人の王子がいる。私のこの宮殿に七日間宝物の雨を降らし、宝が膝に至るまで集めよう。』と。 阿難、この頂生王は神通力をもっていたので、この心を起こして、七日間宮中に宝の雨を降らし、ついに膝に達した。阿難、頂生王はまた次のように考えた。『私は地上世界をもっている。大富豪で、七宝を備え、人民をもち、千人の王子がいる。宮中に宝の雨を七日間降らし、ついに膝に至った。 頂生王はいった『私は古人の言い伝えで西方に瞿陀尼(くだに)という世界があり、その世界は裕福な国で、多くの人民がいると聞いた。私は今から瞿陀尼洲へ行って統治しようと思う。』と。阿難、この頂生王は神通力があるので、空中を飛び、四種の軍隊とともに瞿陀尼洲に到着した。阿難、彼は数万年の間瞿陀尼洲に滞在し、瞿陀尼洲を統治した。 そしてまた次のように考えた。『私は今、閻浮洲を所有し瞿陀尼洲も所有することが出来た。私は古人の言い伝えに東方に弗婆碑陀提(ふつばびだだい)という世界があり、その世界は裕福な国で、多くの人民がいると聞いた。私は今から弗婆碑陀提へ行って統治しようと思う。』と。阿難、この頂生王は神通力があるので、空中を飛び、四種の軍隊とともに弗婆碑陀提に到着した。阿難、彼は数万年の間弗婆碑陀提に滞在し、弗婆碑陀提を統治した。 阿難、彼はまたこのように考えた。『私は今、閻浮洲を所有し瞿陀尼洲を所有し、弗婆碑陀提もすることが出来た。私は古人の言い伝えに北方に欝単曰(うつたんわつ)という世界があり、その世界は裕福な国で、多くの人民がいると聞いた。私は今から欝単曰へ行って統治しようと思う。』と。阿難、この頂生王は神通力があるので、空に乗じて四種の軍隊とともに欝単曰に到着した。 阿難、頂生王は遙か彼方の平地が白いのを見て、諸大臣にいった、真っ白な平地が見えるか。諸大臣は答えていった。見えます大王と。王はいった、お前たちは知っているかあれは欝単曰人の『自然の粳米』で、欝単曰の人の食物である。お前たちと一緒に食べてみよう。 阿難、また頂生王は美しい柵の裹に巨大な美しい樹が並んでいるのを見て、諸大臣に言った『お前たち、あの美しい樹が見えるか。』と。諸大臣はいった『見えます。大王』と。王はまたいった『この樹は衣樹といって、衣のなる樹である。欝単曰人はこの樹から衣を取り着ている。お前たちも衣を取って着てみなさい。』と。阿難、頂生王はこのようにして数万年の長い年月欝単曰に滞在し、欝単曰を統治した。 阿難、この頂生王は後にまたこのように考えた。私は閻浮提をもち、大富豪で多くの人民をもち、七宝と千人の王子がいる。宮中に七日間宝の雨を降らし宝は膝まで積もった。また、瞿陀尼洲、弗婆碑陀提洲、欝単日洲をもっている。 私は古人の言い伝えに三十三天という天界があると聞いた。私は今から行って、三十三天を見ようと思う。 阿難、この頂生王は神通力があるので、空中を飛び四種の軍隊とともに日光に向かって去っていった。阿難、この頂生王は三十三天中の須彌山の上に大雲のようなものを見て諸大臣に告げた『お前たち、あの大雲のようなものが見えるか。』諸大臣は答えていった『見えます。大王』と。王はまた言った『これは三十三天の晝度樹という樹である。三十三天の衆はこの樹下において、夏四月に娯楽を楽しんでいる。』と。 阿難、また、頂生王は遙かに三十三天の須彌山上の南側に大雲のようなものを見て、大臣たちに告げた『お前たち、あそこに大雲のようなものが見えるか。』と。諸大臣は答えて言った『見えます。大王』と。王はまた告げていった『あれは三十三天の正法の堂である。三十三天の衆はあの堂の中で、八日・十四日・十五日に天のため、人のために法を思考し、真理について思考している。』と。 阿難、こうして頂生王は三十三天に到着した。そしてその堂の中に入った。中には天帝釈がいて、頂生王に隣へ座るようにすすめた。頂生王はそこに座った。天帝釈と頂生王は光、色、形、礼節、衣服となんら変わることはなかったが、ただ目の輝きだけが違っていた。 阿難、この頂生王はまた次のように考えた。『私は閻浮提洲を支配下に置き、また瞿陀尼洲、弗鞍碑陀提洲、欝単白洲を支配下に置いた。そして、今三十三天の大集会を見ることが出来た。そして、法堂に入ることができ、天帝釈の隣に座ることができた。私と天帝釈とは少しも変わることなく、違っているのは目の輝きだけである。私は今、天帝釈を追い払いこの座を奪い取って天人の王となり、この世界を自在に統治しよう。』と。 阿難、頂生王がこの考えを起こした瞬間、神通力を失い、瞬時に閻浮提に移動し、瀕死の重病人になってしまった。そして、まさに命が終わろうとする時、大臣たちがいった『人民が大王が死ぬとき何か言い残しましたかと聞かれたら、何と答えるべきでしょうか』と。 そのとき頂生王はいった『もし人民に頂生王は何か言い残しましたかと聞かれたらこのように答えよ。頂生王は閻浮洲を得ても満足せずに命終り、頂生王は七寶を得ても満足せずに命終り、千の王子をいても満足せずに命終り、頂生王は七日間宝を降らしても満足せずに命終リ、頂生王は瞿陀尼洲を得ても満足せずに命終り、頂生王は弗鞍碑陀提洲を得ても満足せずに命終り、頂生王は欝単日洲を得ても満足せに命終り、頂生王は諸天の集會を見ても満足せずに命終り、頂生王は五欲の功徳(色聲香味触)を備えても満足せずして命終った。』と。 ここで世尊はうたにしていわれた。 『天の宝を降らしても欲望を持つ者は飽きることを知らない。欲望は苦であって楽ではない。智慧者はこのように知るべきである。金をこの大雪山のように積んだとしても足りるということはない。天の微妙なる五欲を得ても楽しまず、愛着を断じ、欲望に執着しなければ、等正覚の弟子である。』と。 また、世尊は告げられた『阿難、何を隠そう、この頂生王とは誰でもない過去世の私である。私はその時自分のため利益を求め、人のために利益を求め世間を憐れみ、天のため人のために義及び安楽を求めた。しかし、法を説いて究竟に至らず、清浄を究竟せず、梵行を究竟せずに終わった。その時には、生老病死・啼哭憂戚を離れず、一切の苦を離れることは出来なかった。 阿難、私は今如来になった。私は自ら利益し、また他を利益し、大勢の人を憐れみ利益し、天のため、人のために義と利益を求め安楽を求める。私は今法を説いて究竟に至り、清浄を究竟し、梵行を究竟するに至った。今私は生老病死・啼哭憂戚を離れ、一切の苦から脱することが出来た。』 これを聞いて、阿難と比丘たちは歓喜した。 仏陀の説いた「普遍的かつ客観的な事実」を記した経典より

noname#40981
noname#40981
回答No.17

この質問? カルト宗教に染まらないために必要な疑問でしょうね。 貴方自身でも 自分の心に生起する疑問を抑制することはできない。 他者が貴方に余計な疑問を持つな といったら抑制できるのですか? カルト宗教の恐ろしさでしょうか。

soonmonk
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。

noname#40981
noname#40981
回答No.16

>要するに環境保護、世界平和に寄与しない余計な疑問は持つべきではないと 余計な疑問とは一体何のことですか。

soonmonk
質問者

補足

この場合は、私の質問のことです。

noname#40981
noname#40981
回答No.15

職業として大乗仏教に従事するものはね 大局から見れば そういえるのではないですか。 宗教の存在意義は何にあると思っているのですか。

noname#40981
noname#40981
回答No.14

No.13ですが 大乗仏教は 例えばNo.13で述べたことの妨げとなるようなことに対抗していくよう論戦を張るべきなのではないでしょうか。

soonmonk
質問者

お礼

要するに環境保護、世界平和に寄与しない余計な疑問は持つべきではないと仰っているように理解しました。 ご意見ありがとうございます。

noname#40981
noname#40981
回答No.13

自然から乖離し 実践哲学に基づかない 精神世界に没入するから さとりや解脱の糸から切れた凧のように妄想が始まり カルト宗教を生み出す源泉となる。 正当な大乗仏教であるならば そのことをよく自覚するべきです。 自然を相手に 共に生きるものには さとりとか解脱とかは極ありふれたものであり 現代においては むしろ宗教による神とか神秘性とかを無防備に受け入れない 科学的な観察による自然の認識ほうが 人類が他の生物種によって生かされているという認識に至りやすく それを深く認識することによって 人間の在り方を正しい方向に導くように思います。 地球全体を一個の生態系のバランスを保つ有限な器と認識し 国家同士の自由競争による無制限な自然介入を抑制し 夫々の国家が夫々の文化を保持しながら 自国での自国による衣食住を安定的な人間生活の基本として自立し 地球上の夫々の国家を尊重しあえる状態になるよう 国連を善く機能させ 夫々の国家が調和いくよう調整していく。 上記のことは 世界のあらゆる宗教を超え 共通言語としての科学的な観察による正しい認識と実践によってできるもので 神仏や神秘や神通力に頼らなければできないようなことではないのではないですか。 その後 日々の生活に没入し 身の回りの徳を積んで生きるという生き方を導くことを 夫々の文化圏によって夫々の宗教が担うことになればいいのです。

回答No.12

回答へのお礼ありがとうございます。Ano.10のbonbonniereです。 まず、宮元先生の指摘する中村先生の文献学の問題点について補足します。 「その文献学は、日本の柱から成っています。一つは、複数の文献に共通する部分は成立が古く、そうでない部分は後世の仏教徒による加筆・挿入(伝統的にこれを「増広」といいます)であるとする柱、もう一つは韻文(偈頌)は成立が古く、散文は成立が新しいとする柱です。」 このような機械的な消去法により釈尊の直説を導く方法をとりますと、前回の回答の例でいえば、要素Bは二つの文献にあり、仏説である可能性が高いにも関わらず、第一の文献に韻文(後に説明します)の要素があると、第一の文献は成立の古い文献であると結論され、しかし、そこに要素Bがないから散文で書かれたA~Iはすべて後世の増広によるものと決論づけられます。第一文献のA、C、Eも他の文献に共通要素がないので仏説から排除されます。したがって中村先生の文献学では、ゴータマ・ブッダその人が、目覚めをいかなるものと考えていたかを知る術はまったくないことになってしまいます。 「まず第一に仏教そのものは特定の教義というものがない。ゴータマ自身は自分のさとりの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じて異なった説きをしていた。だからかれのさとりの内容を推しはかる人々が、いろいろ異なって伝えるにいたったのである。」という決論になります。 松本史朗先生は「仏教の批判的考察」(アジアから考える 7世界像の形成 東京大学出版会)の中で次のように述べています。 「ここで、博士は「仏教には特定の教義が無い」と言われているが、これこそ博士の仏教理解の根本であると見ることができるであろう。仏教に教義がないとすれば、”仏教とは縁起説である”という見解が否定されるのは当然である。では、仏教に教義がないとすれば、仏教とは何なのであろうか。博士は「無思想ということではない」と言われる。また、それは、「現実の人間をあるがままに見て、安心立命の境地を得ようとする」ものであり、「実践的存在としての人間の理法(dharma)を体得しようとする」ものであると説明されている。この二つの説明とも、きわめて曖昧なものであるが、博士はこれを「実践哲学(7)」という語によっても解説している。つまり、中村博士にとって、仏教とは「教義」ではなく宗教的理想に向かう実践のみにかかわる「実践哲学」であるということになろう。」 私としても釈尊の教えが消去法により貧相なものとなった結果、「実践的存在としての人間の理法(dharma)を体得しようとする」ものであるという中村博士の見解はあまりにも皮相的な釈尊理解と考えます。 宮元先生は消去法による問題点を次のように指摘されています。 第一に、釈尊は対機説法でしたから、同じ事柄に関するもののはずなのに、文言が極めて多様になるという点です。前回の回答の例でいえば、要素Aと要素Bが釈尊にとって同じ事柄を述べたものであるならば、第一文献から第三文献はすべて仏説であることになります。 第ニに、釈尊は仏教の開祖であり、弟子や信者から「バガヴァット」(幸あるお方、世尊)と呼ばれていたことです。この尊称は、後のヒンドゥー教では世界を主宰する最高神の尊称にもなっています。ゆえに弟子や、ひ孫弟子たちが、バガヴァットのことばを勝手に捏造するはずないというものです。 第ニの点については、主観的な要素を含みますが、第一の点については、釈尊の直説が多分に切り捨てられる可能性は大きいと思います。 次に韻文は成立が古く、散文は成立が新しいという文献学の常識についてですが、韻文は歌として朗詠されますから当然ですが古い語形を残す傾向を強く持っています。たとえば韻文の中で釈尊がマガタ語で「ちゃいますねん」と語ったならば、パーリ語になっても、それに近い語形がずっと残る可能性は非常に高いと言えます。しかし、散文の場合は、唱うように朗詠されることはないので、マガタ語の「ちゃいますねん」が、パーリ語で「違いますよ」となる可能性が大いにあります。したがって、韻文は古い語形を比較的保つ傾向にあり、散文は新しい語形に変化しやすいといえます。 以上が宮元先生の文献学批判の要旨ですが、散文化による語形変化の可能性は大いにあると思います。まして散文化して経典に残そうとするとき、当の本人に語彙的な教養があればなおさらであると思います。また、「四禅三明」という言葉についていえば、このような術語は釈尊の悟りを一言で表せばどのようなものであるかと、後になって教法を整理する段階で生まれた言葉であることはたしかであろうと思います。釈尊在世に「私は四禅三明の悟りを得た。」とは言わないでしょう。しかしその故に、「四禅三明」が示す内容までもが後世の増広であるとの結論を導き出すのは、あまりにも数理的な解釈ではないかと思います。 このようないろいろな問題をかかえた文献学的方法により、釈尊の重要な教理が仏説でないとされることに問題があります。また、釈尊が一切知者であるか、孔子やソクラテスと並ぶ哲学者であるかのキーワードとして「四禅三明」があげられると思います。平川彰先生は中村元先生と同じ世代の方ですから、中村先生の文献学的方法も当然ご存知であったわけですが、私たちとしては自らがよって立つ釈尊をどこに求めるかを自分の問題として捉えるしかないのではないでしょうか。 次に、「釈尊の教えは日常的思考法から超脱した教えである」という私の回答ですが、最古層に位置する『スッタニパータ』によれば、釈尊は弟子を導く瞑想の修行がニ段階に分かれていたことが、石飛道子著『ブッダと龍樹の論理学』(サンガ)の中で紹介されています。 『スッタニパータ』1072において、「無所有(何もないこと)をよりどころに、他のものを捨てて、最高の「想いからの解脱」において、解脱し、そこにとどまり、何ものにしたがっていくこともないだろう」と説き、「最初の清浄行」であるところの、すべての煩悩を滅尽しつくした弟子たちに対して、次に無所有処定という禅定の修行に導きます。『スッタニパータ』874には「色形が滅する」ためには「多様な言語世界の名称が起こらない」ことであると説いています。私たちが、りんごと皿を見て、それぞれを実体あるものとしてバラバラに見る先天的な識別作用が止滅する空の境地に弟子達を導くのです。釈尊の涅槃の境地は、言葉の識別作用が止滅した禅定のさらに深い、非想非非想処定、無相心三昧定をも超えた三明の境地であり、私たちの思議すら及ばない世界といえると思います。 http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/sunna.html このように釈尊は、「多様な言語世界の名称が起こらない」空の覚りに弟子達を導き有無、自他、善悪、正邪等の二元対立を超えた中道の境地を悟らせるのです。それは無明を止滅させるためです。無明→行→識→名色・・・の名色は、『スッタニパータ』874にあるように多様な想いによる言語活動から生まれるからです。言葉というものが、私たちの日常生活において二元対立を生む根源であるので、釈尊は弟子たちに無所有処定の空の境地により、言葉による認識の働きを一切止滅させます。それは十二支縁起の逆観により必然的に無明が断ぜられることになるからです。 釈尊はことばというものに実体というものがなく空なる存在であることを別の箇所でも述べています。 「名称で表現されるもののみを心の中に考えている人々は、名称で表現されるものの上にのみ立脚 している。名称で表現されるもの〔が偽りであると〕完全に理解しないならば、彼らは死の支配束縛 に陥る。」 『サンユッタ・ニカーヤ』にあるものですが、抜粋ですがここに説かれているのは原始経典の最古層に属するものといわれています。 『スッタニパータ』には、「識別作用が止滅することによって、名称と形態とが残りなく滅びた場合に、この名称と形態が滅びる」(1037)とあり、禅定の修行による無所有処定を語っています。私は阿含部経典を深く知っているわけではないのですが、空の禅定にすぐれたスボーディのような残された弟子のことばなどを判断して識者の方々は、「釈尊の教えは日常的思考法から超脱した教えである」という確信を抱いていると思います。 私たち現代人には神秘的といえるかも知れませんが現代でもそうかも知れませんが古代インド人が瞑想の達人であったことを考える必要があると思います。龍樹等も禅定の修行と理知的な智慧の両輪により実践で得た確証を『中論』としてまとめたものと言われますが、日本の大乗仏教の祖師は釈尊の禅定による方法では末法の凡夫の悟りは得られないという共通の認識であるかと思います。 したがって救われるのは釈尊の弟子だけであったので、釈尊は布教の道に専念したものと思われます。部派仏教の修道のスタイルは僧院に閉じこもって瞑想するものでしたが、それは釈尊が入滅されてからのことです。教団の原型らしきものが設立された後は、雨安居(うあんご)の間(6月末から9月末)は群がって発生する虫を踏み殺さないために弟子達と集団生活を送っていましたが、雨季が明けるとると、法を広めに遍歴行脚の日々を送っていました。くすんだ色の衣をまとい、鉢を提げつつ、幾人かの弟子達とともに町や村を歩き続けたようですがですが、異様な風体の集団が俗世の価値観の否定をひっさげて来襲してくるので、古代インドにあっても、町の生活者には相当の衝撃であったようです。当然、この間に瞑想の修行も続けられていました。前回の回答にも書きましたが、神秘的な直感という瞑想方法ではなく、釈尊が編み出した精神を一点に極度に集中させるような、私はその辺のところは全然知らないのですが、そのような瞑想のようです。 釈尊は菩薩であったかというQ&Aがありましたが、行為の上では法を説いてやまない菩薩だったと思います。基本的には自らの資質というものは変わりませんから、王監督やマラソンの瀬古選手のような求道者タイプで、その中での菩薩の行為といえるかと思います。 輪廻転生については石飛道子先生に質問したことがあります。 http://hpcgi1.nifty.com/manikana/bbsnew/wforum.cgi?mode=allread&no=2557&page=10 >お釈迦様の説いた輪廻転生が、たまたま従前のインドの輪廻思想と一致するというのは状況的には出来過ぎにも思えます。 アーラーラやウッダカのような仙人は瞑想のレベルとしては私たち現代人では考えられないレベルのようですし、古代インド人の瞑想の資質とも関連があるような気もします。 http://homepage1.nifty.com/manikana/m.p/articles/kuraku.html

soonmonk
質問者

お礼

詳しい解説をありがとうございます。 中村先生の文献学の問題点は理解しました。 どんな方法にも長所短所があるわけですから、色んなやりかたを複合して総合的に判断するのが学問的には正道でしょうか。 そういう意味で、キリストもそうですが宗教的偉人の歴史的真実の究明ということにおいては、信仰が障害となることはあると思います。 とくに神秘体験の解釈・取扱いは難しいように思います。 中村先生の仏教解釈について、 >仏教そのものは特定の教義というものがない。ゴータマ自身は自分のさとりの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じて異なった説きをしていた。だからかれのさとりの内容を推しはかる人々が、いろいろ異なって伝えるにいたったのである。 これは私も概ねこういうものだと理解していました。 お釈迦様自身、教義を作る意図があったなら生前、自分できちんと体系的に著すか、監修くらいしたのではないでしょうか? >仏教に教義がないとすれば、”仏教とは縁起説である”という見解が否定されるのは当然である これは理解できません。意図的に教義を作らなかったからといって、説法から推し量れる教説もあるのではないでしょうか? 「釈尊の教えは日常的思考法から超脱した教えである」という点につき、 >釈尊は、「多様な言語世界の名称が起こらない」空の覚りに弟子達を導き >釈尊は弟子たちに無所有処定の空の境地により、言葉による認識の働きを一切止滅させます ということですが、当の経典自体、どれだけ表現を尽くしたとしても、言語で言語による認識を前提に書かれたものに違いないですし、個々人の瞑想の内容は言語以外で他人に伝える術は無いわけですから、結局信じる信じないの世界ですよね。 解脱を達したかどうかに至っては、解脱した人同士でないと絶対分からないと思うんですが…。 >私たちとしては自らがよって立つ釈尊をどこに求めるかを自分の問題として捉えるしかないのではないでしょうか。 そうですね。そう思います。

noname#40981
noname#40981
回答No.11

霊 魂 神。。。 得体の知れないもの 仏陀はそれらを無記とする。 現代科学はそれらを必要としない ただ科学的な観察を考察することにより 人類の限りない欲望に起因するところの 人類を含む生物全体の生存の危機に直面していることを認識するべきである。 その解決は神に祈らなければならないことでもなんでもなく 人類自身の手によって解決できるものであり その英知により解決しなければならないものである。

soonmonk
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。

回答No.10

Ano.3のbonbonniereです。 釈尊の直説はどこに求めることができるかという観点からいえば、今日の仏教文献学においては不死の境地、解脱、輪廻転生を語る『スッタニパータ』はほぼ釈尊の生の声であるということが定説になっています。したがって、その他の阿含部経典で説かれる不死の境地、解脱、輪廻転生の教えが釈尊の直説であるかと捉えてよいと思います。 今日の仏教学において輪廻転生に否定的な見解が見られるのは、中村元先生の存在が大きかったことがあげられると思います。一般人に語る氏の文章はとてもこころを打つものです。中村先生の文献学の手法を大乗仏教に否定的な見解を持つ宮元啓一先生が、『仏教かくはじまりき パーリ『大品』を読む』(春秋社)で紹介しています。「たとえば、ゴータマ・ブッダ自身が目覚め(いわゆる「さとり」)に関わると思われることばを述べていることになっている文献が四つあるとします。第一の文献の文章は、A、C、Eの要素から成り、第ニの文献の文章は、B、D、Fの要素から成り、第三の文献の文章は、B、G、Iの要素から成り、第四の文献の文章は、Hの要素から成るとします。すると、要素Bだけは第ニの文献と第三の文献に共通して出てきますが、他の要素は、どの文献にも共通して出てくることはありません。すると、中村博士の文献学によれば、A、C、D、E、F、G、H、Iは、後世の増広になるものだと断定されます。しかもなお、たとえば第一の文献の、問題となる箇所のあたりに、古形を保った韻文があるとしますと、第一の文献の核心部分は古く、そこに要素Bがないということは、要素Bですら、後世の増広になるのだとほぼ断定される」というものです。先の回答で、平川彰先生の四禅三明と悟りについて述べましたが、中村先生は古い古層には存在しない術語であるから、後世の増広であると結論しています。 このような数理的な仏教文献学の手法は釈尊の教えを極めて貧弱なものにする結果になります。他にも文献学的手法の重要な欠陥を指摘されていますが、説明は割愛させて頂きます。 日本仏教学の歴史について角川ソフィア文庫「仏教の思想 1 智慧と慈悲<仏陀>」の中で、梅原猛先生が解説しておりますので、その要旨を紹介します。 ニーチェがそれまでの西洋の理性を否定した後にショーペンハウアーという哲学者が現れました。世界を 動かしているものを、理性として考えず、盲目的の意思として考えました。私たちの生命を支配するこの盲目的な意思(煩悩)は、人間を苦悩に陥れます。盲目の意思の世界は必然的に苦の世界です。この苦の世界から人間を救うためには、この盲目的な意思を否定することとして厭世哲学を考えます。ショーペンハウアーは、初期経典の釈迦の思想に、同じ意思否定の哲学をみて、釈迦の涅槃をこのような意思否定の哲学として解釈します。ショーペンハウアーの弟子ドイッセンは、師の思想に影響されて、仏教の研究を志します。ここに西洋における仏教学が始まり、日本に輸入されることになりました。このため初期の日本仏教学は、木村泰賢先生をはじめ、ショーペンハウアーの研究にも従事し、ショーペンハウアーから釈尊を捉えることになりました。その後、ヨーロッパでは、その反動から、もう一度、カントの理性を復権させようとする思想が生まれました。これを新カント主義といいます。日本仏教学においても、釈尊の教えをショーペンハウアーから捉えるのことから脱却して、新カント主義の立場から釈尊の教えを捉える仏教学が和辻哲郎先生により誕生しました。ここに見られるのは西洋に追いつけ、追い越せという精神に見られる西洋絶対主義です。その後、仏教の典籍を文献学という客観的な立場から見る仏教学が宇井伯寿先生により生まれ、宇井先生の愛弟子が有名な中村元先生です。 釈尊をひとりの思想家とみる背景には、西洋思想絶対主義と、釈尊の教えを数理的な手法で断罪する文献学至上主義の二つがあります。ちなみに宮元啓一先生はパーリ上座部の聖典はすべて釈尊の仏説であるとの立場です。しかし、私たちがに完全な形で残された三蔵は、パーリ上座部と説一切有部の二つの部派の三蔵です。正確には論蔵が完全な形で残されているのは説一切有部のみです。大乗仏教に近い経量部、法蔵部の三蔵はその断片しか伝わっていません。実際には二十以上の部派が存在していたようですが、教えの内容はときに異なった思想が伝承されていたのも事実です。当時の部派仏教は自分たちと教えが違う部派の教えも一応仏説として認め合っていたため、分裂も容易に起こったといわれています。いずれにしろ西洋の思想史上の延長として釈尊を捉える仏教観は、釈尊の真理から大きくはずれたものであると思います。 では釈尊の輪廻転生の教えは、インド古代思想の影響によるものなのか、社会通念の影響があったかということですが、それはないと断言できると思います。 まず社会通念上の問題ですが、これは日常的な思考の影響によるものです。日常的な思考とはことばによる思考です。『般若心経は間違った経典』のQ&Aで釈尊の中道の境地について回答していますが、釈尊の教えは言葉の働きが一切止滅した境地から説き明かされたものです。これは『スッタニパータ』から明らかとなるものであり、釈尊の中道の境地が日常的思考法から超脱したものであることを知ることができます。したがって、釈尊の教えに社会通念の入り込む余地は全くないといえます。そして、釈尊が輪廻転生を語るのはそれでは方便としてなのかということですが、これもないと思います。それは、十ニ支縁起において、名色、すなわち自己の身体が存在する根拠として識なる働きを覚知し、自らの輪廻の構造をありのままに悟ったと考えられるからです。識とは無論アートマンのような自己を支配し命令を下す常一主宰の我ではなく、縁により変化してやまない空なる存在です。当然、十ニ支縁起も後世になって整備されたものではないかという見解もありますが、大乗仏教の捉え方には同意しませんが、十ニ支縁起が釈尊の直説であるとする宮元先生の見解を支持します。 現代物理学においては要素還元主義が成立しないことが明らかになりました。古典物理学においては私たちの身体は極微の要素、たとえば原子等に分解することができ、死により究極の要素としての原子等に還元されると信じられていました。ところが今日の素粒子物理学によれば、素粒子とは瞬間毎に生成と消滅を繰り返す存在であることが明らかになりました。素粒子によっては寿命の長い素粒子もあるようですが。現代物理学においては、私たちの身体は無限の数の極微の蛍の点滅体といえるかと思います。そのような物理的条件の中でなぜ自己を自己たらしめていられるのか。自我というものは常住なものではありませんが、しかし自己という統一体として機能していることも事実です。名色の離合集散を統一する識なるものの働きを認めざるを得ないということがいえるのではないかと思います。また、煩悩の滅尽して名色だけ残す、ことばの止滅という『スッタニパータ』で説かれた無所有処定という第二の禅定の境地に導く弟子に対して輪廻転生を語るのであれば、方便としての要素はないと考えられます。現代物理学は輪廻転生を完全に否定することがだんだんと困難になってきたといえるのではないでしょうか。

soonmonk
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なかなか定説はないんですね。 例をあげていただいた中村先生の数理的な仏教文献学の手法について、 >このような数理的な仏教文献学の手法は釈尊の教えを極めて貧弱なものにする結果になります。 ということですが、実際に極めて貧弱であった可能性もあるわけですから、それをもってこの手法の欠点とするのであれば、その理由が分かりません。 お釈迦様を思想家としてではなく、宗教家、実践家としてみる立場からすれば尚更、言葉の上だけでしか残せない教説が豊富であることは別に誇るに当たらないことに思えるのですが…。 ただ、西洋哲学は学問ですから発展すべきもので、対して仏教は始めに絶対的釈尊ありきなのですから、仏教思想が西洋哲学に影響をあたえることこそあれ、西洋哲学の影響で仏教の解釈が変容するのはおかしいですよね。 輪廻転生についてのお考えですが、 >釈尊の教えは言葉の働きが一切止滅した境地から説き明かされたものです。これは『スッタニパータ』から明らかとなるものであり、釈尊の中道の境地が日常的思考法から超脱したものであることを知ることができます。したがって、釈尊の教えに社会通念の入り込む余地は全くないといえます。 ということですが、私の不理解もあると思いますが、これは簡単にいうと 「釈尊が『私の教えは日常的思考法から超脱している』と言っているから、釈尊の教えは日常的思考法から超脱しているはずだ」 という意味か、 「釈尊の教えは日常的思考法から超脱した教えであるから、輪廻転生に関しても日常的思考法の影響を受けているはずはない」 という意味のいずれかという理解で良いでしょうか? 前者であれば信者にしか適用できないし、後者であっても“日常的思考法から超脱”が神秘体験を指すのであれば前者と同様ですし、思考そのものの優秀さを指すのであればそれは状況証拠でしかなく、断言まではできないと思います。 お釈迦様の説いた輪廻転生が、たまたま従前のインドの輪廻思想と一致するというのは状況的には出来過ぎにも思えます。 輪廻転生はともかく、そこからの解脱というのは世界的にも結構オリジナリティの高い発想に思えますが…。 現代物理学は形而上的思考にも様々な示唆を与えてくれますが、仏教の説く領域の究極的な本質の部分に対してはまだまだ無力であると個人的には思っています。

noname#40981
noname#40981
回答No.9

仏陀は解脱の展望により法を説く

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