- 締切済み
ベジタリアン(ビーガン)の方へ質問
ベジタリアンになった理由には様々あると思いますが 動物愛護あるいは地球環境が理由の方に質問します。 動物を食べるのはかわいそうなのに同じ生物である植物は平気なのですか? 大半の薬にも動物性の成分が使われてるようですがそういった薬は飲まないのですか? 牧畜のせいで環境が悪化しているという意見があるようですが、 それが今の地球環境悪化の一番の理由だと思いますか? また、身近に出来るゴミ分別等、完璧にやっていますか? ペットボトルのキャップ外しラベルを剥がして分別してる等。 答えられる質問だけで結構ですのでよろしくお願いします。 回答に対して度々質問することがあるとおもいますので、気長に付き合ってくれる方だと嬉しいです。 ベジタリアンの方の考えを是非お聞かせください。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- sunnylife
- ベストアンサー率25% (1/4)
take012さん、じはじめまして。 例えば猫と十年間添い寝していたら、人間と同じ感情を持っていると知ったら、 じゃあ肉食ってなんなんだろう?と疑問を持ったりする訳です。 料理を作っていて野菜を切る時に「ごめなさい」 食べる時に「ごめなさい。恵みをいただきます」 と唱える事は、たまにしております。 歯医者で処方される薬を飲む位で、薬を自分で買う事はありません。 牧畜が砂漠化の原因の「一つ」である事は紛れも無い事実です。 でも他にも様々な要因が絡みますから、牧畜さえ無くなればいい、 という訳でもないのでしょうね。 例えば西洋式の収穫拡大のみを追及した大規模農業も砂漠化の原因の「一つ」です。 身近に出来るゴミ分別は完璧にしております。 自販機は一切使用しませんし、 ペットボトル飲料を買う事も一切しません。 130円のお茶でも、自分で作れば5円以下で済みます。 たまに道に落ちているペットボトルを拾ってゴミ箱に捨てる事はします。 「親が牧畜をしている家庭に生まれた子供はどうすればいいの?」 という究極の問題がある訳ですから、我々ベジタリアンも、 一般の人をむやみに責めるような事は控えるべきだとは思います。 .
- ayuko2007
- ベストアンサー率100% (1/1)
完全なベジタリアンではなく、最近肉食について疑問に思っている者です。出されたお肉は食べますが、自分からは選びません。 疑問に思ったきっかけですが、魚や野菜、果物はどういう過程を経て スーパーに並ぶか知っているのに、肉がどこで、どのような方法で 加工され、私たちの食卓に並ぶか知らなかったからです。 質問者様はご存知かもしれませんが、多くの人は、知らない、もしくは 知ろうとしない、目を背けていると思います。 実際、食事中に「このお肉、今日さばいたばっかりの新鮮なお肉 なんだって!」なんて話題がのぼることはありえないですよね。 私は、動物が可哀相、植物が可哀相でないという偏見を持っているのは むしろ世の中だと思っています。私は、お肉が作られる過程を もっと自然に誰もが知る機会があるべきだと思います。 少し前までは、自分で殺せもしないくせになんで皆平気で 食べられるんだ?という考えで、肉食をすごく嫌悪していました。 皮革製品も避けていました。でも、それだけじゃ到底 「動物たちの犠牲」から逃れられませんでした。質問者様が おっしゃる「薬のカプセルに使われるゼラチン」「そもそも薬が 作られる過程で犠牲になる動物」「普段使う化粧品」「生活洗剤」 「羽毛布団」私の周りには、動物が犠牲になってる物だらけでした。 これらを避けてこの日本で生活することは無理だと思いました。。。 一言で 動物愛護、地球環境を守る=ベジタリアンになる ではないと思っています。 ベジタリアンになろうとするのは、きっかけであって もちろん動物愛護も考える、環境破壊も考える、で、 ベジタリアンであることがゴールだとは思いません。 ベジタリアンにならなくても、考える人が増えたらいいなと 思います。
- gairoju
- ベストアンサー率50% (1/2)
はじめまして。ベジタリアンです。野菜以外のものをまったく拒否するわけではなく、私も他の人から薦められれば、雰囲気を壊さないという配慮の元にいただきます。自分からあえて肉類を摂取しようとは思いません。 質問の・・・動物を食べるのはかわいそうなのに同じ生物である植物は平気なのですか? 大半の薬にも動物性の成分が使われてるようですがそういった薬は飲まないのですか? 可哀想という考えよりは生理的に受け付けません。植物も生きていますが、植物にいわゆる動物のような鼻や目のようなものがついていたりしたら食べられません。怖いです。薬ももし動物性の成分が入っているという表示が公表してあるならちょっと拒否するかもしれませんが。生命の危機に犯されているような重篤の状態なら飲んでしまうかもしれません。 次の質問の・・・牧畜のせいで環境が悪化しているという意見があるようですが、それが今の地球環境悪化の一番の理由だと思いますか? また、身近に出来るゴミ分別等、完璧にやっていますか? ペットボトルのキャップ外しラベルを剥がして分別してる等。 牧畜のせいとは一概には言えないと思います。ただし、世界のベジタリアンたちは自分たちの思想をこのような考えを元に肯定をして、居場所を作っているようにも感じます。 ごみの分別はかなり厳しく行っていると思います。分別うんぬんの前にごみになるようなものは極力買わないように、リサイクルに関心をもち、エコロジーを自分なりに心がけています。 ベジタリアンになった理由は・・私のある独特の疑問がきっかけでした。それは「猫や犬のような動物は虐待されると問題になるが、日本人は平気で牛や豚を食べ、馬も食べる癖に、競馬のように娯楽道具としても扱う。猫を食べれば頭がおかしいといわれるのか?これは一体どんな矛盾なのだろう?」ということからです。その疑問からありとあらゆる動物と人間と動物の歴史的背景や、宗教の事情、地球環境、思想などを調べてきました。その過程である日食べるということがなんとなく罪のような、卑しいような気持ちに駆られてしまい、肉を受け付けられなくなりました。食べるとおいしいなとは思うのですが、気持ちが悪くなってしまうのです。食べるために生きた豚や牛を殺す仕事を、古い昔は、階級の低い層の民がしていたのも事実です。そうやって人間はおいしい肉を追求し続けた裏では、汚いことは差別的に特定の人にさせてきたということです。今の屠殺場ではそのようなことは無いと思います。生きるためには人間は食べられるものはすべて食物連鎖の一番上に立ち、支配してきたのです。・・・なんだかこう書くと宗教のようですが私はまったくの無宗教です。 もちろん親や友人には、わがままだの、殺したからにはありがたくいただくのが恩だのいわれてきました。しかし、勝手に殺してきた歴史的背景があるのに、まるで食べてあげるのがルールのように言われるのは納得がいかないのは、おそらく私が考えすぎだからなのかもしれません。 ベジタリアンの私が言うのもなんですが、結局は屁理屈だと思います。 ただ、質問者さんにお伝えしたいのは、ベジタリアンは自分が肉や魚を食べないことで独特の美意識を(または思想、または宗教上)維持したいからなのであって、他人にそれを強要したり、肉を食べる人を心のどこかで非難したりしている人はあまりいないと思います。 それと、ベジタリアンになることで変に食にストイックになります。 自分で野菜そだてたり、健康に敏感になったり、自分の選ぶ食品にそれはそれは過剰なほど、責任を持つようになります。そうすることで自分と地球環境に関心を持つようにもなります。ただ私は何も考えないで食えるモンは何でも食っとけみたいな野蛮な精神がいやなのです。きっと飢えた事が無いからでしょうか。 中国の人が犬を食べるじゃないですか、あれ、すごくびっくりしました。と同時に彼らも食に貪欲なことではある意味私たちベジタリアンと大差ないと思います。すごく極論ですが・・・。 質問者様にもお聞きしたいのですが、猫や犬はペットとしてかわいがられているのになぜ牛や鳥を殺してもなんとも思わないのでしょうか? 素朴な疑問です。もっと、細かくいうと、最近は豚をペットとしている人もおられますが、そうゆうかたはやはり、豚を食べないのかなあ・・とか・・・お答えしていただけるかどうかは自由ですので、どうかこのような質問したことをお許しください。 質問者様のような質問は大変意義のある内容だとおもいますし、気長にお付き合いさせていただきたいので、質問があればどんどんおっしゃってください。よろしくお願いいたします。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
#1です。お礼ありがとうございます 私自身は、肉食を現在のところやめている理由はいくつかあります。 しっかりとした永久的な考えではなく、今の自分に適しているから やっている、という感じですが。 上から順番に、私にとって重い理由です ・私の体は肉食には適さない おなかを壊す、疲れる ・飢餓が終わらない原因の一つである肉食をやめてみる ・自分の手で殺せないものを他人に殺させたくない ・もし人類全員が先進国並みに肉を食べるようになったら、生態系的に?まずいような気がするから(人口の多い中国人も肉食急増中・・心配です) 植物の本当の考えは、わかりませんが・・・ 植物全体は、動物たちに虐待されていると感じているのか、 この状況を受け入れているのか・・・それすらもわかりません。 動物を殺すことは、抵抗があります。 それよりも人間、さらにいえば日本人、ひいては家族は、やはり殺せません。 「自分の一部により近い存在」と感じる相手は殺さない、 つまりそれぞれの命の価値は等しくない、と考えるのは とても原始的な考えだとは思いますが、今はそれが多くの人間の発達段階だと思います 植物は、未発達で弱いものでなく、高度に発達した生物なのではないか?と個人的に思います。 なぜなら、高度に発達した生物は、自分たちの種が繁栄しすぎることが 滅亡をまねくことをしっていて、また自分の命の価値と 相手の命の価値が同じであることをしっていて、 求められれば自らの命を与えることを拒まない、と私は考えます。 植物ばかりが繁茂したら、自滅はまぬがれなかったはずです (生物史で習ったような気がしますが確かではないです) 動物は、植物にとって排泄物である酸素を食べてくれる 利用価値のある存在ともいえるはずです 生態系が安定に向かうには、いのちの循環が必要なはずです。 今は荒々しい循環の時代で、いろんな意味で循環が拡大して、 世界中の都市が同じようになりかけている?と言われてます。 しかし全てが同じになることが安定ではなく、 全てが違う上で調和しあうことこそが本当の安定という意見が 少しずつですがふえ、地消地産なども見直されてもいます 話がそれてすみません。 植物たちは、これらのことを知っている、大先輩なのではないか、 その大先輩に、私たちは養っていただいているのではないか? まだ中途半端ですが、これが現在の私のベジタリアンとしてのあり方です。 植物を収穫する際、たしかネイティブアメリカン?だったか、 感謝の祈りなどをささげるらしいです。 命をいただくとき、交流があるのは、 何もせずに奪うことより、失礼でなく、よいことのように感じます パーマカルチャーわざわざ調べてくださりうれしいです あれこれ自分の考えを披露してしまい、恥ずかしい気持ちです しかしうれしくもあります。質問くださり感謝しています でしゃばりですが、影響を受けた本からおすすめさせてください ニール・ドナルド・ウォルシュ著 「神との対話」サンマーク文庫
お礼
再度回答ありがとうございます。 >動物を殺すことは、抵抗があります。 >「自分の一部により近い存在」と感じる相手は殺さない、 >つまりそれぞれの命の価値は等しくない、と考えるのは >とても原始的な考えだとは思いますが、今はそれが多くの人間の発達段階だと思います 確かにその通りだと思います。 今の人間ではその感情は当然あると思います。 そういった感情を持った上で、命の優先順位をつけたところ、 抵抗が少なく自分の手で殺せる植物をいただいているということですね。 そして植物は繁栄しすぎ自滅することを避けるために、 あえて命を差し出してくれてるのではないかと考えてらっしゃるんですね。 こういった人間的な理由ならばとても理解しやすく共感しやすいです。 >植物を収穫する際、たしかネイティブアメリカン?だったか、 >感謝の祈りなどをささげるらしいです。 >命をいただくとき、交流があるのは、 >何もせずに奪うことより、失礼でなく、よいことのように感じます この感謝の祈りを動物にもささげ、命をいただくとしてもやはりダメなのでしょうか? 祈りをささげることで殺すという事に対して抵抗が減ると思いますが、 やはり、生態系に悪いという理由が残る限り進んで肉を食べることはないのでしょうか? 色々なお考えを聞かせていただいて感謝しております。 少しでもベジタリアンの方を理解したいと思っておりますので 大変有り難く思います。 紹介していただいた本、機会があれば読んでみます。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
こんにちは。 ベジタリアンに興味をもってくださりうれしいことです。 私はあまり厳しくないベジタリアンですが、 私の考えでよかったらご参考に。 (出されたら肉以外は食べます。魚、乳製品、卵類) 薬はベジタリアンタブレットかどうかなんて、 日本にいるかぎりどうしようもないです・・ 予防が肝心、と思うことにしています 動物愛護と地球環境だけが理由というわけではなく、 いろいろ理由はありますし、今後一生絶対つづけるという自信も ないのですが、まだどのように暮らすのがよいか 確信がもてないので、このように暮らしています。 肉食をやめた理由の大半は、自分の健康上の問題であります。 植物を食べるのは、ちょっと私も考えるときもあります。 なるべく、ネッコから引き抜いて命をうばってしまうものよりは、 実がなるもの(ナス、トマト、ピーマン、きゅうり)などを選んではいますが・・ 所詮人間の都合で栽培された植物たちなので、気休めのようにも感じます。 本来なら、「分けてもらう」発想が理想なのでしょうけど。 ジャイナ教だったかしら、きびしいベジタリアンの人は、 フルータリアンというのだそうです。 殺生をなるべく避けること、いただく命に感謝することで、 自分自身が清められていくように感じます。 自分でも植物少し育てていますが、やはりこちらの気持ちに答えてくれますから、 話せないけど心があるのだろうな、と思います。 あなたが言うように命をうばうのは、申し訳なく思います。 また、と殺場を、私は見たことあります。 母が昔、そこで働いていたんです。 実際に殺す場面を見たわけではありません。 私が見たのは、今から殺される牛の抵抗する姿と、 殺されてつられた牛の肉、そして猛烈な死臭と、 動物たちの恐怖、心を殺した人間たちでした。 あれを見ると、自分がしていることの罪深さを、感じずにはいられません。 しかも、自分は手を汚さず、人の手を汚させているので・・ 母も子供を養うためとはいえ、 あのような仕事、本当は辛かったに違いありません。 ゴミ分別は、人並み程度にやっています。 よくわからないときはチェックしますが、 間違ってることが絶対ないとはいえません。 ペットボトルのラベルとキャップについては、自分の地域は 指定はありません。 それ以前に、ゴミはあまり出さない生活を心がけています。 誤解しないでいただきたいのは、 中にはそういう人もいるとおもいますが、 ベジタリアンは他の人を責めるのではなく、 今自分に何ができるかを考えて、実践し、 その姿を見て他の人も考えてくれたらなぁ、という考えの人が ほとんどだと思います。 なぜなら、自分の生活習慣を変えることが、結果的に自分のために なっているからです。 自分がベジタリアンだからと言って、他の人が残酷で自分勝手だ、 と責める資格は、人間にはないとおもいます。 パーマカルチャーという暮らし方をご存知ですか? 現代社会においては困難をきわめますが、 あのような暮らしをしていけたらよいなぁと思います。
お礼
長文のご回答ありがとうございます。 大変参考になりました。 屠殺場を見た事がないのでなんとも言えませんが きっと現場を見ると大変なショックを受けると思います。 動物たちの恐怖がモロの伝わってくるのだと。 しかしながら植物も動物と同じ恐怖を感じてるのではないかと常々思っています。 ただそれが人には伝わらないだけで。 きっと根を抜かれるときは殺さないでと懇願し、実を採られるときは手足をもがれたと泣き叫んでるのではないかと。 動物のように直接的にわかるものに罪悪感を感じ、植物のように想像力を働かせないとわからないであろうものには罪悪感をさほど感じないので、食するなら植物の方がいいということなのでしょうか。 パーマカルチャー調べてみました。 素敵な暮らし方だと思いました。
お礼
丁寧な回答ありがとうございます。 様々な角度から知識を深められ、その上での考えは、そのような知識に疎い私にはとても参考になりました。 >植物にいわゆる動物のような鼻や目のようなものがついていたりしたら食べられません。怖いです。 植物に顔や表情のようなものがあれば食べるのに抵抗があるということですね。 自分の中で抵抗があるかないかの判断で顔や表情のない植物を食べる方を選んでるということですね。 回答者様の質問にお答えしたいと思います。 私としては牛や鳥と同様、猫や犬が殺されてもなんとも思わないです。 ただ、もし自分が猫であれ、犬であれ、豚であれ、牛であれ、その飼っている動物自体を殺されると怒り悲しむと思います。 冷たい人間だと思われるかもしれませんが、要は自分の身近にいる存在以外の生死は大して気にならないという事です。 もし私が豚や牛を飼っていても、自分の買っている豚や牛以外のお肉は食べると思います。 自分の勝手な推測ですが、同様に、鳥類を飼っているからといって 卵や鶏肉を食べないというのはごくごくわずかだと思います。 正直に言うと人間でさえ身近にいない人の死はほとんど何も感じないです。 例えばニュースで交通事故で亡くなった、台風で何名亡くなったと伝えられたところで、かわいそうにと少しは思いますが、そのことに怒り悲しむという事はないです。 次の日には忘れてしまう、それぐらいのことです。 回答者様は、動物を一方的に殺すという人の身勝手な行為に対して疑問を感じてるのであって、動物の死に対してはさほど悲しみを感じることはないのではないでしょうか? また、例えば動物を殺す動物、ライオン等の肉食動物についてはどう思われますか? よろしければ、お考えお聞かせ願います。
補足
回答お待ちしているのですがお忙しいのでしょうか? あるいは答えられないのであればその旨だけでも教えていただけると有り難く思います。 よろしくお願いします。