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国鉄とストライキ
なぜ、国鉄職員はストライキをする必要があったのでしょうか?
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参考までに・・・ ・順法闘争について これはストではなく、主に運転手が、国鉄時代にあった運転規則を完全遵守して列車の運転を行うと言うものです。 大きな影響がでたのは、「赤信号では止まる。」という規則を守るもの。普段は、赤信号でも止まらずに、徐行運転して出来るだけ前に進んで進みながら信号が青になるのを期待すると言うもの。(ほとんどの場合、過密ダイヤなので、前の列車が駅を発車していても、少しの間は信号が青にならないため、そのたびに停車するとダイヤが乱れ、遅れが続出します。) 国鉄時代、東京・大阪周辺では、ぎゅうぎゅう詰めの満員で、列車の運行間隔を極力詰めていたので、運転規則を守ると列車が時刻表どおり運行できない状況が常態化していたのです。 順法闘争は、電車が遅れまくりで、利用者から国鉄に苦情が殺到するが、運転士は規則どおりに運転しているので、経営者は処分できないと言う戦術でした。 国鉄時代、安全規則に実効性がなかった体質を、JRも引き継いでいるのでしょうか、JR西日本・東日本の客の方を向いていない対応は、国鉄時代そのまま?(よりひどくなっている?)のように感じます。
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- tabibito34
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当局を困らせることで自分たちの意見(おもに待遇の改善)を通そうとしたわけです。 当然、国鉄を利用していた国民も困るわけです。 私もとても困りました。 政治との関係も大きなものと言えます。 戦後の政策で大量の受け入れと首切りが行われたことも事実です。その時期に悲惨な事故が起きています。 労働組合と政治的な組織とのつながりがあり、ストライキが政治的に利用されたともいえます。 国鉄そのものが政権政党に利用されて大幅な赤字構造を受け入れざるを得なくなったことも忘れてはいけません。 限られた地域のことであったと思いますが、単純な労使の対立であれば、あのようなどろどろとした内部の陰湿な体質のなかで犠牲者を出すことはなかったと思います。労使の対立だけではなく、組合同士の強引な引き抜きや小さな職場のなかで中間管理職(他の組合)をいじめるような場面が一部ではありました。 鉄道の仕事が好きでストライキをしたくないという国鉄マンもいましたが、組合に入り同じ行動をしないと職場で仲間はずれにされて仕事を正常にすることができなくなるので、仕方なしに組合に入っている人もいました。 高度経済成長期に国鉄よりも一部の民間企業の方が待遇がよいということもありました。例えば勤続20年くらいの国鉄職員よりも、20歳の民間企業社員の方が手取りが高いということもありました。 労働者の権利を主張する立場の人たちから言えば、当然の行動であったのでしょうが、多くの国民が被害を受け、そのなかの何人かは国鉄からこころが離れていったことも事実ではないでしょうか。 時代によってストライキの在り方は多少違うと思いますし、見えてこない裏側の事情もあると思いますので、国鉄に関する書籍をお読みになってはいかがでしょうか。
- tanuki4u
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最強の労働組合であったから。 人数が多かった。 交通機関として影響力が強かった。 基本的に馘首されなかった。 労働側の代表として戦ったということになります。 No1さんが指摘にように「順法スト」ということをしていました。 これは、国鉄職員にはストライキが禁じられていたので、(記憶に寄れば)29分までの職場放棄によって、ストまがいの行為をするというモノ。30分を超すと、違法であるストライキをしたことになるので、それ以内で押さえるというモノ。私が中学生のころ日教組もこれをやっていて、29分間自習になりました。
- mat983
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順法闘争が有名です。 安全性を守ると言う名のもとに、労働者の権利を主張していたのです。 特に春闘では賃金の上昇を目的としたものです。