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視線を感じるって実際ほんとに何か感じるの?それともそんな気がする?
不思議に思います。 よく視線を感じるといいますが、実際ほんとに何かを感じるのでしょうか? それともただそんな気がするのでしょうか? たまに、まったく視界の入らない真後ろの方からも視線を感じたり しますよね。あーゆうのってどうして見てるってわかるのでしょう? 誰かわかる人いますか?
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視線を感じるか否か、を研究した学者さんもいるようです http://x51.org/x/04/07/0652.php 失礼ながら眉唾な感も在りますが、国籍を超え『視線には何か在る』 という認識が存在する方が興味深いです、個人的には ハイゼンベルクの不確定性原理の世界では、観測するだけで、観測物に影響を与えてしまいます それと同様に、誰かが観測した(見た)ことで、貴方に影響を与えたのかもしれません まぁ、こじつけですw あとモノを見る、とはモノが発した(反射)光を、眼で受け取るって事です つまり『視線を感じる』とは 自分が発した(反射した)光を誰かが受信したことを自分で認識する、って事になります そう考えると不思議度がUPしますよね 回答になってませんね、すみませんでした
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- Hayate03
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特に何を知っている訳でもなく、なんとなく思うことで恐縮ですが、、 我々の視覚には「自分を見る目」に気づくような能力があるのではないですかねぇ? 太古からの自己防衛本能(の名残り?)として。。 視界に入らない真後ろと入っても、視野の端まで考えると普通に行動していれば 360度とはいかなくても結構見えていると思います。 視野の端にあっても「自分を見る目」には本能的に気づくということが、 視線を感じるということなのではないでしょうか? 根拠のない内容ですみません。
お礼
それはいわゆる人間の第6感ということでしょうか?? 本能的に気づくとは。 でもそーゆうのあるかもしれませんね。 人間にはわからない事たくさんありますしね。 ありがとうございました。
- ruehas
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こんにちは。 これは間違いなく気のせいなんですが、誰もが同様の体験をするというのは不思議なことですよね。 我々が「視線を感じる」というのは、誰かが自分を見ているのを意識するということです。ですから、そのひとが目の前にいて、明らかにこちらを見ていると判断できれば自分は視線を意識したということになります。 ですが、相手が後ろや物陰にいるときはそれを確認することができません。確認できないということは、正しい情報を獲得することができないということです。我々の脳は、このような「情報の不足」を想像で補います。「情報の不足」を補わなければならないのは、早く何らかの結論を出すためです。このため、後ろにいるひとがこっちを見ている可能性があるとなれば、その視線が意識に上ることになります。ですが、実際にこっちに視線を向けているかどうかは分かりません。 これが多くのひとにとって共通の体験であるのは、情報の不足には必ずや「不安という情動」が伴うからです。この「不安」の伴ったものが「何となく視線を感じる」という意識現象だと思います。 相手とただ目が合っただけでは、意識はしているのですが、我々はそれを「視線を感じる」とは言いません。ですが、相手が怒ってこちらを睨み付けているときや、自分が何か失敗をしたときなどには殊更強い視線を感じます。このように、視線をいいますのは、見られているときも、見られていると感じたときでも、何らかの「情動」の伴うものは強く意識されます。ですから、好きな恋人から一心に見詰められたりしますならば自分には特別な情動が発生しますので、それは熱い視線として感じられます。 このように、視線を感じるというのは「情動の伴った意識現象」だと思います。そして、見えない視線に伴う情動といいますのは、それはほとんどのひとにとって「不安」ということになります。
お礼
なるほどーの1言です! 不安がそのように感じさせるのですね。 納得しました。 ありがとうございました。
お礼
すごい興味がある研究ですね! なんか素朴に疑問だったものが、研究とかまでされているのですね。 それにもびっくりです。 わからない力が働いていたらとっても不思議です。 ありがとうございました。