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意味無いタイトルでしょうけど18禁です

学生時分に読んだ本に「情け無用の競争社会」とありました。  この一文に出会った時、「どこで生き残れるんやろう?」とか「リストラに合わない」方法とか考えてたのと、この言葉が強かったので信じてました。  時を費やし、工場に仕事行くようになり「こうじょうはあるなあ」と・・・いうのと、(笑われるかも知れません)が、空想で元気になったりすることから、情は役に立つ?(感情が空想させるらしいです)と思えるようになりましたが、まだ冷たい 厳しいが役に立つという意識もあります。  どちらが正しのでしょうか?それともどちらも正しいのでしょうか?また意識を一本化できるでしょうか?

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noname#245154
noname#245154
回答No.2

なかなか答えるのが難しい質問ですね。 私は今43才になろうとしています。人生をUターンしたみたいです。毎日悩みは尽きないし、嫌な思いをすることも多々あります。 でも、どうにかこうにか乗り越えたときに喜びと満足感があります。 年をとるということはこういうことの積み重ねなんだな、と、 しみじみおもいます。 厳しいことが役に立つというのはそれを乗り越えたときに、 自分の中の自信になっていくのではないのでしょうか。 経験は一つも無駄なことはないし、偶然はないんだな、 と実感しています。 でも、厳しいことばかりでは生きていて楽しくないですよね、 夢を見たり空想したりするのも 心を快復させるのにはとても役に立つと思いますよ。 現実と非現実との境がキチンとわかっている 通常の状態であるのならば空想の中に身を置いてみるのも いいと思います。 そこからまた違うことが始まるような気がします。 どっちかが正しいというのではなくて、情も厳しさも必要なんだとおもいます。

Flabono
質問者

お礼

回答ありがとう。正直なとこ、43歳になっても答えるのが難しいとは・・・情が有用かそうでないか、それとも、情も厳しい冷たいも役に立つかどうかなんて社会の中ではっきりしてないんでしょうかね?    情が役に立たない競争社会なら「感情の生産物」 まんがやら小説やらは販売する代物じゃないですよね?こんな考え方でいいのかな? どっちも役にたつということであれば、優しくも冷たくも厳しくも甘くもするおとことして生きます。なんかそっちのほうが人間的魅力のあることになると思えてます。(そうでもないですかね?・・・なんやこいつ?と思われないかな?とうかどっちのやつ?と思われるでしょうね。)

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  • kuku82
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回答No.1

はじめまして。 私の理解力が及ばないので、質問の意図とはずれるかもしれませんが、 考えないといけないのは、仮に「情け無用の競争社会」で生き残ったとして、何が得られるのでしょうか? 物質面・精神面・環境面出来る限り広い視野で考えてみてください。 何が役に立つかといえば、全てのことが役に立つと思います。 つまり、役に立つという感覚より役に立ったなぁ・・と後で自己満足するだけのことです。 ですから、どれだけ役に立ちそうなことを勉強・経験しても、 その先全く使えそうな場面に遭遇しなければ無用の長物どまりでしょう。 結局、正しい・間違ってるとは判断できる代物では無いと思いますし、 一本化みたく整理整頓しないといけないものでもないでしょう。 空に浮かぶ雲を見て、犬みたい・・ケーキみたい・・水蒸気だ・・光が屈折して白く見えるんだ・・・全てアリだと思いますが・・・。

Flabono
質問者

お礼

回答ありがとう。何を得られるか? 友人、家族、孫、仕事、食うていけるだけの収入だけかセレブ級の収入、自信、家、マイカー、趣味、コンプレックス解消してきた事実、ストレス少な目のライフ、満足感、充実感、名声 権力(若いからようわからんけど)、大往生。 空に浮かぶ雲を見て・・・ありです。思います、、、「が」となってるのが意味わからなかったです。

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