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読み方教えて下さい!!!

灼恋という本(江戸時代の大奥を書いたモノ)の中にでてきた言葉なのですが 「言門松」「和歌松原」「宿月湾」の読み方がわかりません。 正確な読み方を教えて下さい。 あと、何で調べたかを教えて頂けるとうれしいです。

  • sarii
  • お礼率8% (1/12)

みんなの回答

  • osapi124
  • ベストアンサー率42% (95/224)
回答No.3

「和歌松原」ですが、 万葉集に聖武天皇の歌として、 「妹に恋ひ吾(あ)が松原よ見渡せば潮干の潟に鶴(たづ)鳴き渡る」 という作品があります。また古今和歌集にも 「天平十二年十月、伊勢国にみゆきしたまひける時 妹に恋ひ和歌の松原みわたせば潮干の潟にたづ鳴きわたる」 という記述があります。 つまり、伊勢にある「松原(まつばら)」に行ったときに 読まれた「和歌(わか)」ですから、ストレートに 「わかまつばら」でいいようですね。 「宿月湾」は・・・どうしてもわかりません・・・。 「宿月」という苗字があるようなのですが、読み方が不明です。 もしかしたら大きな書店で「苗字辞典」を見ると出ているかも しれないですね。ちなみにWEB上で苗字の線からも探してみた のですが、みつかりませんでした。 最終手段としては出版社に問い合わせると答えてくれるとは 思いますが・・・。 でもそれじゃつまんないんですよね。達成感がなくて。(笑) osapi124でした。

  • osapi124
  • ベストアンサー率42% (95/224)
回答No.2

あ、読み方でしたね。 「言問橋」が「ことといばし」なので 「ことといまつ」または「ことといのまつ」だと思います・・・・。 osapi124でした。

sarii
質問者

お礼

ありがとうございます!!!すごく助かりました。

  • osapi124
  • ベストアンサー率42% (95/224)
回答No.1

「言問松」ですが、 在原業平の『伊勢物語』九段にある 「なお行きゆきて武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる川あり、 それを隅田川といふ。その川のほとりに群れゐて思ひやれば、限りなく 遠くも来にけるかなるとわびあへるに、渡守、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ」 といふに、乗りて渡たらんとするに、みな人物わびしくて、京に思ふ人 なきにしもあらず。さる折しも、白き鳥の嘴(はし)と足の赤き、鴫(しぎ)の 大きさなる、水の上に遊びつつ、魚(いを)を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、 みな人見知らず、渡守に問ひければ、これなん都鳥といふを聞きて名にしをはば、 いざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」 から来ていることと推測できますが・・・。 「言問松」からは「言問橋」がすぐに浮かんだのですが、「言問橋」の命名自体は 「言問だんご」から来ているらしく・・・・。 「言問だんご」の方については在原業平の文章から来ている模様です。 でも、ではなぜ「言問松」という名になったかの経緯についてはわからないです。 osapi124でした。

参考URL:
http://www.asahi-net.or.jp/~ea8t-mcd/kototoi.htm

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